入山! アジャラ山 後編
「な、何なんですかアレはッ!? 何で皆パンツ一丁なんですか!」
「まるで身ぐるみでも剥がされたようだわッ。どうなってるの!?」
ルイとランナの目が点になる。
何故、どうしてこうなったと思考を巡らす前に、彼らが到達する方が早い。
ランナは大声で呼び掛けた。
「ちょっとアンタ達! 止まりなさいッ!」
脇目も振らずに爆走していた彼らも、ランナ達に気がついたのか目を見開いたが――
「グッ……お前らも逃げろ、大聖霊魔法だろうが使う間もなくやられるぞ! ここの大眷属は強過ぎるッ」
忠告するようにジョウが叫び返し、彼らは速度を緩めずにそのまま通り過ぎた。
まるで突風を受けたように、髪も衣服もはためく。
捕食者に追われる小動物の如く逃げ去ったジョウ達を見送って、しばしの間言葉を失っていた二人であるが、やがてルイから口を開いた。
「止まらずに通り過ぎましたね。大眷属が強すぎるって……」
「あいつらがボロ負けするなんて、面倒な奴なんでしょうね。何であんな格好になったのか、まるで分からないけど」
明らかなのは、ジョウ達は完膚なきまでにやられて、敗走の最中だったということ。
逃げてきたのなら、追っ手もいるかもしれない。
ランナとルイが、同時に嫌な予感がして顔を見合わせた、その時だった――
「ラ、ランナ? また前の方から騒がしい音が聴こえてきたんですけど」
「うん……今度はジョウ達の音の比じゃないわ!」
人間三人が地を踏みしめ走り泣き叫ぶ音よりも、大きな地響きとケダモノの唸り声が鳴っている。
ルイとランナが再度前方を見上げると、緩やかな傾斜の上から「奴ら」は姿を表した。
「ゲゲッ!? あれは!」
ルイが頓狂な声を上げた。
「毛むくじゃらのヤバそうなのがいっぱい向かってくる!? 町長さんが言ってたアジャラ山の邪神の眷属、黒狒だわッ」
ランナが指差しながら慌てふためく。
口を大きく開き、牙を剥き出して狂ったように喚き向かってくるのは邪神の眷属――黒狒の群れだ。
腹と顔以外の部位が黒い体毛で覆われており、瞳は不気味に赤く輝いている。大地を駆ける足のサイズは人間の大人の男より倍近く大きい。
両の掌も同様に分厚く、五指の先からは刃物の如き鋭い爪が長く伸びている。目と目の間隔が狭くて小さい鼻の下は長く、唇も人間より厚い。眷属であると同時に、獣人と形容するに相応しい外見である。
「とうとう来たわね、やるわよルイ」
ランナが呼びかけ、ルイが力強く頷く。
覚悟はすでに決まっている。
「勿論。さっそく仮面の効力を試す時がきました」
鳥顔の仮面を装着したルイはくぐもった声で、ランナへ早々に切り札使用を促す。
「ランナ、さっそく大聖霊魔法をお願いします!」
「えぇ!」
ルイが言い切るよりも早く、ランナは両手を前に翳していた。
敵方の距離と速度、魔法発現の時間を計算すれば一刻の猶予はない。右頬へ契約の証が浮かび上がり、身体は淡い光に包まれる。
「芳醇大酔香!」
白昼の山中で眩い閃光が発生し、先頭の黒狒達の視界を塞いだ。目を開けていられずバランスを崩して転倒していく黒狒達だが、本当の危機は次の瞬間にやってくる。
強烈なにおいが鼻腔に侵食。そして耐えがたい頭痛と目眩の状態異常に苛まれ、次々と悶え苦しんだ。
パニックの極み――絶叫を上げながら恐慌状態に陥り、なんとか起き上がるも後列の黒狒と同士討ちを始める個体まで出てくる有様だ。
ランナは期待通りの結果に、喜ぶよりも先に振り返り、
「ルイ大丈夫ッ!?」
相棒の激臭対策の効果を確認する。
ルイは多少ふらついてはいたが、倒れはせずしっかりと立っていた。
「はぁはぁ。ぐぅ――浄化の仮面を被ってもクラッとしますか……でもなんとかッ」
ランナが心配して駆け寄る。
ルイは頭を押さえながらも、仮面の内で強気に微笑んだ。
「あんた、本当に大丈夫なの?」
「動けるから大丈夫です。その証拠に、魔法だって唱えれますよ!」
「え、ちょッ!?」
突発的行動に驚くランナを尻目に、ルイは左手の人差し指で宙に聖霊文字を描き、崩壊した黒狒の群れへ向かって魔法攻撃を放つ――
「ウィンドスラッシャー!」
風の聖霊魔法。
ランナとルイの衣服がはためき、周囲の木々の枝葉も激しく揺れる。
渦を巻いて吹き上がる烈風が、黒狒達が倒れている場所へ局地的に発生した。多数の黒狒を巻き上げると同時に、鋭い刃物で幾重にも切り刻むかの如き風の斬撃をくらわせたのだ。
黒狒の断末魔の叫びが、旋風の音と混じり響いた。
小さな嵐が止み、地面に落下した黒狒達は肉体の限界を迎え、漆黒の気体に変わり空へ溶けていく。
「ハァハァ。どうです、私の風の聖霊魔法は凄いでしょう! ランナだけにいい格好はさせませんよ」
いっぱい撃破でえっへん。「美味しいとこ取り」をしてみせたルイは、大がかりな魔法の発現による疲労で息を荒くしながらも、親指を立てて健在をアピールした。
「ルイ……!」
ランナは安堵の息を吐き、ルイの手を取った。
「安心したわ。あたし程じゃないけど、これだけ激凄な魔法を使えるなら充分元気ね」
「一言余計です。激臭勇者のランナさん」
二人は軽口を叩きながら、前方の状況を視認した。
ウインドスラッシャーの直撃を免れた黒狒達も、芳醇大酔香の効力により未だ苦しみ喘いでいる。
眷属の群れは完全に崩壊したのだ。
「いい感じにイかれてる。いまのうちに行くわよ!」
「ですねッ」
勇者コンビは隙を逃さず走り抜けたが、眷属の巣窟と化した山で危機は一つに終わらなかった。
視界の端に映った黒い影を、ランナは見逃さない。
「ルイッ、木の上!」
高い木々の間から、一体の黒狒が飛び降りた。
「へ――うわわ降ってきましたッ!?」
ルイは驚き慄き、バランスを崩し転倒してしまう。
「ヒィィッ!?」
黒狒は好機を逃すまいと、彼女を狙って降下しながら凶悪な爪を振り下ろしたが、
「ルイッ!」
ランナが剣を抜いてすかさず間に入り、間一髪防御に成功。
「ランナッ!?」
仮面を突き抜けるルイの悲痛な叫びが、ランナの真後ろから響く。
黒狒の爪をかろうじて捌いたが、あまりの衝撃でぐらついた他、手が痺れて剣を落としかけてしまう。
(ヤバッ! なんて力に強度よ……!?)
少女達よりも遥かに身体のサイズが大きな黒狒の、非常な膂力に落下の勢いを加えた斬撃は規格外だ。
それでも獲物を仕留めれず後方に飛んで距離を取った黒狒は、青銅の剣を受けた短刀の如き強度の爪がいくつか折れた程度で健在。怒り喚きながらも再び動きだした。
(また来る! こうなったら……貴重だけどアレをッ)
殺意剥き出しの表情で吠えながら黒狒が突進。
大聖霊魔法は間に合わないと瞬時に判断したランナは、懐から「何か」を取り出し敵の足元目掛けてすぐさま投げた。
それは脆く地面に叩きつけられると砕けたが、同時に電流が発生したのだ。
ランナが投げたのは、雷の聖霊の聖霊石だった。
稲妻の奔流を全身に受けた黒狒は絶叫を上げ、堪らずよろけた。
ランナは弾かれたように駆ける。バランスを失って前のめりになった焦げ黒狒の喉元を剣で突き刺す。
当然絶命。黒狒は霧散した。
「ふー、やるじゃんあたし。少しは成長したわよね」
安堵の息をつき、思わず自画自賛を口に出した。
勇者として戦ってきた経験が、育った勇気が咄嗟の判断と最適な行動を導き出してくれたのだ。
「凄いですランナ。聖霊石にも助けられましたね」
ルイは感謝しつつ急いで立ち上がると、ランナの元へ駆け寄りながら上方を見上げた。
「うわぁ……」
仮面の下で流れる焦燥の汗は止まらない。
やはり一難だけでは終わらなかった。今しがた倒した黒狒だけでなく、他の個体も続々と木へよじ登り、落下攻撃を仕掛けようとしているのだから。
「まだまだきますねー。一体一体が灰鬼より強いし、キリがないです」
「芳醇大酔香をくらっても消えない奴らが殆どだったし、体力もそこらの雑魚眷属と比べられないわね」
総合的な強さは灰鬼よりも断然上だ。
勇気を更に奮い立たせたランナは、ルイに呼びかける。
「突っ切るわよルイ。町長の話だと峠は高原状になってて、そこから邪鏡結界が見えるだろうって」
「承知しましたが、あとどれくらいなんですかね?」
「分からないわよ。走って登れば必ず着くわ!」
「くぅぅ。頑張って下さい私の足ィィッ」
ルイは仮面の中で泣きながらランナの後に続く。
二人は黒狒の襲撃を時に躱し、時に魔法で撹乱し、時に剣で防ぎ、斬り込み、アップダウンが激しくなってきた山道を登り、やがて峠に辿り着いた。
開放的な高原。青き空の下に清涼な風が流れ、色とりどりの花が咲き乱れた鮮やかな風景が見えるが、ランナ達に自然の美しさを楽しむ余裕は皆無。
辺りを忙しなく見渡して発見する。道から外れた短草地帯の奥に、邪鏡結界の一端が姿を表していた。
「結界がありますよ。残念なことに結構遠いですが」
仮面の内側で息を切らすルイが、くぐもったか細い声で言った。もはや限界以上の体力を使っている。
「見えたけど、こんな調子であんなところまで向かうのはキツ過ぎるわ」
体力自慢のランナも、げんなりするように呟いた。
二人はある程度距離をとって振り返る。
「まずは邪魔な黒狒を迎え撃って、原っぱでごろごろ休憩としましょ!」
ランナは多勢の気配を感じて両手を翳した。
坂を登りきった黒狒らが集結してきたのだ。
狂気の叫びを轟かせ、凶悪な爪を振りかざして向かってくる眷属の群れを黙らせるべく、光輝くランナは必殺の大聖霊魔法を発現させる。
「来れるものなら来てみなさい! 芳醇大酔香ッ」
澄みきった空気を淀ませる激臭が、黒狒達の鼻腔にあますことなく浸食し、容易く身体を蝕む。
叫喚と共に総崩れになり、登ってきた坂に転がり落ちていった。
様子を確認すべくランナとルイは駆け寄った。
ピクピクと痙攣している個体もいれば、事切れて空気に溶けていく個体もいるようだが、いずれにせよ黒狒の群れは戦闘不能である。
「やった!」
ランナは握った拳を高くあげて喜んだ。
「やはり超強力ですぅ。ふぅ、やっと落ち着きました……よね」
追っ手を倒しきり、殺伐とした空気が消失した途端、ルイはへなへなと膝をついた。
「限界ですよ。幸いにも他の群れは今のところいないですし、ごろごろ休憩にしましょう」
「そうね。あたしも流石に激疲労困憊だわ」
そして仮面を脱ぎ取って緑の上に寝転がり、深呼吸をする。
「すーはー。う、くっさ……そうでした、まだ残り香があるんでした」
汗に塗れた顔が嫌悪で歪んだ。
激烈なにおいは弱くなりつつも、まだ漂っているようだ。
「美しい景観が台無しです〜」
片手で鼻を摘み、もう片方の空いた手でぱたぱたと顔の前をあおぐ仕草をするルイ。
その反応にムッとしたランナだが、ある意味で迷惑をかけているのは自身なので、反論せずに彼女も黙って横になる。
辺りはつかの間の静寂に包まれる。心地よい山の風が、二人の頬を撫でた。
残り香が消えてルイが鼻を摘む手を離した頃合いに、ランナが話しかけた。
「先はまだ長そうね。黒狒もいつ結界から出てくるかわからないし」
「覚悟はしていましたが、これ程とは。邪鏡を守ってる大眷属と戦う前に干からびてしまいますよ」
ランナとルイは、巨大に展開した邪鏡結界を厳しい表情で眺めた。
水分補給と休憩を終えて、二人の勇者はどちらともなく立ち上がった。アジャラ山での戦いは続く。




