第66話 マグディエルの告白
マグディエルは、ベッドに横になって、YouTubeを見ていた。
ネットとスマホがあるって、快適。
目が疲れてきて、スマホを放り出し、ごろりと仰向けに寝転がる。両手を広げても、ベッドの外に手が出ない。
これって、キングサイズなのかな。
ふかふかだな。
こんなベッドはじめて。
ロトが案内してくれたホテルは高級感のあるつくりで、いかにもリゾートホテルという雰囲気だった。それぞれに鍵が渡される。鍵にはアクリル製のバーがついていて、御座ホテルズ&リゾーツの文字が刻印されている。
用意された部屋は、ひとりにつき、ひと部屋だった。
夕食の時間まで、各自部屋でゆっくりしよう、ということになった。
マグディエルは、ベッドに寝転がって、ぼーっと天井を見上げる。
なんだか、さみしい。
女の姿のままだから、姿を変えてもらうのを口実に、アズバの部屋に遊びに行こうかな。
そのとき、こんこん、と扉をたたかれる。
あけると、愛らしい少女の姿をした天使が立っていた。
え?
この匂いは、まさか、ルシファー?
「マグディエルの部屋、入ってもいい?」
「え、どうぞ、え、ルシファーですよねえ?」
少女は「そうだよ」と言いながら、部屋に入った。
ルシファーはそのまま部屋に入ると、一直線にベッドに向かって行って、そのままベッドの上にあがって、ころりと横になった。横になって、となりに来い、と言わんばかりにベッドをたたく。
マグディエルはベッドに腰掛けて聞いた。
「なんだって、少女の姿なんです?」
「マグディエルが、不埒なことばっかり考えるから。これなら安全かなって」
「うぅっ! ごめんなさい」
マグディエルは胸を押さえた。
こんないたいけな少女の姿で、そんな風に言われるなんて……、心を抉られる。
ルシファーが笑って言った。
「夕食まで、ひまだから、ここで昼寝しようと思って」
マグディエルは、少女の姿のルシファーを見た。
今は、恐くない。
ルシファーが、明けの星の輝く瞳で、マグディエルを見上げながら言う。
「ガラスの海は大変だった?」
「とても」
今は、恐くないけれど、まだ、どこかに、恐れる気持ちがあるような気がした。
マグディエルは、背筋を正して、聞いた。
「『きみが欲しい』って、どういう意味ですか?」
ルシファーがすこし、目を大きくして言った。
「急な質問だね」
ルシファーの思いを知りたい。
「今のわたしたちは、ルシファーがのぞむような形ですか?」
「いいや」
「友であるだけでは、ルシファーののぞむ形ではないということです?」
「そうだね」
「どうしたら、あなたののぞみにかないますか?」
ルシファーが身体をおこして、いつもの姿にかわる。
マグディエルをじっと見下ろして言った。
「わたしを一番の友だちにしてほしい」
ガラスの海で、あの幻から聞いたのと寸分たがわぬセリフだった。
恐ろしい気持ちがよみがえる。
けれど、しっかり見つめたかった。
「それは……、神よりも?」
「うん」
やはり、神を探しに行って、神を捨てるしか、ルシファーの心を満たすことはできないのだろうか。
俯いたマグディエルの額に、ルシファーが親愛のキスをして言った。
「いつかね、マグディエル」
顔を上げると、すぐ近くに明けの星が輝いていた。
「いつか?」
「ああ、きみは、いつか、わたしのことを好きになるよ。神よりもね」
傲慢な笑顔だった。
ルシファーは自信たっぷりの、魅力的な顔で微笑んだ。
きれいだな。
でも、あんまり自信たっぷりに言うから、笑ってしまう。
ルシファーも笑った。
「ルシファー、わたしは、まだほんのすこし、あなたのことが恐いんです」
「うん」
「だから、あなたの声をもっと聞いて、あなたの思いをもっと知りたい。わたしも、あなたの望まないことはしたくありませんし、あなたの望むことだけを叶えたい」
マグディエルは、ルシファーの瞳を覗きこんだ。
美しい星の輝きがこちらをじっと見つめていた。
「あなたのことが好きです、ルシファー」
いつか、あなたの心が満ちますように。
マグディエルはそう祈ってから、聞いた。
「キスしてもいいですか?」
「いいよ」
前に、あの素敵なキスをしてもらった日、びっくりしすぎて、マグディエルからはキスを返していなかった。いつも、そうだったかもしれない。ルシファーが色々してくれるから、マグディエルから何かをしたことがなかった。
両手でルシファーの頬にふれる。
あたたかい。
マグディエルは、ルシファーの唇にそっと親愛のキスをした。
あなたに、心をゆだねます。
あなたの罪さえ、わたしに愛させてください。
顔を離すと、ルシファーがすこし驚いた顔をして、なぜか、すぐに変な顔をした。
むすっとしたような、不機嫌な顔だった。
なんだか、妙に、かわいい。
「マグディエル、いったい、どこでそんなキスを覚えてきたんだ」
マグディエルはおかしくなって笑って言った。
「あなたに教えてもらったんです」
最初から聞けばよかったのかもしれない。ルシファーに対して抱いていた恐れや疑いは、自分から聞けば、なんだかあっさりとどこかへ行ってしまったような気がした。
ことばにすれば、わかり合える。
ふたりは、夕食まで、おたがいの翼をかけあって昼寝した。
*
「かんぱーい!」
食事の前に、みんなでグラスをあげて乾杯する。
ロトだけは水を飲みながら言った。
「部屋はどうでしたか?」
ナダブとアズバが嬉しそうに答える。
「最高!」
「ベッドふかふかだったわ」
「それは良かった。プールやテニスコートなんかもありますから、存分に楽しんでくださいね」
ロトが、マグディエルの方を向いて言う。
「そういえば、マグディエル、明後日のお昼にお時間をいただいても?」
「ええ」
「アブラハムがあなたに会いたいと」
「アブラハムがわたしに⁉ いったい、どんなご用なんでしょう」
怒られるんだろうか。
怒られそう。
信仰の父だもの。
わたしの、不信仰を厳しく叱ってくださるのかもしれない。
……覚悟しておこう。
「わたしにも内容は知らされていないのです。明後日、御座まで来てほしいとのことでした」
まさか、行こうと思っていた御座に、呼ばれることになるとは。
しかも、多分、叱られるために……。
つらい。
「時間と、詳しい場所は、御座公式ラインからお知らせしますね」
「便利ですね、公式ライン」
「ええ、観光マップも見れますから、使ってみてください」
そんなものまであるんだ。
食事がおわると、一行はホテルのバーに移動した。
暗めの照明に、ゆったりとしたソファ。邪魔をしない程度にながれるジャズが、心地よい。
イエスが、めずらしく心配そうな声で言った。
「ロト、あなた、まさか飲まないですよね」
「はは、今日はイエスがいるので、大丈夫でしょう。止めてくださいますよね」
「え~不安です」
めずらしく弱気な態度のイエスだった。
食事中は水を飲んでいたロトも、バーではさすがにお酒を飲むようだ。
「マグディエルは何を飲む?」
となりに座ったルシファーがそう言って、メニューを渡してくれる。
かっこいいやつがいい。
できたら、三角形のグラスがいい。
マグディエルは慎重にメニューを見た。
そして、おごそかに言う。
「ギムレットで」
イエスが即座に反応した。
「マグディエル、もしかして、『ギムレットには早すぎる』にあこがれてます?」
「アーメン!」
ふたりで小説の話で盛り上がる。
すこしお酒がすすむと、ナダブが唐突に質問した。
「ルシファーってさ、イエスが磔になったとき、見てたの?」
イエス以外、全員、ぎょっとして二人を見る。
「見てたよ」
「へえ、どんな気持ちで?」
ナダブ、おまえ、もう酔ってるのか!
場に妙な緊張が走った。
緊張の空気の中、ルシファーがにっこり答える。
「面白くて、笑った」
——えっ。
凍りつく空気の中、イエスだけ、すごく面白い話を聞いた、みたいな感じで手をたたいて笑った。
ペトロが、目頭をおさえて「うぅっ」と泣きはじめる。アズバが泣きはじめたペトロの頭を引き寄せて、なでた。
マグディエルが恐ろしい気持ちでルシファーを見ると、にっこり微笑まれる。
——もしかして、やっぱり、悪魔って、恐い?
ことばにしても、わかり合えないことも、あるのかな。
マグディエルは恐ろしさまでのみ込もうと、カクテルを一気に飲んだ。
そうして、しばらく楽しく飲んでいると、ロトがマグディエルの隣にすわった。
「……あ」
イエスが不安そうな声を出した。
なぜか、ルシファーがマグディエルの隣から、向かい側のソファに移動した。アズバとナダブの間にルシファーが座る。
「マグディエル」
「うわあ!」
ロトがマグディエルの耳元で名前を呼んだ。思わず飛び上がって、耳をおさえる。
すごく、良い声だった。
ロトが、大人の色気たっぷりといった雰囲気の微笑みで、マグディエルに近寄って言った。
「マグディエル可愛いね。キスしてもいい?」
「えっ」
イエスがため息をつきながら言う。
「ロトったら、酔ったらすぐにキス魔になるんですよ。しかもたちのわるいことに、その状態になると、もう完全に次の日には記憶なしです」
ナダブがナッツをつまみながら、言った。
「へえ、だから簡単に娘に襲われたんだ。二回も」
アズバがたしなめる。
「ナダブ! やめなさいよ」
ロトがマグディエルの腕をつかんだ。
「マグディエル、ね、キスして」
「うわぁぁ」
助けて!
マグディエルは、ロトの肩を押して、なんとか身を守りつつ、みんなを見た。
ペトロはイエスの肩に頭をあずけて寝ている。
イエスは、あかないピスタチオを必死にあけようとしている。
ナダブはマグディエルを見て「おつかれ」と言った。
覚えてろよ。
アズバは、すごく嫌そうな顔で、全身で近寄りたくないを体現していた。
アズバが犠牲になるくらいなら、わたしが犠牲になります。
ルシファーは、すごく楽しそうな顔でニヤニヤしていた。
この悪魔!
絶対に、神より好きになんてならないからな!
イエスが大声でピスタチオに向かって叫んだ。
「ひらきなさい‼」
はじけとぶピスタチオ。
だんだんロトの力に負けるマグディエル。
「マグディエル~、かわいい~、キスしよ~」
「うわぁぁぁ」
とんでもない夜になった。
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おまけ ☆聖書豆知識☆
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【ロト】
ふたりの娘に酒を飲まされ、襲われた。
一晩目は姉、その翌日は妹に。
ちなみにロトは娘たちが来て、寝たのも起きたのも知らなかったそうです。
ふたりの娘は望んだ通り、父によって身ごもりました。
一度読むと忘れられない、ぶっとんだお話。




