砦の主と囚われの……
アジャラ山の森林の中でひっそりと佇む、古色蒼然の砦。劣化著しい石造りの塔の屋上に設置された、禍々しき邪鏡。その傍らには、毛むくじゃらの大男がいた。
彼に膝をつき、身ぶり手ぶりを交えながら声を発し何かを報告している黒狒と容姿が似ている。
しかし彼は、凶暴で単純な下位眷属とは一線を画す存在だった。体毛は黒狒の漆黒と違い、雪のように真っ白で派手な柄の腰巻きを纏っていた。更に瞳の色は赤ではなく黒く、理性を宿していたのだ。
「んだか、勇者共がまた一組きたと。そんで指先だけでなく身体を光らせ両手を翳して出す妙な魔法を使い、仲間達を触れずに倒してるのを遠くで見ただて?」
黒狒は怯えた表情で頷く。
やれやれと肩をすくめた白毛の大男は、独特な音韻に語彙ではあるがアオモン大陸言語を喋ることができる、下位眷属へ命令を下す立場の大眷属である。
「身包み剥ぐくらいで済ましてやったさっきの奴らより歯ごたえありそうだが、所詮は聖霊魔法だろ。下僕共に通用しても、ミルン様のお墨付きを頂いてるこの大眷属ウッホ様には効かないっぺ」
大眷属ウッホは余裕気に笑いながら、邪鏡の右隣に視線を移した。
そこには木の柱に縄で縛られた、十代半ばの少女がいたのだ。
「おめぇもそう思うだろ? オラの嫁となるおなごよ」
「うぐッ……」
同意を求められた彼女は、呻くのみで反応しない。
上品な顔は苦悶に歪んでいる。濃紺な髪は艶を失い、身に纏った光沢ある白を基調とした上下一体の丈の短い装束は所々切り刻まれて血が滲んでおり、露出した太ももには細かな傷が目立つ。
少女は、使命に失敗した勇者だったのだ。
ウッホは囚えた敗者を眺めて、恋心に揺れる初心な少年のように灰色の頬を赤らめる。
「まさか人間の女と結婚する未来がオラに……人生ってわからんべ。怖気づいてすぐ逃げた薄情なおめぇの仲間と違って、最後までオラへ抵抗してきたそのいじらしさとタイプど真ん中の綺麗なお顔に惚れちまったもんなぁ」
そして傷だらけの少女へ近づくと、舐めるような視線を彼女の全身へ這わせた。
「人間共とはいっぱい戦ってきたが、おめぇは何かが違った。戦いの最中に目が合って思っただよ。理屈じゃねぇ、これは運命だてな。一目惚れてやつだっぺ」
独りよがりな歪んだ愛を伝えるが、少女は変わらず俯いたままで無言を貫いていた。
ウッホのずれきった思考回路はノーリアクションを好意的なものと捉え、大きな口を三日月に曲げた。
「にべさのー。おめぇを嫁に迎える説得力マシマシな理由に感動して声も出ねぇか。文句なしのラブストーリーだもんな。二人の愛の始まりがここにあるっぺ!」
妄想の極み。
歓喜のあまり尻を卑猥に動かすウッホへ、とうとう少女が沈黙を破る。顔をゆっくりと上げ、嫌悪に満ちた視線を向けて静かに言った。
「黙れ。さっきから一方的にベラベラと……。誰がお前の嫁なんかになるものか」
琥珀色の双眸も澄んだ声色も、怒気に染まりドス黒くなっている。
空気が凍った。拒絶の態度をとられるとは思ってもみなかったウッホは、あんぐりと口を開けて驚く。
額にも冷たい汗が流れる。目が泳ぐ大眷属は、狼狽えながら言い返した。
「つ、つつ強がり言ってられるのも今のうちだ! 人間共との戦いが終わったらミルン様のお許しを得て、オラとおめぇはシウバで挙式をあげるんだ! 敗北者に拒否権なんざねぇ、むしろ命を拾われたことに感謝して大人しく嫁になるのを受け入れろっぺ!」
ウッホに生殺与奪を握られている状況だろうが、自分勝手な欲望世界にむざむざ組み込まれてなるものかと、誇り高き彼女は真っ向から反発する。
「強がりなんかではない。ワタシはお前のお嫁さんにはならないし、なれないんだよ!」
それ以前に彼女は、眷属だろうが人間だろうが男性の求婚自体が受け入れられなかったのだ。
何故なら―‐
「ワタシは、男なんかじゃなくて可愛い女の子が好きなんだからな!」
一番の理由だった。嘘偽りない彼女の中にある強い想い、もとい性的趣向である。
衝撃。ウッホは頭部へ打撃をくらったように、一瞬意識が遠のいた。
「は!?」
あんぐりと口を開けたまま唖然とするウッホへ彼女もまた、諦めたくない性的欲望を決死の表情で訴え続ける。
「市井の初心な女の子とキャッキャッウフフしたいんだ! だから男のお前とは結婚などできん、そもそも邪神の眷属なんて論外なんだっ」
想定外過ぎる思いの丈を打ち明けられても、ウッホは簡単に認めるわけにはいかない。
「ななな! 男ではなく女同士がいいだと……そんなの、そんなの関係あるか!」
衝動的にそばにあった拷問道具の鞭を手に取り、思い通りにならない異性を傷つける。
「はぐぅッ!」
「何でッ、お前の性的趣向なんぞッ、考慮しなきゃならねぇんだッ! オラがおめぇを娶るッ! これは決定事項だっぺッ」
怒りのままに鞭を放ち続ける。
少女の白い装束は更に破け、柔肌も重ねて傷つく。
(誰でもいいから助けてくれ。このままでは、ワタシは……」
激痛に打ち震えながら涙を流し、心の中で救いを求める彼女の精神と肉体は、限界寸前だった。
アジャラ山の砦の廃墟に囚われる、ちょっぴりおませな少女の命運は――




