生理的に無理な大眷属ウッホ 前編
ランナとルイは峠道を逸れて、邪鏡結界に入った。
再び現れた黒狒達を退けながら山林の中を進み、程なくして沢の近場で目的地を発見する。
悪人の手を離れて繁茂に侵食され幾年後、大眷属という新たな主を迎えた、石造りの古びた砦だ。
二人は木陰に隠れながら辺りを見渡し、黒狒はいない気配もないと安全を確認した後、どさっと崩れるように座った。
「やっとそれっぽい所に着きましたね。はー疲れた」
「山の砦の廃墟に邪鏡を置くなんて、激面倒なマネしてくれるわねぇ。黒狒は多くなかったけど色んなところから出てくるからウザいし草ボーボーで戦い辛いし、激サイアクだったわ」
「全くです。とりあえず、また少し休みましょう」
空が赤く滲みだしてきたようだ。
時間がかかるのは当然。アジャラ山の標高は低いものの、二人にとって慣れない山登りに違いなく戦闘も加わるので、大聖霊魔法を使おうが精神的にも肉体的にも負担は相当なものだ。それでも前哨戦に過ぎないのだから、苦難でしかない。
タフガールのランナも汗をぬぐい息を整えて、革袋からゴリンの実のすり下ろし汁を取り出した。
「これを飲まなきゃやってられないわよ、流石に体力回復しないとね」
ルイは仮面を外し、深呼吸をした後に力ない声で同意した。
「えぇ。何だかんだで温存してきましたしね。ここで飲まなきゃ大眷属とは戦えませんよ」
二人は瓶の中に半量入っているゴリンの実のすり下ろし汁を、回し飲みした。
すると疲労感が徐々に消えて元気が漲ってきた。顔色もすっかり良くなった二人は立ち上がり、決戦の舞台へと歩き出す。
「準備万端です! さーて、とうとうジョウ達含め皆が失敗しまくってる、厄介な大眷属との戦いが始まりますね」
言いながら仮面を再び装着したルイの表情は引き締まっていたが、緊張も混じっていた。
「フフフ……どんな奴だろうがここまでの苦労をボコスカドカバキ全部ぶつけて、泣かせて、跪かせた後にザンッて昇天させてやるんだから」
ランナが黒い笑みを浮かべながら、静かに噴火寸前の怒りを発した。
語彙力崩壊気味の彼女に、ルイは苦笑を漏らした。
「はは、頼りにしてます。では、参りましょうか」
二人は倒壊した丸太の砦柵を通り抜け、侵入した。
崩れた物見櫓や小屋、壊れた床弩の台車の陰に至るまで、神経を研ぎ澄まし警戒しながら進む。
だが、
「なーんもないまま、奥の方まで来ちゃいましたね」
「いくらなんでも静か過ぎない? 黒狒はともかく、大眷属はどこにいるのよ」
荒れ果てた敵の本拠地の最奥付近に着いたものの、不自然にがらんとしている。
囁くような木々の葉音と沢のせせらぎに、時々動物の鳴き声が聴こえるだけの敵陣で、妙な胸騒ぎを覚えた二人。明らかにおかしい……その勇者としての勘は確かだった。砦内に入った時から、主はすでに二人を監視していたのだ。
そして――
「にべさのー、ここまで来たか。褒めてやるべ、オラと戦うに値する最低限度の基準は満たしてるとな」
誰かが尊大な物言いで出迎えた。
ゾクっと緊迫感に包まれたランナとルイは、声が発された方向を見やる。
朽ちた石造りの塔の屋上に、現アジャラ山の支配者がいた。一番目立つ場所から見下ろされていたのに、気がつかなかったのだ。
「だが下僕共の大半を倒してくるとは、敵ながら見事な戦果……というか初めてだっぺ。変わった魔法とやらは想定以上の効力か。やれやれ、ミルン様に下僕の発注をお願いしないとだっぺな」
堂々と設置された邪鏡の前で、独特のなまりが混じった大陸言語で呟きながら興味津々にランナ達を眺めていたのは、白い体毛に覆われた筋骨隆々の獣人だった。
「黒狒と似てるけど毛の色は白いし、変だけど言葉を喋ってるわね」
「腰巻きをつけてて俺は他の黒狒とは違うぞ感も醸し出してるし、アイツが砦の邪鏡を守ってる例の大眷属に違いないです」
ランナとルイは、メッズ同様に眷属の上位層だと判断した。
姿を視認した瞬間、獣人は離れた位置からでも感じとれる程のただならぬ圧力を発したのだ。
「あれ、邪鏡の近くに誰かいるわ!」
ランナは次いで、邪鏡の隣で磔にされている者にも気がついた。
「磔にされてます! ジョウ達以前に失敗した勇者でしょうが……まさか、姫様パーティーの者では?」
仮面越しに視界へ映したルイも声が上擦る。
ランナは頷いた。
「かもしれないわ。女の子っぽいけど経緯はどうあれ、あの人だけが囚われてるのかな」
「姫様本人の可能性もありますが、俯いてるようですしここからだと顔はよく見えません。まず生きてるのかどうか……」
誰とは確定はできないが、心配でならないランナとルイは囚われの人物を見上げて、焦燥の汗をながした。
「ふざけたマネを。とにかく、ちゃちゃっと倒して解いてあげましょ」
「えぇ!」
怒りを滲ませた表情で、敵の元へ急いだ。
「とぉっ」
ランナ達の接近を確認した白毛獣人は、塔の屋上から飛ぶと、華麗に着地した。
対峙。激突寸前の殺気立つ空間で、先に口を開いたのはランナだ。
「アンタね。ここの邪鏡を守ってる大眷属は」
白狒は厚い唇の大きな口を、三日月の形にして認めた。
「そうとも。カッコよくて頭もキレる、強くて完璧な大眷属随一のナイスガイ、ウッホとはオラのことだべ」
自己賛美の言葉をいくつも重ねた大眷属ウッホに、ランナとルイはぞわっとした嫌悪感を覚える。
「コイツ……もうどんな奴だかわかった。全てにおいてイラッとする奴だわ」
「あんなんでも大眷属ですから、強いんでしょうね」
「まぁ体もデカいしね。それでも前の馬男みたいに、芳醇大酔香を使って速攻でぶっ倒すだけよ」
「油断大敵ですよ。どんな力を持っているか不明ですし、警戒しながら仕掛けていきましょう」
ランナとルイの拒否反応を尻目に、ウッホは値踏みするような視線を彼女らに向けた。
「にべさの~。二人共、上玉だっぺなぁ。そんであの魔法剣士が変わった魔法を使うみてーだが……」
脅威の魔法の使い手は勿論、相棒の魔法使いに関しても冷静に怪しんだ。
(もう一人の魔法使い、何だっぺあの変な仮面は……)
魔法使いの銀髪少女は、ウッホが見たことのない仮面を装着している。今まで戦ってきた魔法使い達に、あのような面妖な仮面をつけている者はいなかった。
(何で仮面なんかつけてる? 視界が狭まっちまうだけだろ。顔を見られたくねぇ理由でもあんのか)
考察するも、答えは出ない。
彼は面倒くさくなって、勘ぐることを止めた。
「人間の魔法使い如きに考えすぎか。どうせカッコつけでつけてるとか、下らない理由だっぺ! どんな小細工をめぐらそうが最強のオラには通用しねぇ。早く片付けて未来の嫁と愛の語らいをするっぺ!」
自信と慢心が混在するウッホは二人の勇者を前にして妄想世界に耽り叫び、奇妙な踊りをし始めた。
後半の意味不明な発言、行動に眉をひそめたランナは訝しげに訊いた。
「未来の嫁、ですって?」
「んだ!」
ウッホは照れた表情になり、囚われの人物を指差して白い歯を剥き出した。
「お前ら人間共との戦いが終わったら、オラはこのおなごを嫁に迎えるんだっぺ」
「はぁ!?」
ランナとルイは揃って頓狂な声を出した。
想定外も想定外の発言だ。歪みきった価値観を持つ大眷属は、彼の頭の中だけにある馴れ初めについて語りだす。
「何組前だか忘れたが、嫁はおめぇ達以前にここまで辿り着けた勇者共の一人だ。仲間が命惜しさに逃げちまってもこいつは最後までオラに立ち向かってきたんだが、戦いの最中に顔を合わせて気がついたんだっぺ。オラ好みの顔立ちだってことに」
唖然としかけるランナ達へ、ウッホは身をくねらせて大仰に話し続ける。
「この出会い、運命にちげぇねぇ! だからそのまま嫁にしちまえば良きだと思ってよ。ぶっ倒したとはいえ逃げないように磔にした、そんなところだっぺ」
ウッホが喜色満面に言い終えた結果、空気は凍る。
ランナとルイは、絶対零度の冷たい怒りを帯びた鋭い眼差しでウッホを睨んだ。
「安い運命だけど、勘違いでしかないわ。その子はアンタの玩具なんかじゃないわよ激クズ」
「乱暴で自分勝手でキモい欲望全開としか言いようがありません。不愉快です、今すぐ自決して下さい」
彼が愛だと思っているものは、暴虐でしかない。
だが、正論混じりの罵声を浴びせようが、ウッホの考えが変わることはない。
「黙れッ、好き勝手言いやがって! オラが嫁と決めた女に逃げられたら困るし悲しいべよ! それで縛って動けねぇようにするのが、何が悪い!」
カッと激昂して叫び返した。
狂気の想いも、彼にとっては正当な理由に他ならないのだった。
だが、聞く耳もたないのはランナ達も同様である。
「もーいいわ、それ以上喋らないで。あんたみたいな腐った奴は邪鏡と一緒にぶっ壊してあげるわ!」
「ウッホとやら、あなたの命運も今日までです。覚悟なさい」
魔法剣士と魔法使いは戦いに意識を切り替え、戦闘態勢をとった。
「はん、かわいくねぇおなご共だッ!」
大眷属は歯ぎしりを立てて、自身の分厚い胸板を両手で数回激しく叩く。
純粋な想いを全否定されて沸点が頂点に達した彼の全身の毛は、逆立っていた。
「最強なオラを倒すも邪鏡を壊すも無理だっぺ、今までの勇者共みてーに、軽く返り討ちにしてやらぁ!」
溢れんばかりの殺気を吐き出すように喚く。
戦端が開かれた。




