その頃、レックス王国王都勇者学園では…… 前編
レックス王国王立勇者学園。
邪神ミルンの邪鏡結界を打ち砕くべく、国内各地を行脚する十代の勇者達を養成する機関である。
晴天の下。敷地内の屋外訓練場では、戦士科の生徒達が鍛錬に励んでいた。
臙脂色を基調とした制服を着た者達が、生徒達の木刀による素振りを真剣な表情で見ている。ネックス王国の騎士団だ。本日は数名の団員が指導員として招かれていたため、生徒達は平常よりも気合が入っている様子である。
そしてカリキュラムは進み、騎士団員を相手にした模擬戦が佳境を迎える最中だった。
さらさらとしたブロンドの長髪を風になびかせた、彫り深い顔立ちの初老の男が訓練場を訪れたのだ。
「カワイイタマゴ達め、精進しとるようだな」
赤を基調とした派手な上着を着ており、その下は肌着もなく、年齢を感じさせない古傷だらけのバキバキに割れた腹筋をインナーとしている。上質な黒い下衣を穿き、先の尖った革靴を履いた彼は、どこから見ても目立つ面妖な格好だ。
無精髭を貯えた派手な中年男の力強い眼光に生徒達はもとより、指導員である騎士達でさえ圧倒されてしまう。
絶対的強者のオーラを放つ彼は、
「代われ。俺が成長の度合いを測ってやる」
「ジャンナ学園長……!」
勇者学園の学園長、レジェンド元勇者――ジャンナである。
「学園長直々にご指導を!? 伝説のパーティーメンバーと剣を交えれるなんてッ」
「こわいけど……やってみたいわ!」
数々の武勇伝を持つジャンナが、直接指導をしてくれるというのだ。新たに入学した彼らにとって、実力を示せる初の機会である。生徒達は英雄との手合わせに不安と興奮で胸を高鳴らせた。
急遽として、ジャンナ学園長対戦士科生徒前半組の模擬戦が始まったのだが――
「どうしたオラァッ! そんなんでミルンや眷属共を倒せると思ってんのかコラァッ!」
ジャンナが生徒達が振るう木刀を軽く捌き躱しながらながら、怒声を響かせる。
「その人数で掠らせもできんのか! こっちは戦場に右手を置いてきちまったジジイ一人だぞ!」
吠えた通り、彼には右手がなかった。
邪神ミルンとの戦いで右腕を失った過去があるのだが、彼は腕が一つ足りなかろうが、複数人を相手に焦りもせず息切れすらしていない。
生徒達は何度も立ち向かったが、ジャンナは隻腕とは思えないくらいに剣撃が速く重く、少しも太刀打ち打ちできなかった。
満身創痍。もはや起き上がれない者達もいる。
しかし残る者達の表情には、諦めの色はない。
最後の最後まで勝利を信じて戦う。その心持ちなくして勇者にはなれないと、目の前の学園長その人に何回も教え聞かされているのだから。
「うぉぉぉッ!」
目配せをしあい、意を決して一斉にジャンナへ飛びかかるも
「ダリァッ!」
「うわぁッ!?」
隻腕から繰り出された強烈な一撃に、まとめて薙ぎ倒されたのだった。
左肩に木刀を担いだジャンナは、一太刀浴びせることも叶わない未熟な生徒達を見渡すと、残念そうに息を吐いた。
「何だ、もう終わりかぁ? せっかく騎士団の奴らが指導員として来てるんだぞ。俺達や奴らの魂を継いで前線に出る未来の勇者として、根性見せろやッ!」
たまらず激を飛ばすが、なんとか立ち上がった数名の中で、満足に返事ができる者はいなかった。
「学園長は未だ健在だ。強い、強すぎる」
「あの圧力は尋常じゃない。流石はガルナンの魔物を退治して回り、邪神ミルンも撃退してくれた勇者パーティーの一人……!」
模擬戦前半組の惨状を戦々恐々と眺める後半組の勇者の卵達が、ジャンナの圧倒的強さに驚嘆し、賞賛の言葉を呟く。
背は低いジャンナだが、戦闘時の威圧感は凄まじく彼という存在が何倍にも膨れ上がって見える錯覚すら覚える程だった。
もはや肉体の全盛期を過ぎたはずの初老が、少年少女といえど訓練を積んだ多勢に四方八方から次々打ち込まれても、涼しい顔で息を乱さず一撃も受けず、片手の力しかない木刀で指を弾くように全員軽々と吹き飛ばしているのは、異常な強さという他ない。
実際彼は、僅かな力しか出していなかった。
仮に騎士達の中でも猛者と言われる者達が多数でかかろうとも、ジャンナには勝てないと思わせる底の深さがあった。
「アレが、ドラゴンキラーと呼ばれた勇者の実力。規格外過ぎる……!」
眼鏡をかけた知的な印象の男子生徒が、畏敬の念をもってジャンナを見つめ呟いた。
初老だと感じさせない筋密度の肉体。全方位に優れた運動能力に驚異の持久力。生まれ持った奇跡の肉体を更に鍛え上げ人ならざる域に達し、ドラゴンという山を支配する空飛ぶ怪物を倒した彼の異名、それがドラゴンキラーである。
そんな生きる伝説と手合わせし、もはや気力のみで立っていた男子生徒の一人が、
「どうしたら、どうしたら学園長のように強くなれるんですかッ!」
荒い息を吐きながら、その強さの在処を問う。
「あん!?」
模擬戦の最中、予想だにしていなかった問いを受けて数瞬程考えたジャンナは、ニヤリと笑って思い浮かんだ最適解を答えるが――
「そんなんお前、ばーんとやってパッとしのいでスパーンてやるんだよッ!」
(感覚的過ぎてわかんねぇ……)
(そもそも質問の答えになってないし……)
問うた男子生徒のみならず、生徒達全員の心の声は困惑しかなかった。
学園長の指導力に皆が絶望する中、不安げに模擬戦を見守っていた騎士の一人が動いた。
「あ、あの〜学園長殿、流石にやり過ぎでは」
苦笑を浮かべながら声掛けた赤い短髪の太眉な青年は、騎士団の副団長である。
「いくら何でもこてんぱんにし過ぎです。これでは午後の鍛錬も皆ヘロヘロで動けませんよ」
彼が物申すと、ジャンナは目の色を変えて反論する。
「何甘っちょろいこと言ってんだオラァッ! 現場では命がけなのはオメェらが一番知って――む!?」
だが上空より飛来してきた「何か」の気配をいち早く察知すると、頭を上に向けた。
遅れて騎士団と生徒達が、青空の中から練習場へ向かってくる生物を視界に映し、目を見開いて指差した。
「何だアレは……デカいぞ!」
「人が乗ってる! ということは、あの御方はッ」
邪神の眷属が襲撃しにきたわけでもない。
この場にいる全員が見知った人物が、相棒と共に空から移動してきたのだ。
「グワッグワッ」
太くけたましい声で鳴く、全身が白い体毛に覆われた翼の生物は羽ばたきながら降下してきた。
やがて地表に着地したソレはまさしく鳥であり、人を乗せれるくらい巨大である。
丸くずんぐりとした体型に横長で丸い頭。瞳は黒色でつぶら。幅広く黄色い嘴を持ち、愛らしくも見える姿であるが、足の鉤爪は凶悪に鋭い。
大空を翔ける魔物――ダッコルだ。
ジャンナはニヤリとした。彼にとって大切な仲間、もとい同僚の帰還だった。
「指導にせいが出るな、学園長」
巨大鳥の魔物ダッコルと通じ合い余裕気に乗りならしていた人物が、ジャンナへ親しげに声掛けながら軽やかに降りた。
ギザギザした逆だった黒髪の、浅黒い肌の男だ。
大柄ではないが、筋肉がついて引き締まった身体に纏った筒袖の赤く鮮やかな長着は膝丈上までたくし上げられ、腰の辺りを黒色の帯で締めている。そして足元を飾るは、黒のハイソックスに獣の皮で作られた靴である。彼もジャンナに劣らずの特異な見た目をしていた。
「ザートル! 案外早かったな」
ジャンナは仲間の名を呼び、笑顔で出迎えた。
「バズが頑張ってくれたからな、目一杯飛ばしてこれた」
相棒を撫でて労った後、ジャンナへ向かって直ぐ歩いてきたザートルは、険しい表情になった。
「国内各地を見回ってきて、邪鏡を取り巻く現状を国王様へ先に報告してきた」
その重苦しい様相から、ジャンナは良い話ではないと察した。
「ご苦労。やはり状況は厳しいようだな」
ザートルは首肯して少し間を置き、静かに口を開いた。
「勇者達の様子も合わせて、詳しくは中で話そう」
「あぁ。昼休みの時間には早いが……もう入るか」
厳しい模擬戦の末、ヘトヘトになった前半組の生徒と「終われ、このまま終われ……」と心の声がダダ漏れで、すがるように見つめてきた後半組の生徒達を見渡しながら、ジャンナは言った。
「うむ。ミウにも伝えてくるが、そういえばポットダンはどこにいる?」
ザートルはこの場に何故かいない戦士科担当の教員の所在をジャンナに尋ねると、彼は苦笑しつつ肩をすくめた。
「腹を壊して便所に篭りきりだ。指導は騎士団の連中に託したとな。だから俺が出てきたんだよ」
ザートルは呆れた表情を浮かべる。
「アイツは……相変わらず腹が弱いな。まぁいい、行ってくる」
ザートルは訓練場を後にして、残りの教員にも招集をかけるべく校舎へと向かった。
そしてジャンナは何事かと様子を伺っていた騎士団の者達――副団長に呼びかける。
「おい、シェイド!」
「は、はい!」
離れた位置にいたシェイドは、返事をしたと同時に急いでジャンナの元へと駆け寄った。
「緊急職員会議だ。戦士科のガキ共の介抱は他の団員に任せてお前も参加していけ」
豪気な学園長の真剣な顔つきに口調を受けて、ただ事ではない事態だと副団長シェイドも理解した。
「わ、わかりました」
声が上擦る。
部下に指示を出したシェイドは不安を胸に宿し、ジャンナと共に校舎の中へ入っていった。




