お破廉恥な姫様 前編
満月が煌々と輝く夜。
激闘の果てに目的を達成したランナとルイは、今夜を朽ちた砦内で過ごし、明日に下山すると決めた。
現在は塔内のある一室で過ごしている。ルイの聖霊魔法の炎を灯した携帯型照明器具でカビ臭い室内を照らし、古びた机の上にはささやかな戦勝祝いを広げていた。
様々な果物を砂糖漬けにして乾燥させたタオナムという食品や、家畜の乳を発酵させて丸め、天日で干したパナムと呼ばれる食品―‐どれもワニーの村で購入した携帯用保存食だ。
そして、二人が向かい合って座る椅子の近くにあるボロボロの簡素なソファーには、救い出した濃藍髪の少女が横になっている。
ランナ達は後から気づいたが、装束に意匠された紋章はネックス王国の家紋だった。
まさか、ではなく本物、であるとの証を確認して疑う余地は完全完璧に消えた。確信……囚われていた彼女は、勇者となった王女その人であると。
悪夢を見ているのか、時折りうなされ気品ある顔立ちを苦しそうに歪めるロイヤル同期を、二人は心配そうな面持ちで眺める。
傷の応急処置は済んでいる。自然に目が覚めるまで待つと決めた――だがその時は、食事をし始めた際に訪れた。
「うーん……ハッ!」
王女が開眼し、上体を起こしたのだ。
タオナムを口に入れようとしていたルイは、覚醒の瞬間を目撃していた。
「あーランナ! 姫様がお目覚めになられましたよ」
目を見開いて、相棒へ知らせる。
相手が相手なため、普段より更に丁寧口調である。
「マジで!? あ、ホントだッ」
ランナは慌てて口内のタオナムを飲みほすと、慌てて王女へと駆け寄った。
ルイも後に続く。王女は琥珀色の大きな双眸をぱちくりとさせた後、視線を落として両手の動作を確かめるように、握ったり開いたりした。
「磔が解かれている。夢、ではないよな。何が起きた……ワタシは何故助かったんだ」
状況を一つ一つ確認するように独り言を呟いた。
意識が白濁してる間に状況が一変していたので、かなり混乱していた。
遅れて人の気配を感じて前を見ると、まるで自身に仕える騎士のように、膝をついた同年代の少女達がいた。
「もう大丈夫ですよ、夢じゃなく本当に助かったんですから」
その内の一人ランナは普段のような砕けた口調でなく、丁寧な言葉使いで安心させるように言った。
王女は電流が走ったような感覚を覚えた。救いの神のような言葉を受けて数瞬後、現実を認識する。
次いで、悪夢を覚ましてくれたであろうパーティーの一人、ランナへと尋ねる。
「なんと……もしや、君達が助けてくれたのか?」
ランナは柔和な笑みを浮かべて頷いた。
「はい、あたしと隣にいる魔法使いの――」
仲間のルイを紹介しようとした最中、
「女の子、それも美人……女神だ! 美しい女神がワタシを憐れみ、助けてくれたんだな」
王女はいきなり興奮気味になってランナの話を途中で遮り、神々しい存在を崇めるように己の両手の指を絡め祈りを捧げてきたのだ。
「え。は、はい?」
ランナは当然意図がわからず目を白黒とさせたが、王女はうっとりと自分の世界へ入り込んだまま喋り続ける。
「奇跡だ。天上の女神が地上に降り立ち、ワタシを醜く浅ましい邪神の手先から救い出してくれたのだ」
「ちょっとどうしちゃったの。え、大丈夫じゃないカンジ?」
「まさか、まだ夢の中におられるのでは」
ランナと側で成り行きを見守っていたルイも、尋常ではない様子に困惑するしかない。
「いやいや、激ヤバでしょ。頭でも打ったのかな」
精神錯乱状態かもしれないとランナが心配して、王女の肩に触れたその時。
「ワタシは、うわぁぁぁぁッ」
彼女はぶわっと泣き出して、叫びながらランナを押し倒してきたのだ。
「ちょ、何をッ!?」
薄暗い部屋で二つの影が重なる。
突然の予想外な行動に動転するランナの胸元へ、王女は続けざまに頭から突っ込もうとした。
「頼む! 女神のおっぱいで、程よさそうな膨らみでワタシの穢れきった心を癒してくれぇ!」
制御不能な破廉恥行動。
ランナは破損した革鎧を脱いでいるため、装束越しであれば彼女の双丘へ接触可能な状態である。
しかし同性だろうが王族だろうが許容出来る行為ではなく、拒否反応で頭がいっぱいなランナは顔を真っ赤にして、
「きゃぁぁぁぁッ!?」
闇夜を切り裂かんばかりの悲鳴を上げた。
「な、なななッ、ご乱心ですぅ!?」
ロイヤル同期の唐突な変態行為に仰天したルイは、泡を食って何もできない。
ランナは王女の頭が装束越しの胸と接触する直前に掴み防いでいたが、先程まで衰弱して気を失っていた女性のものとは思えない力強さだったため、押し切られるのは時間の問題だった。
「ムニュムニュさせてくれ! 癒しのムニュムニュさせてくれぇ!」
「イヤぁぁぁッ!」
貞操の危機すら覚えたためランナの防衛本能が働き、腹部を蹴り上げてしまう。
「ごばぁッ!?」
変態発狂王女は派手に吹き飛び、硬い石壁に身を打ちつけて地に落ちた。
「あぁランナ!? なんてことを!」
ルイの顔色がサァッと青くなる。
襲われた相棒への気遣いより、彼女がとんでもないことをしでかしてしまったと、血の気が引いた様相である。
「あ! ヤバヤバ激ヤバッ!? どーしよ!」
流石にランナも大問題を起こしてしまったと、表情に狼狽を滲ませた。
しかし当の王女は、何事もなかったようにすっと起きた。
「早っ!」
ランナとルイは揃って驚きの声を出す。
速復活。上体を起こすと、キョロキョロと辺りを忙しなく見渡したのだ。
「ここはどこだ? ウッホがいない。どういうことだ、ワタシはやつに負けて磔にされてそれから、それから……」
まるで時間を巻き戻したかのように、一度目の覚醒の際と似た呟きをした。
難しい顔になってまた唸っていたが、血相を変えた二人の同年代の少女が傍らにいると程なくして気がつき、キョトンとした様子で眺めた。
「あれ、君達は?」
色々と突っ込みたい点は多々あるが、今優先すべきは王女へ一部始終を伝えることだ。
ルイが先立って、強張る口を動かした。
「わ、私達は同期の勇者ですよ、シャーリー姫! 安心して下さい、貴女を磔にして捕らえていた大眷属と戦って逃げられはしたものの……邪鏡を壊して結界を消すことができたんです!」
上擦る声で同じ学舎を卒業した勇者であると説明し、王女の名前を呼び、顛末を語った。
「なんと。ではワタシは助かったのだな。級友よ、このシャーリー、ネックス王国王女として、同じ志を持った勇者として心より感謝する」
シャーリー王女殿下へ恭しく感謝の言葉をかけられて、
「いえいえ滅相もありませんっ! 当然のことをしたまでですっ!」
ルイは手をぶんぶんと振って、謙遜して返した。
「いやいや、もはや命運尽きたかと覚悟していたんだ。それが助かるとは……」
絶望の色が抜けきっていなかったシャーリーの表情がやっと緩み、安堵の声で呟く。
どんなボロボロの状態でも高貴な生まれの者にしか醸し出せない空気感を纏う彼女に、ランナとルイは拭えない違和感を感じていた。
シャーリー王女が発狂して常軌を逸した発言と行動を起こした。つい先刻の出来事である。
しかし本人は記憶が抜け落ちたかの如く、何事もなかった調子だ。
まるで、彼女の中にもう一人の人格がいるような――
「あ、あの!」
様子を見ていたランナが、意を決した顔つきで会話に加わる。
「ン、どうした?」
「さっきのこと、覚えていますか?」
ランナが衝撃しかない本題をおずおずと尋ねた。
「さっきのことだと――あぁ!」
シャーリーはポンと手を叩いて、
「君の胸を許可もなくもみもみしてしまったことか。いやぁ、驚かせてしまったなら申し訳なかったな」
あっけらかんとした笑顔を見せ、軽い調子で謝ったのだった。
「めっちゃはっきり覚えてる!?」
ランナとルイの頓狂な突っ込み声が重なる。
もう一人の人格がいるわけでもなく、忘れたわけでもない。
お戯れだったのだろうか……シャーリーはランナへ過剰に接触した理由を、つらつらと説明し始める。
「だが弁明させてくれ。毛むくじゃらの大眷属に磔にされ不快な言葉をかけられまくり、精神の限界まですり減らされる屈辱を受けたんだ。そこに目が覚めたら綺麗な女の子がいた。触れて癒やされたいと甘えるのは至極当然ではないかッ」
耐えがたい辱めを受けた反動だからといって、度し難い行動過ぎて理解不能なルイとランナは、
「どんな感情なんですかッ」
「甘えるとかじゃなく違う意味入ってたでしょ絶対!」
身分を考慮した言葉遣いをすっ飛ばして指摘する。
「手厳しいな。そんなおかしなことではないだろ」
シャーリーは不満げに口を膨らませたが、常識の枠から外れた思考のため、平民出の者達から失礼な口の利き方で突っ込まれようが、不快感は微塵にも感じていなかった。
「ま、こんな人間らしい欲求に身を任せれるのも生きてこそか。奴はワタシに好意があるからか、花を摘みたかったら厳重な見張り付きだが行かせてもらえたし、お腹が空いたら最低限の食事として焼き魚やら木の実をくれたからな」
そしてなけなしではあるが、生命と尊厳の保障がされていた磔の時間を思い返し、改めて安堵の息をついた。
「……えーと、生かさず殺さずってやつか。アイツ、嫁にするとか言ってたもんね」
「不幸中の幸いでしたね。それでもあの時はかなり衰弱してたから、死の間際に見間違えましたよ」
ランナとルイは人間らしい欲求という部分はスルーして、真顔で返した。
何故だか、自分達が命を懸けて助けた意味がちょっぴり薄くなったような気がした。
「しても眷属に求婚をされるなど、ある意味貴重な体験だった。生きていれば色々な体験をするものだなぁ。ハッハッハ」
シャーリーは、あっけらかんに笑って締めた。
突っ込む気力不足のランナとルイは、言葉が出てこない。
笑顔で済ます胆力はある意味羨ましいが、彼女が起きてからは衝撃発言に問題行動が多く、振り回されっぱなしでぶっちゃけ疲れていた。
(ネックス王国の王女にして、ガルナンの危機を救うため自ら勇者に志願した女傑シャーリ様。勇者学園でも話題の的だった御方が、ぶっとんだ人だったとは)
もはやルイは苦笑するしかなかった。
(当時は勇者を目指す同志として王女様と同じ学舎で過ごすなんて夢にも思わなかったし、同じ戦士科だったけど緊張し過ぎて話すことさえできなかった。そんな王女様が、ド変態だったなんて……)
ランナが今日一番の大きなため息を吐く。
二人が戸惑うのも無理はない。
乖離――記憶の片隅にある、歩き方の所作から食事作法まで上品で生徒達の憧れの的だった麗しの姫君とは、別人のように破廉恥な少女だったのだから。
(なんにせよ、蹴り飛ばしたことは気にしてなさそうで良かったわ)
次いでランナはほっと胸を撫で下ろす。
不敬罪どころか処刑案件である。
「ルイ、ちょっと聞いて」
そして、続けてルイに耳打ちした。
「なんでしょう」
「姫様、痛くて怖い目にあっておかしくなっちゃったのかな? 学園にいた時はエレガントな王族の淑女って感じだったのに、今はもう性癖全開のヤバい人よ」
「科も違うし接するのは私も初めてですけど、あんな言動をする方という話は聞いたことがありません。猫でも被ってたんでしょうか……というか、その辺は同じ科のランナでもわからないんです?」
「うん。当時は緊張のあまり話すこともできなかったのよ。身分の高い子の取り巻きに囲まれてたし。あっちだってあたしのことなんか忘れてるかも」
「ランナが話しかけた時も反応なしで、覚えてなさそうでしたしね。性格まではわかりませんか」
「えぇ。危険な御方だったのね、気をつけないと」
一方、こそこそ話の末に警戒の視線を送られたシャーリーは、キョトンとした様子で二人を見ていた。
(何だ、怒っているのか? 彼女らには少々刺激が強過ぎただろうか)
不思議そうに首を傾げた。
シャーリー王女はズレていた。彼女は次いで、傷ついた自身の身体を今更に眺めた。
(それにしても、色んなところが痛いな……あの者達が処置をしてくれたようで感謝だが……痛い)
装束は斬られ破られ、戦いと鞭で受けた痛みの跡は多数あるものの、応急処置は二人の同志が施してくれたのだと察した。
それでも、元より化膿している箇所もある。これ以上の傷の悪化は、今後の行動に支障をきたすだろう。
あくまで、傷を放置した場合であるが……。
シャーリーはふぅと一息漏らした。
「疲労感が更に増すが、やむを得まい……治すか」
自身の傷を治す――彼女は確かにそう呟いて、左手を眩い黄金色に光らせたのだ。




