ボスは大眷属! えぇと、名前はなんだっけ? 前編
「え、明るい!?」
「燭台に炎が……」
新たな空間に入ったランナとルイは、火が灯っているのに驚いた。
左右に立ち並ぶヒビ割れた列柱に設置された燭台の炎が、煌々と揺らめいている。
邪神の眷属以外存在しない、仄暗く危険な廃虚にいきなり人為的な明かりが加わったため、違和感しかなかった。
「灰鬼はいませんけど、これは一体……あれ、奥に誰かがいます!」
訝し気に辺りを見渡していたルイが何者かを発見し、ギョッとした顔で前方を指差す。
「うん、何かいる。まさか……!?」
ランナも同じタイミングで、相棒が発見した存在に気がついた。
「ほぉ、灰鬼の群れを乗り越えてきたか。今回の勇者共は当たりのようだな」
見つかった瞬間、野太い声で感心したように呟いたソレは、腰をおろしていた祭壇からのそりと立ち上がる。
ランナとルイは燭台の炎に照らし出された者の全身を視界に映して、ギョッと息を呑んだ。
上半身は半裸。筋骨隆々とした肉体は毛深く、肌の色はなんと茶色である。そして異様なことに、首から上は人ではなく馬の頭だったのだ。
「馬頭の巨人! どっからどーみても化け物ね」
「でかいですね。雰囲気からしてここの番人でしょうが……」
女子勇者二人が思わず声を震わせる。
馬頭は、体格がいい成人男性すら軽く越す巨軀を誇り、足先も人の形状ではなく馬の蹄そのものだ。多数の鋲が付けられた重量感ある金砕棒を肩に担ぎ、腰には赤い布を巻いている。
ビジュアルは紛うことなき巨大獣人――ミルンの眷属に違いなかった。
「マホホ。久しぶりに骨のある人間と戦えそうだ、トキメキが止まらないぜ」
独特な笑い声を発した馬頭は、恍惚の表情を浮かべながら言った。
口をクチャクチャと動かしながら見下ろしてきたため、ランナとルイは思わず後ずさる。
「こいつ、黒鼠の親玉よりヤバそう」
「こっちの方が絶対強いでしょうね、大陸言語も喋れて賢そうだし」
天上の神々の頂点である創造神が世界を造った際に、二つの大地の知的生物全てに与えたとされる大陸言語。そのコミュニケーションの手段を有しているだけで、馬頭はただの眷属ではないと察せれた。
そして何より発している威圧感が、長くはない勇者人生の中で対峙してきた眷属達とは比べものにならない程、強烈なのだ。
二人の見解を肯定するように、馬頭はまたも奇怪な笑い声を響かせる。
「マホホ、その通り。大陸言語も喋れん簡単な命令を聞くだけの有象無象と一緒にしてくれるな。俺はミルン様よりこの神殿廃墟の邪鏡を守れと仰せつかわれた大眷属、メッズ様よ」
堂々と名乗り、横へ位置を移した大眷属メッズ。
巨軀が壁になり、隠れていた邪鏡が露わになった。
祭壇の後ろに置かれており、少女勇者達の倍くらい大きく、禍々しい意匠を凝らした紫色の八角形の鏡である。
邪悪な波動を放っているように感じられ、ランナとルイは思わず怯んだ。
「気持ち悪い鏡が奥に。あれが邪鏡ですか」
「初めて見たけど気味悪過ぎ……でも、それだけでしょ。あれを壊せば結界も消えて、灰鬼達が鏡から出てきて暴れることもなくなるんだ」
「ですね。どんな鏡だろうと鏡は鏡、割るだけなら容易いでしょう」
それでも、恐怖へ負けないように二人は今一度、気を確かに持った。
しかし大眷属は、勇者の使命遂行を当然許さない。
「邪鏡を割ること自体は確かに簡単さ。だから俺はお前らの攻撃を全部防いで鏡を守るし、女だろうが容赦なく叩き潰すがな」
メッズは金砕棒を頭上で軽々回した後、ランナ達に棒先を向ける。
横長な黒い瞳から発せられた殺意と闘気を受け流しながら、ランナは問いかけた。
「ねぇ、大眷属さん。一つ聞くけど、あたし達がここに向かってるのを知ってたから灰鬼を神殿の中に集めさせたの?」
「いかにも。偵察の灰鬼から、久しぶりに勇者がきたと報告を受けたからな。少しばかり趣向を変えて遊んでやったんだよ」
淀みなく答えたメッズは、クチャクチャと口を動かしながら、愉快そうに語り続ける。
「灰鬼共を森や廃墟に散らすだけの遊び方だと、ここまで辿り着こうが大眷属の俺の前では話にならん連中ばかり、簡単に殺せてつまらなかったんだ。で、考えた。灰鬼総出で襲撃しようが、撃破してのける奴らだったら俺も楽しめるだろうってな。マホホ」
メッズはまた特有の笑い声を発し、値踏みするようにランナ達を眺めた。
「ふん。大眷属だとか勇者をいっぱい手にかけたとか、そんなこと言ってもあたし達は臆しないし、絶対負けないんだから」
ランナは自信満々に笑みを浮かべて前に出た。
対峙。戦う覚悟はすでにできている。
「そうやって息巻いてた連中は全て無様に散ったよ。マホホ、せいぜい俺を楽しませてくれ、チビ人間」
金砕棒を構えたメッズは、戦うに値するだろう勇者の来訪と久々の戦闘に心躍らせていた。
「ランナ、私達二人でまともに相手をして敵う相手ではないです。奴が動く前にアレを!」
ルイがランナに促し、彼女は頷き指示を出す。
「うん。ルイは鼻を摘んで向こうへ!」
ルイは左手で鼻を摘み、右手で左手含め鼻全体を包むという過剰な対策をとってランナから離れた。
「準備万端ですぅ!」
いきなり意味不明な行動に出たルイを、メッズは訝しげな表情で見据えた。
「あの魔法使い、これから戦うってのに両手で鼻を押さえやがった。何を……」
その間に、ランナは両手をメッズへと翳していた。
右頬にはすでに、聖霊文字の紋章が浮かび上がっている。
「よし! 驚きなさい、ウッズ」
メッズは眉間に怒りのしわを寄せた。
「俺の名はメッズだ! この――むぅッ!?」
腰に携えた剣を使わずに全身から光を迸らせたランナへ、メッズが警戒を強めた。
(全身が光っている! あの女、魔法剣士だとしても指先どころか全身が光る聖霊魔法など……!?)
知らない。
魔法使いや魔法剣士と幾多の戦いを経験してきたメッズでさえ、全身を輝かせる様相は見たことがなく、狼狽えるのも無理はない。そして距離があるため、ランナの右頬の小さな紋章にも当然気がつかない。
修練も積まずに奇跡の経緯で契約を成した大聖霊の魔法。においによる唯一無二の空間支配。
それが――
「芳醇大酔香!」
発声と同時に、全てを飲み込む勢いで輝く閃光が、メッズの視界を奪う。
「ぬぉぉ!?」
大眷属は反射的に、丸太みたいに太い両腕を眼前に交差させ、顔面を守った。
そして数瞬後、光はパッと消える。静寂の中――メッズは静かに開眼し、瞬きを繰り返した。
「な、何をしやが――はギィ!?」
すぐに異変は起きた。
大きな鼻で呼吸をした途端、激烈な香りが鼻腔を、嗅細胞を荒らしたのだ。
「あぐッ、何だこの臭い!? クセェクセェッ! 臭すぎるッハガァ――頭もイテェッ!?」
狂う。
頭の中がぐちゃぐちゃになる感覚に侵食されたメッズは巨体をぐらぐら揺らし、得物を両手から離して両膝をついた。
ランナはその有り様を見て、興奮に打ち震えた。
灰鬼のような小物だけではない。芳醇大酔香は強敵の予感しかしない大眷属にも同様に通じたのだ。
「やった! 大眷属相手にも大聖霊魔法が通じた――あ、ルイはッ!?」
喜ぶのは後からだと途中で意識を切り替え振り返り、鼻を摘んで対策をとっていた相棒の様子を確認する。
「やはり凄まじい……鼻を摘んで口呼吸に切り替えたのは成功でしたよ! 今のところ平気ですもん」
ルイは無事だった。
鼻を強く摘んでいるため、こもった声色である。
芳醇大酔香の使用後は、鼻で息を吸うと異常をきたすものの、口で呼吸するだけなら平気なようだ。
身を挺してのドキドキ耐性実験は、成功した。
ランナは安堵の息を吐く。
「良かったー」
「ひとまずは安心ですが、戦いはまだ終わってませんよ。馬頭は完全にやられてないみたいです!」
ルイは高揚しながらも冷静さを失わずに指摘した。
ランナが前方に視線を戻すと、メッズは祭壇の前でうつ伏せにまではならず、辛うじて四つん這いの姿勢を保っている。
「ぶっ倒れてない。大眷属って言うだけあって、ただの眷属と違うわね」
ランナは息を呑んだ。
油断大敵。大眷属と名乗るだけある耐久性だ。




