あたし、勇者になりました。
今より十年くらい前の話。
どんよりとした曇り空だったあの日……。起きたこと全てが衝撃過ぎて、あたしの人生は想像だにしない方向へ転換した。
あたしにとって空虚に映る世界での仮初の平穏は、
地鳴りと共に「向こう側」からやってきた奴らによって破られた。
争いと悪行が大好きな邪神ミルンの眷属達が、長大な防御壁を突破して王都を襲撃してきたのだ。
迎え撃つ兵士や魔法隊の抵抗空しく建物は破壊され倒壊していき、家々は火に飲まれた。逃げ惑う人達の悲鳴が響き渡り、そこら中に死骸の山ができた。
家の窓の向こう側に映る凄惨な光景が、あたしの視界を黒く塗り潰していった。
あたしが当時住んでた国の王都は、ミルンと眷属達の世界である向こう側――闇の大地シウバから一番近い位置にあるから、遅かれ早かれ攻め込まれるのは目に見えていた……というか、奴らとの争いは今に始まったことでもなく、昔々から殺り合ってる悪夢みたいな定期行事なんだって。
それでも、巻き込まれる側はたまったもんじゃないよね。初めて体感してしまった人ならざる者達との戦争に、幼かったあたしは恐怖の連続で気が狂いそうだった。
だから家の中で目を瞑って震えてたけど、しばらくしてふと思った。このままだとミルンの眷属達に見つかって殺されるか、家ごと潰され下敷きになっちゃう。幼ながらに現実と戦う覚悟を決めて怖さを吹っ切れたのか、気がついたら……あたしは一人で家から出て走ってた。
見慣れた街並みはどこだかわかんないくらい壊れてて、黒煙に覆われてた。眷属の特殊な力か魔法使いが放った魔法攻撃かが明滅して目がチカチカして、怒号のような叫び声が色んな所から耳に入ってきたんだ。
あたしは狂気に染まった世界を無我夢中で走ったけれど、途中でヤバそうな眷属が二体で道を塞いでたんだよね。
灰色の肌の巨人だった。目、口、鼻がない不気味な眷属。どうやって気配を感じ取っているのか知らないけど、そいつらは戦ってた兵士達を薙ぎ倒した直後にあたしの方へ振り返った。
でっかくて顔がつるつるで、デカい斧を持っててとにかく怖すぎ。尋常じゃない圧力が伝わってきた瞬間、足がすくんで動けなくなっちゃったんだ。壊れかけた家の窓からこっちを見ていた子供と目が合ったのは、今でも覚えてる。
巨人達は斧を担いで、大きな足音を立てて近づいてきた。その時、悟っちゃたんだよね。あー、ここであたしは死んじゃうんだって。
天上の神様に祈ろうが助かりっこない。あたしはさっきまで一緒にいた嫌いな母とほぼ他人なニセモノの父よりも、隣国で暮らしてる兄と本当の父のことが頭の中に浮かんだ。
「父さん、兄ちゃんッ」
一体の巨人が斧を振り上げた瞬間、あたしは瞳を閉じた。
「……!?」
だけど、一向にも斧は振り下ろされなかったの。
恐る恐る目を開いてみたら、驚いた。
何故なら、いつの間にか鎧を着た金髪のお姉さんが目の前にいて、剣で巨人を両断していたのだから。
そりゃ茫然とするわ。助けてくれたお姉さんは、
「間に合って良かったー。怖かったよね、もう大丈夫だよ」
そう言ってあたしに微笑んだ。
お姉さんの力強く暖かい笑顔も鮮明に覚えてる。
そこから強いお姉さんと数人の仲間達、そしてお姉さん達が連れてきたこの国の軍でない兵士に魔法隊が加勢してくれて、眷属達を追い払ってくれたんだ。
仲間の人達もお姉さんみたいに尋常じゃなく強かった。兵士や魔法隊の人達を指揮して戦って、たくさんの人が助かった。だから王様もめっちゃ感謝してた。皆は激カッコいいお姉さん率いる仲間達を勇者だと、口を揃えて称えた。
その言葉が幼いあたしの心に激、激……焼きついた。
勇者――なんてステキな響きなんだろう。
すぐにあたしは決意した。大っきくなったらお姉ちゃん達みたいな勇者になって、闇の大地にいるミルンと眷属を、まとめてぶっとばすんだって。
空のどんより雲が晴れて、勇者になるという目標が生まれた。そして身寄りがなくなったあたしは、隣国へ疎開する人達に混ざって故郷へ帰ることになった。
お姉さん達とはここでお別れ。このままシウバに進軍して、邪神ミルンを討ちにいくのだと。
お姉さんは言っていた。お姉さん達と一緒に戦ってる隣国とあたしがいた国は、ミルンへ対抗するための同盟を結んでいたのだと。元々こちらから攻め込もうとしていたらしく、軍事作戦へ参加するために向かっていたところへ、逆に先手を打たれる襲撃があった。
煙と火に包まれた王都を確認して、急いで駆けつけたのだそうだ。
お姉さんと別れて寂しい気持ちになったけれど、故郷の村へ無事帰れたあたしは兄と父とも再会を果たして、また一緒に暮らすことができた。
貧しくも幸せな日々は、勇者のお姉さん達が敵地で戦ってくれているからこそ送れる尊い日常だと強く思った。信じていた明日はこのまま続いていく。勇者への憧れが大きくなる日々の中で、人生二度目の衝撃的な出来事は突然訪れる……。
空が澄み切るくらい青い日だった。闇の大地での激闘を終えて王都へ帰還途中の勇者率いる軍が、村を通り過ぎたのだ。
また勇者のお姉さんに会える――期待に胸を膨らませたあたしの希望は、儚くも打ち砕かれた。
お姉さんの姿がなかった。皆、悲しい顔で下を向いて歩いてた。誰かがお姉さんらしき名を呟きながら泣いていた。事情を察したあたしの心に、ぽっかりと穴が空いてしまった。
それから十年が経って、世の中はミルンが仕掛けてきた「面倒事」のせいで滅茶苦茶状態になり、つかの間の平穏は国を跨いで崩壊しちゃった。
悲しくて辛い……でも、あたしはめげなかった。
お姉さんみたいに強くてカッコいい勇者になって、人間を悩ますミルンと眷属達をぶっ倒して仇をとる!
その一心で頑張って、まずは勇者の端くれになることができたんだ。
心の中で生きるあの日から変わらない憧れの姿と共に、あたしは同じ志を持つ仲間達と歩き出した。