第69話 天軍 VS 悪魔
マグディエルは、痛む胃のあたりを手でおさえながら、ちらちらと、ふたりを交互に見た。するどい視線を交わすミカエルとベルゼブブの姿がある。
ベルゼブブが挑発するような微笑みで挨拶した。
「これはこれは、天軍の頭のミカエル様じゃないですか。お久しぶりですねえ」
ミカエルが、嫌そうな顔をして言った。
「お前とルシファーの仕業か」
「わたしのせいじゃありませんよ。わたしだって、今来たばかりなんですから。そうでしょう、マグディエル?」
話をふられて、マグディエルは、ミカエルとベルゼブブにことの経緯を説明した。
明星決戦で小太陽が誕生した結果、冥府の門が開いたことを説明しながら、なぜか、申し訳ない気持ちになる。
別に自分が悪いわけでもないけれど。
あまりにばかばかしくて。
ミカエルが天をあおぐようにして舌打ちした。
出てしまっていますよ、素が。
ベルゼブブは楽しそうに笑って言った。
「いいですねえ、ひさしぶりに、めちゃくちゃしょうもなくて興奮してきちゃいました、わたし」
ミカエルがぼやくように言った。
「あのふたり、暇だからって、わざとやってるんじゃないだろうな」
マグディエルもミカエルもベルゼブブも、テニスコートを見た。
イエスとルシファーが、光るボールを楽しそうに打ち合っている。光るボールのせいで難易度が上がったのを、まさか喜んでいるんじゃないか、あのふたり。
それにしても、暇?
あのふたり、暇なの?
それはそうと、マグディエルはミカエルとベルゼブブに聞いた。
「おふたりは、知り合いなんですか?」
ベルゼブブが答える。
「わたしたち、元同僚ですよ」
「えぇっ!」
「ミカエルが泣き虫の頃から知っています」
「おい、やめろ」
ミカエルが嫌そうな顔で割って入った。
ミカエルが、泣き虫? まったく想像がつかない。
ふと、そこに、一体の座天使がやってきた。座天使は座天使だが、目玉のまわりにまとう三つの輪っかが、金色ではなく黒鉄色だった。なんだか、アクセサリーみたいなものもじゃらじゃらとつけている。悪魔側の座天使だろうか。大きなカゴをぶら下げている。
座天使はカゴをゆらして、「どうぞどうぞ」というように差し出してきた。
中身をのぞいてみる。
ん?
紙巻の、たばこ?
ミカエルが座天使に向かって言った。
「おい、おまえ、御座でマリファナをくばるな」
えっ。
ナダブが興味津々といった様子で、カゴの中をのぞき込む。
ミカエルが片耳に手をやって言った。
「おまえたち、悪魔どもがドラッグ配り始めてるぞ。止めろ」
あまりに普通に話す声だったが、天軍への命令だろうか。
「ここから、その声で天軍のみなさんに聞こえるんですか?」
「インカムだ」
ミカエルが耳にかかる髪をかきあげると、インカムがあった。
最新~。
次に、智天使っぽい悪魔が来た。ひと、しし、うし、わしの顔はそのままだが、四枚の翼が黒い。どの顔にもピアスがたくさんついている。
「ブブ兄さん~、お疲れっす~」
ベルゼブブは手をひらひらっとして答えた。
智天使は、人好きする笑顔で、マグディエルに向かって言った。
「あ、お兄さん~、地獄が似合いそうな顔してる~。良かったら、これ、どうぞ!」
なにやら三つ折りのパンフレットのようなものを渡される。
見ると『快適な地獄暮らし! 地獄ってこんなところ!』と書かれている。
ミカエルが智天使に向かって言った。
「それは天国で配るな。地上でやれ」
地上は、いいんだ……。
「あ、やっぱりだめっすか~」
「あたりまえだろ」
ミカエルがまた耳に手をやって言った。
「おまえたち、悪魔どもが配ってる地獄勧誘パンフレットを全部回収しろ」
マグディエルは回収される前に、と開いてみる。
中身はこうだった。
『こんなの天国にない! 高級な家に、高級な車、贅沢な食事に、自由もある! 趣味もセックスもドラッグもやり放題!』
おぉぉ……。
黒い翼の智天使がさっとマグディエルに近づいて、小さな声で耳打ちする。
「お兄さん、かわいい女の子好き? 地獄にはサキュバスちゃんもいるんで、不慣れな天使でもちゃんとぼっ」
「おい、やめろ」
ミカエルが智天使の肩をつかんで、ぽいっと向こうへやった。パンフレットもミカエルに奪われる。
つぎに、まるで絵画に出てくるような幼子の天使が来た。
ぷくぷくのほっぺに、小さな手、翼まで小さく、羽ばたきまで愛らしい。
か、可愛い!
このタイプの天使、はじめて見た‼
後ろからアズバの「かわいいッ!」と叫ぶ声が聞こえた。
愛らしい幼子の天使が、マグディエルの手に、そっと何かをにぎらせた。
小瓶だった。
ラベルはなんだか難しい漢字が書かれていて読めない。
ミカエルが愛らしい天使に向かって言った。
「おい、ちいさいの、凄十をくばるな。マグディエル、すぐ返せ」
凄十?
なんだろう。
ミカエルがまた耳に手をやって言う。
「おまえたち、悪魔どもが配ってるものすべて回収しろ。あいつら精力剤まで配り始めてるぞ」
精力剤だったのか。
どんな、味がするんだろう。
ちょっと、気になる。
マグディエルがしぶしぶ、幼子の天使にその小瓶を返すと、幼子の天使は小瓶を受け取るふりをして、さっとマグディエルの袖の中に小瓶をいれた。まるで熟練の詐欺師のような早業だった。
幼子の天使が、マグディエルに向かって、微笑んで頷く。
マグディエルも頷いた。
幼子の天使は、満足したように飛び去った。マグディルはそっと、袖口をおさえて手を降ろした。
ふと、なんだか上空を旋回している天使たちの数が、急に多くなったような気がした。
マグディエルは上空に目をこらした。
座天使の数が妙に増えている。それも、金色の輪っかをつけている座天使だ。悪魔や天軍の天使に、何かを渡して回っているようだった。客席にも配っている。
数体の金色の輪っかの座天使がこちらに飛んでくる。
大きな袋をぶら下げていた。
座天使は袋の中から、全焼のいけにえパイ十六個入を、マグディエルたちに一箱ずつ渡した。イサクの笑顔がまぶしい箱が、みんなの手におさまる。
座天使の三つある金色の輪っかの一番外側の輪に、QRコードの紙が貼りつけられている。座天使は、それを、ずい、と前に突き出した。
紙に『御座公式ラインのお友だち登録よろしくね!』と書かれている。
急に増えた座天使たち、もしかして、御座シティの広報担当なのかな。
ミカエルとベルゼブブがスマホでQRコードを読み込んでいる。
お友だち登録……、するんだ。
広報担当っぽい座天使たちは、お菓子やジュースなんかも配り始めている。
会場の空気が、妙にリラックスした感じになりはじめた。
観客席のひとびとも、悪魔がちょっとやばい物を渡してくるだけで、何も攻撃してこないと理解したのか、談笑しながら、その様子を楽しんだり、全焼のいけにえパイをつまんだりして、イエスとルシファーの打ち合いを楽しみ始めたようだった。
悪魔たちも観客席に降りたり、コートのはじによって、全焼のいけにえパイを食べたり、ラインのお友だち登録をしつつ、イエスとルシファーの試合を見ている。
天軍は、悪魔からいけないものを回収して回っているようだが、ちらほら談笑している姿もあった。
あ、なんか、もしかして、楽しいかもしれない。と、マグディエルが油断した瞬間、急にテニスコートの光がまぶしくなった。
イエスとルシファーが光のボールを打ち合い続けているが、いまはもう、お互い動き回らず、殴り合うように真正面きって打ち合っている。
打ち合うたびに、どんどんボールのスピードが速くなる。
速度を増すにつれて、光が強くなった。
だんだんイエスとルシファーの動きが早すぎて、姿がぶれて見えはじめる。
ルシファーが打った瞬間、衝撃音がした。空気がはぜて、白い雲のような衝撃波が広がる。
「音速こえたな」
ミカエルがそう言ったあと、イエスとルシファーはさらに早くなりすぎてもう、姿が見えなくなった。色の残像だけが見えた。
急激に光が強くなる。
まさに太陽の輝きだった。
あたりが完全に光につつまれる。
闇を打ち消すほどの光があった。
そして、先ほどの音速をこえた衝撃音とは比べ物にならないほどの、とんでもない衝撃音があたりに響いた。
マグディエルは思わず叫んで地に伏せた。
音がおさまると、光も明滅しながら、徐々におさまる。
光が消えると、そこに闇はなく、青空とテニスコートが広がっていた。
地に伏せたのは、マグディエルだけではなかった。観客席の人々も、身を伏せて、おそるおそる、テニスコートをのぞいていた。悪魔と天使も、地に伏せるか、観客席にしがみつくみたいにしてとまっていた。
静けさが、あたりを包む。
昼下がりのテニスコートに、イエスとルシファーが佇んでいる。
ふたりとも、ラケットをおろして、お互いを見つめていた。
どうなったんだ。
イエスが静寂をやぶった。
「ボール、はじけちゃった♡」




