退路を断とう!
モンブの村を出たランナ達は、ワニという町に繋がる街道を歩く途中で、地図を片手に脇道へ逸れた。
町にはまだ至れない。見過ごせない未破壊の邪鏡がその先にあるはずだからだ。鬱蒼とした森の中に入り、警戒しながら進む。
程なくして、目的地に辿り着いたのだが――
「見えましたね……うわぁ、凄い。ここがかつて栄華を誇ったヒノエの成れの果て、ですか」
「廃都ヒノエ。話には聞いてたけど激ヤバね。森の中に昔々の街が残ってるだなんて驚きだわ」
ランナとルイは目の前に広がる、朽ち果てて植物と同居している古代都市の残骸に圧倒されていた。
「ヒノエは、ガルナンの大地が戦乱に揺れていた時代に滅ぼされた国の一つです。王宮は瓦礫の山と化しているそうで、敷地内に現存する大聖霊ソランを祀っていた神殿に、おそらく邪鏡が置いてあると。今となっては、街道を通る人達を脅かす邪神の眷属の拠点になってる厄介な廃墟群でしかないですが」
ルイが得意げに廃都ヒノエの歴史と現状を解説した。
ランナは遠くに見える神殿廃墟を、真っ直ぐに見据える。
「あの蔓草まみれでボロそうな、邪鏡結界に覆われた大きな建物ね」
淀んだ巨大な膜のようなものーー邪鏡結界が周囲に張られているのもうっすらと確認できた。
「よーし。それじゃ、早速行きましょ」
「えぇ。気をつけないとですが」
二人は、蔓まみれの廃墟が立ち並んでいる長い通りを、恐る恐る進む。崩れた建物の陰や上方まで注意しつつ、神殿付近に到達した。
聳え立つ石造りの重厚な神殿も現在は緑と一体化しており、邪鏡結界にすっぽり包まれている。
「ここの邪鏡結界は建物の周りだけにある系のやつだけど、やっぱり近くだと一段と大きく見えるわ」
ランナが邪鏡結界を見上げ、指でぽんぽんと弾きながら言った。結界の規模は一様ではないのだ。
「てかさ、街道でもだけど森の中からここまで眷属の一体とも出くわさなかったのが不思議、というか不気味よね」
「ですねぇ。街道を通る隊商の護衛の数が多かったですから、頻繁に眷属が出る道なのかと覚悟を決めてましたが、そこから敵陣に近づき侵入しても何もなしとは。今日はたまたま休業日だったんですかね」
「んなわけないでしょ。歩いてきた通りの廃墟以外にも隠れる場所はいくらでもあるし、油断禁物よ。何にせよ神殿の中には絶対いるでしょうし」
ランナとルイは訝しげな表情で辺りを今一度眺めるが、崩れた石の柱や壁の向こう側からは邪神の眷属の気配すらしない。鳥のさえずりや風の音が聴こえてくるのみだ。
「ま、それはそれとしてですがランナ」
ルイが話題を変える。
彼女の視線はランナへと注がれた。
「いよいよ見れるんですね、大聖霊ヌンキのにおいの力が」
「そーね。あたしも今から激ドキドキしてる。早く使ってみたいわ」
ランナの方は不安はなく期待しかないようで、胸に手を当て高鳴る鼓動を感じ、うっとりすらしていた。
「私達の辛い状況を好転に導く切り札だと願っていますが、結局一回も試してないのは懸念点ですね」
ルイがいささか不安げな表情で言った。
「だって具体的な範囲も持続時間も教えられなかったのよ。試し使いして、もしもそれが邪鏡結界並の範囲で長時間持続する激ヤバ効力だったら、関係ない人に迷惑かける可能性大でしょ。だから結界の中で眷属相手にぶっつけ本番で使った方がいいって」
ランナの考えを受けて、ルイは顎に手を当てて思考を巡らす。
「うーん。大聖霊ヌンキはにおいの力で相手を動けなくするという逸話がありましたけど、大聖霊の中でも一番早く石板にされてしまったせいか、効力の具体的な記述までは残ってませんからね。そこんとこ、ちゃんと確認できなかったんですか?」
「それがね、話を聞いてる途中でヌキア様の精神世界から、時間切れだって締め出されたの。起きてからまた出た時も、短い時間で会話終了して眠っちゃった。余計な干渉はしないて言ってたからか、あれから聞きたくて話しかけてもうんともすんとも言わないし」
ランナはお手上げと言わんばかりに肩をすくめた。
「不親切な大聖霊ですねぇ。はぁ、またいつもの行き当たりばったり戦闘になりますか」
嘆きのルイがため息を吐いた。
気がかりでしかない彼女とは対照的に、ランナは楽観的だった。
「アハハ。まーでも大聖霊魔法なんだから、凝ったこと考えなくてもいけちゃうんじゃないかなーって」
「強い決意を語ったわりには見通しが甘すぎですっ」
そんなお気楽ランナを、ルイがジト目で見つめる。
「う……さ、さぁルイ! 今日も元気に頑張ろー!」
ルイの視線が痛くていたたまれなくなったランナが、逃げるように邪鏡結界内へ入ろうとした、その時。
「ちょっと待ったー!」
「え!?」
耳馴染みのある声に妨げられ、弾かれたように振り返った二人は、不快感に溢れた表情になった。
「ヒノエの邪鏡を割るのは、ボク達だッ」
やってきた者達は、同期の勇者パーティ――ジョウ一行だったのだ。
「うげぇ、ジョウ!」
「お供のダブとステップ!」
二人は苦々しい声で彼らの名を呼んだ。
「あーもう、何でまた狙ってた邪鏡の場所が被るかなぁ!」
ランナは頭を抱えてうんざりするように呟いた。
ジョウはふんと鼻を鳴らし、
「向かってる方向が同じだったとはな。そもそも忠告を忘れたのかお前ら。適正がないし命に関わるから辞めろと言ってやったのに、諦めの悪い」
毎度の小馬鹿にするような口調で不愉快な言葉をかける。
「ここはジョウ様が目をつけてたところだ。大人しく譲りな」
ダブが続き、ステップは嘲うようにニヤニヤしている。
普段は争い事も面倒で静観するルイも、あまりにも手前勝手な理由にカチンときて、抗議の声を上げる。
「なんて勝手な。先に着いたのは私達ですよ」
「うるせぇぞ、ちびルイ。お前はそもそも身長が勇者になるには足りてねぇのに、何で合格できたんだよ」
ステップがおちょくり、ジョウとダブが馬鹿にするように笑った。
「勇者に背の高さの規定はありませんっ」
ルイは犬のように歯を剥き出しにして怒り、加えて言い返す。
「厄介な人達ですねー。言動も立ち振る舞いも勇者どころかその辺のゴロツキと変わらないじゃないですか。そんな人達に譲れだの辞めろだの言われる筋合いはないですよっ」
だがその返しに、ジョウは納得いかなかったようだ。
「何を言っている。ボクは何回言っても理解できない可哀想なおつむのお前らを見捨てようとせず、慈悲の心で繰り返し忠告してやったんだぞ。文句を言われる覚えがないのはこちらの方だ」
ランナ達に向けてビシッと指差すと、偏った見方全開の持論を述べはじめた。
「学園を卒業しようが、国に仕える騎士や魔法使いの家系でもない有象無象が勇者になったところで、邪神の眷属とすぐに渡り合える程甘くない。そもそもセンスのかけらもない平民が勇者になること自体が間違いなのだ。現に失敗続きのパーティーはそんな連中ばかり。その中のお前らも、これまでの戦いで己の無力さを感じたはずだろう?」
ランナは偏見まみれな主張を聞いて、黙っていられなかった。
「関係ないッ!」
ついに激昂。
その場にいた全員が鋭い声に圧倒された。
「勇者になるのに家柄も身分も関係ない! 大切なのはミルンと眷属に怯える人達を守り、身を犠牲にしてでも奴らに立ち向かう勇心を持つことッ。それさえあれば誰だって勇者になれるんだよ! 学園長の受け売りだけどさ、あたしもそう強く思ってる」
ランナは信じ続ける想いをジョウにぶつける。
熱のこもった語りは、どんな者の心も痺れさせる凄みがあった。仲間のルイは勿論、相性最悪のジョウと他二名でさえ聴き入ることを余儀なくされた。
しばしの沈黙の後、気圧されていたジョウがやっと口を開いた。
「うぐ……でもお前が弱いのは事実だろ。未だ使命の一つも果たせてないんだ。一丁前に勇者を語ろうが、学園長の言葉を体現できてないじゃないか」
苦し紛れの指摘だが、正論でもあった。
お供の二人も同意だとうんうん頷き、相棒が痛いところをつかれたルイは苦い顔を浮かべる。
ズバっと心を抉られたランナだが、口だけでは終わらない。決心はついていた。
「わ、わかってるよ! 失敗を繰り返して使命を果たせてないのも。だからさ、あたし決めたよ」
ランナは意を決した顔つきで、ジョウ一行へ向き直る。
「アンタらのお望み通りここの邪鏡を割れなかったら、勇者は辞める。勇者手帳も目の前で破り捨ててやるわよ」
「ちょッ、ランナ!?」
ランナの衝撃宣言にルイは動揺してのけぞる。
ヤケクソのような意思表明を受けたジョウは、調子を取り戻し、意地悪く唇の両端をつり上げた。
「ほう。その言葉に二言はないのだな」
「ないわよ。大聖霊ヌンキの名の下にね!」
そう言うとランナはジョウ達の元へずかずかと接近し、顔をずいと近づけた。
「……!?」
いきなりの意味不明行動にジョウ達は揃って戸惑うも、ランナの表情は真剣でふざけている様子はない。
「子供騙しじゃないってコト、証明してやるわ。顔料で描いたのかどうか、もう一度よーく見てなさい!」
直後、右頬へ契約の紋章を発現させたのだ。
目の前の人物に突然起きた奇跡の現象に、ジョウ、ダブ、ステップはぎょっとして飛び退いた。
「ムォッ!?」
「おいおい! ランナの右頬に何か浮き出てきた!」
「指も動かしてなかったし顔料なんかじゃねぇッ。本当に今! 浮かんできやがった!?」
仰天のあまり、冷静ではいられない。
ランナは勢いそのままに、続けて言い放つ。
「本当だったでしょ。あたし達が邪鏡を壊してくるのを、そこで待ってなさい。成功を見届けたら、あたし達が勇者を続けるのに二度と口出ししてこないで」
ジョウ達は口を開いたまま、何も言い返せない。
顔料の細工ではなく既知の魔法でもない、見たことのない現象を始まりから終わりまで眼に刻んだ彼らは、不本意だろうがランナの話を信じざるを得ない。
沈黙を了承と捉えたランナは、ジョウ達に背を向けてルイへ声をかける。
「あーすっきりした。顔料で描くワケないでしょっての! さてと、ちゃっちゃと行くわよルイ」
一泡吹かせれて溜飲を下げたランナは笑みを浮かべたまま邪鏡結界内へ入ると、すたすたと朽ち果ての神殿へ向かっていく。
「ま、待って下さい!」
呆気にとられていたルイが、慌てて彼女の後についていく。
「ランナ、何言ってるんですか! 勢い任せで相談もなしに……失敗したら勇者を辞めるなんて」
イライラにそわそわと感情の波が忙しないルイが、勝手に望まない方向へ話を進めたランナに抗議するが、
「勝手に言ってゴメン。でもアイツが言ってることも一理あるし、考えなしで言ったんじゃないのよ」
当の本人は表情にも余裕があり、冷静に現状を認識していた。
「絶対諦めたくないけど、勇者は遊びじゃない。失敗続きだと怪我じゃすまない時がくる。そうなったらルイもあたしも目標どころじゃなくなるよ。それに大聖霊魔法を手にしても邪鏡の一つも壊せないんじゃ、あたしには勇心を語る資格がなかったって話になるわ」
「ですがッ……」
隣に歩く心配でたまらない相棒へ、ランナは強気に満ちた言葉をかける。
「なんて言ったけど、失敗する気なんてさらさらないから安心して。大聖霊ヌンキ様は絶対あたし達を勝利に導いてくれる。必ず邪鏡を割って、あいつらをぐうの音も出ない程悔しがらせてやるんだから!」
「ランナ……」
大聖霊魔法を一度も使用していないのに、必ず成功するという謎の自信で溢れている。
(勇気さえあれば誰だって勇者になれる、ですか)
勇者への熱い想いを迸らせるランナに感化され、ルイの憂いは薄くなっていく。
そして、自然と笑みまで零れたのだ。
「ん? 何がおかしいのよ」
ウケを狙ってもないのにルイが小さく笑ったため、ランナは不思議そうに首を傾げた。
「いやー、ランナと話してると心配事もパッと晴れちゃうなって。きっと上手くいきます。厳しい現実なんて百も承知ですし、いっちょやったりましょうか」
「そうよその意気! 分かってきたわねールイも」
「ランナの能天気さが移っちゃいましたよ。今日こそは勇者の使命を果たした記念すべき日にしましょう」
正念場を前にしても、二人の足取りは軽かった。
段差を上り、倒壊した列柱をよじ登って崩れかけの門をくぐったランナとルイは、神殿内部へと足を踏み入れた。




