ボスは大眷属! えぇと、名前はなんだっけ? 後編
「でも終わりよ。見るからに虫の息だしねッ」
ランナは集中し直すと剣を抜き、トドメを刺すべく駆ける。
対してメッズは、距離を詰めてきた敵に対応するどころではない状態だ。
「ぐぇぇッ、何が起きだッ! 臭い、臭すぎるッ。あのガキ、なんてデタラメなにおいを――」
手で鼻穴を塞ぐが、もはや遅い。
発生した毒煙の如き激臭を吸ったとほぼ同時に、身体の内側から異常が生まれた。
頭痛、目眩、異臭。頭痛、目眩、異臭。対処ができない。底の見えない苦しみが続く。
(光と同時に異臭が……何らかの聖霊魔法には違いないだろうが、アレはまるで)
主君に封印された、においの力で戦闘力を奪う異能を持つ大聖霊のようだとメッズが思った瞬間――目の前で靴と石床が接触する音がした。
朦朧とする意識の中、意地だけで頭を上げると一瞬で彼を追い込んだ紅色髪の少女が、不敵な笑みを浮かべて立っていた。
「どうかしら、メットさん。ヌンキ様の大聖霊魔法の効力は?」
「はッ!? ヌンキの、大聖霊魔法と言ったか!」 「えぇ。ヌンキ様の大聖霊魔法、芳醇大酔香よ」
「何と!?」
度肝を抜かれたメッズは、狼狽せざるをえない。
「クッ……何故だ!? 何故貴様がヌンキの大聖霊魔法を使えるッ。契約――いや! あやつはミルン様が遥か昔に石板に変えて彼方へ飛ばしたと!」
メッズは当時現場にはいなかったが、ヌンキ含め難敵だった大聖霊全てを封印した邪神ミルンの強靭、無敵、最強な武勇伝は知能を持つ眷属ならば知らない者はいない。
だから強運を持つ者が偶然石板を発見し、尚且つ破壊しない限り大聖霊は解放されないはずなのだ。
だが、霞む視線の向こう側の少女剣士が意味ありげな笑みを浮かべているため、メッズは最悪の可能性に勘づいてしまう。
「貴様、まさか」
「そのまさかよ。あたしの右頬を見てみなさい」
「――な! 何だそれは!?」
言われなければ未だ気がつかなかった少女の変化。
場を支配するランナは、したり顔で自らに起きた奇跡を明かす。
「これはね、大聖霊ヌンキ様と契約した証。アンタは信じたくないでしょうけど、あたしが石板にされたヌンキ様を偶然見つけて、解放しちゃったのよ」
強運の持ち主がここにいた。
彼女が呼び寄せた奇跡に、メッズは激しく動揺する。
「クソ! そんなこと――がぁッ!? 頭がッ……」
追い打ちをかけるように、頭部の傷みが更に酷くなった。
(クセェにおいは収まってきたが、このままではッ)
辺りに漂っていた激臭は次第に弱くなってきたが、目眩は治まらず頭痛も変わらず。気合気力で打破できる容態ではない。立ち上がることすら叶わないのだ。
氷の微笑を浮かべたランナは、剣を高く構えた。
「そんな感じ。あとは喋る話もないわね。じゃあ、手も足も出ずにソッコーで倒した仲間の仇を、そろそろ昇天させてやろうかしら」
執行宣言を告げられたメッズは、正気ではいられずプライドをかなぐり捨てる選択をとった。
「待て待てやめてくれ! こんなハズでは、何かの間違いだ! 俺が、大眷属の俺がッ」
声を振り絞り、人間に命乞いをしたのだ。
メッズに正常時の思考力が残っていたとしても、現実を直視できなかっただろう。絶対的強者である邪神の大眷属の自身が、小娘勇者に大聖霊魔法を振るわれ、為すすべもなく倒されると――
「何も違ってないわよ。さようなら、馬頭さん。あの世であたし達の仲間に土下座しなさい」
ランナは瞬間的に力を込めて、剣を振り下ろした。
「タンマタンマストップ――ヒヒーンッ!?」
屈強な獣巨人に似つかわしくない情けない声をあげて避けようとするも、五体は言うことを聞かなかった。
「はぁぁぁッ! それッ、だぁッ、イッちゃえッ!」
一撃では終わらず。
ランナは破邪の聖油で強化された剣を、何度も何度も馬頭に突き刺す。
声にならない絶叫を轟かせたメッズは頭部を垂直に張り上げた後、後方にズシンと大きな音を立てて倒れ伏した。瞳は生気を失って白くなり、巨体は崩れて霧散していく。
静寂……。
邪神ミルンの大眷属は、あっけなく生涯を終えた。
大仕事を終えたランナは、達成感と感激のあまり、
「フフ、フフフ。とうとうやったわよルイ! 邪鏡を守る大眷属を倒したんだ!」
飛び跳ねて狂喜乱舞した。
「見事過ぎです。大眷属に何もさせず勝つなんて!」
ルイはランナの元へ駆け寄って、鼻声で称えた。
未だに鼻を摘んでいるのは、先刻の出来事がトラウマになっており、空間内への効力がいつまで続いているのか気になり過ぎているためだ。
「最後の方は狂気すら感じましたけど。色々と大丈夫ですか? 急に強くなりすぎちゃった影響で、頭イカれてませんよね?」
次いで、おかしなテンションになっていた相棒を突っ込む。
事実、ランナは身体の内でゾクゾクとせり上がる「何か」に目覚めてしまったのか、恍惚の表情すら浮かべていたのだから。
「大丈夫だってば。今まで圧倒的に優位な立場になったことなかったから、少し興奮しちゃっただけよ」
じゅるりとたらした涎を拭いながら、祭壇後方へ設置された邪鏡に注目する。
「でもメットを倒しても終わりじゃないわ。肝心なアレを壊さないとね」
「邪鏡破壊。ようやくこの時が来ましたね」
ルイは邪鏡をまじまじと見据えながら、鼻を摘んでいた手を離す。
恐る恐る鼻呼吸をして、つんとした残り香に慣れなくて顔をしかめたものの、異常がないと確認して安堵の息を漏らした。
「流石にもう大丈夫でしょ。じゃあ、記念すべき第一歩を二人でバリンと決めに行くわよ」
ランナは片目を瞑ってルイの手を引いた。
自身の望みが一つが叶うため、気持ちが昂っている。その喜びを相棒と一緒に分かち合いたかった。
「あ――いいんですかランナ? 私、何もしてないのに、勲章をタダで貰うみたいでそんな……」
しかしルイは立ち止まり、申し訳なさそうな表情に小さな声で、遠慮気味に確認してきた。
「え!? いいに決まってるじゃん、ルイは激頑張ったわよ」
だがランナは、キョトンとした顔で返した。
相棒は何を躊躇うのか? といった心持ちである。
「体を張ってにおいを嗅いで、死にそうになるくらいえらい目にあってヤバさを実証してくれたわ。お釣りがくる活躍じゃん、何を遠慮してんの柄でもない」
「ランナ……!」
眷属らを一人で圧倒する力を手に入れようが、仲間と共に勇者業を行なっているのだと、ランナの認識がズレることはない。
変なところで真面目かつ気を使うルイを納得させるべく、彼女への熱い想いを伝える。
「勇者としての初体験はルイと一緒にヤるんだって、学園を卒業してからずっと決めてたんだからっ」
ルイがいたからここまで生きてこれたと。仲間がばっくれようが何度命の危機に瀕しようが、諦めの悪い自身を見捨てずに付き合い、体を張ってもくれる大切な相棒への感謝を忘れたりしない。一緒に初めての仕事を締めたいと、その一心である。
(ランナ、あなたって人は……)
勇者として相応の行動ができなかったのに、美味しいとこだけ共に取っていいものなのかと、心中で負い目を感じていたルイだったが、
「そう言って頂けるなら、お言葉に甘えましょうか」
ランナの想いが届いて納得し、相棒の手を強く握り返した。
「一心同体なんだからね、うちらは。行きましょ」
ランナは二カッとした笑顔で言った。
二人は祭壇へと向かう。
「うわぁ、近づくと更に気持ち悪いわね」
目と鼻の先に邪鏡がある。禍々しい空気感が更に濃くなったように感じられた。
ランナは深呼吸を繰り返した後、剣を構える。
「よし、一緒にやるからルイも握ってよ」
「はい」
ランナに促され、ルイは密着して剣の柄を握った。
「なんだか緊張してきました」
勇者として切望していた瞬間を迎え、興奮のあまり全身がゾクゾクするような感覚が生まれていた。
「あはは。あたしも一緒だよ」
ランナも同意だと、はにかんで見せる。
血が沸き立つ二人は、邪鏡へ向き直った。
「じゃあいくよ」
「えぇ、いつでもどうぞ」
『うん。そぉーおれッ!』
掛け声と共に、一緒に剣を振り下ろした。
バリン! と鋭い音が響いて邪鏡の硝子が砕ける。
呆気なく思える程に一瞬。だがこの一瞬を行うための一撃には、命を懸けて使命を全うした勇者達の勇心と、ガルナンの大地に住まう人々の想いが乗せられている。
ランナはこの一瞬の、初めて行う行為にかつてない程の達成感を覚えていた。
(これで貴女に少しでも近づけたかな、お姉さん)
勇者を志すきっかけとなった憧れの女性が脳裏に浮かぶ。たった一つ、されど一つ。世界を邪神ミルンの策略から解き放つための一歩。自身が想い望んでいた勇者の使命を遂行したには違いない。
ランナ達の活躍で、周辺の世界は邪神の眷属が這い出てくることのない元の様相を取り戻したのだ。




