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第6話 これ以上悪くは、ならないですよね?

 マグディエルはれぼったいまぶたを、時折こすりながら歩いた。

 胸元に抱き込んだ、大切なラッパは綺麗に縦半分に割れている。


 先を進むアズバとナダブが、心配そうにちらりとこちらを何度も振り返る。



 割れたラッパを見た後、マグディエルは泣きに泣いた。


 おそろしいことに、割れたラッパは身体から離しても何も感じなかった。以前、アズバが数歩、ラッパを持って離れただけで眩暈めまいと吐き気がするほど体調に異常をきたしたのに、割れたラッパが自分と離れた地面に転がっていても、何も感じなかったのだ。


 マグディエルは、ラッパが死んだと思った。


 ラッパ死んじゃった。

 そう繰り返しながら、大泣きした。


 ラッパ吹きにとって、ラッパは自身の身体と切っても切れない深いつながりのある存在だ。自身の使命を表すものであり、半身と言ってもいい。アズバとナダブが血相を変えて、マグディエルの身体をあちこち調べたが、どこもどうにもなってはいなかった。


 モーセとミリアムは、マグディエルに何度も謝ってくれた。


 本当に……、申し訳なかった。


 本来なら、姉弟きょうだいでお互いを抱きしめ合って語らう、くらいのことはして良いシーンだったのに、マグディエルが一番大泣きを決め込んだものだから、皆気をつかっておろおろしていた。アロンにいたっては、何もかもが終わった後に目覚めて、湖は割れているし、幕屋まくやはめちゃくちゃだし、 御使みつかいのひとりは大泣きしているし、大いに混乱していた。


 思い出したら、申し訳なさも相まって、また泣けてきた。

 鼻をすする。


 ミリアムが、遠くない場所に親戚の家があるから、そこで休んでいかないかと申し出てくれたが、ナダブが「湖がいつまでこの状態を保つか分からないし、マグディエルのラッパをどうにかするにしても、早く御座みざを目指した方がいい」と言って、すぐに出発することになった。


 ミリアムたちの幕屋が倒壊してしまったことが気がかりだったが、ミリアムは「気分転換に引っ越しするのもいいわ」と言った。モーセとアロンも頷いていた。

 ともに旅した同胞たちとモーセが、また交流できればいいな、とマグディエルは思った。


 もんもんとしながら歩いていると、日が暮れはじめた。

 水の壁が、夕日色に変わる。


 疲れた。


「今日はここで休みましょう」


 アズバが言う。


「そうだね~。夜通し歩いてもいいけど、マグディエルを休ませた方がいいよ」


 ナダブがつづいた。


「私なら大丈夫だよ。この道がいつまでもつか分からないなら、進んだ方が——」

「その顔色で言われてもね」


 ナダブに遮られる。


 モーセが割った湖の底は、しめっぽくなく、しっかりと乾いていたので、どこでも休めそうだった。適当にすわりこむと、アズバにパンを渡される。


「アロンが持たせてくれたのよ。わたしたち食べる必要もないから、いいって言ったんだけどね」

「まあ、お腹になにか入ってたほうが、元気が出るよ」


 ナダブがパンを受け取りながら言う。


「ミリアムもそう言ってたわ。とくにマグディエル、あなたに食べさせるようにってね」


 アズバがマグディエルの頭をなでた。


「ありがとう」


 そう言って、アズバの顔を見上げると、優しい笑顔がかえってきた。


 パンを口元に近づけると、ふんわりと小麦のよい香りがした。

 天使は人間とはちがう。食べたり寝たりしなくても行動できるが、腹が満たされれば癒されるし、眠れば心が落ち着いた。


「あ~、ひさしぶりに疲れた気がする」


 ナダブが言う。


「そうね。ほんと……。天国を旅するって大変なのね。地上に降りる方がよっぽど簡単だわ」


 アズバが肩をまわしながら答えた。


「おれ、あの雷でちょっと羽こげた気がする。見て」


 ナダブの羽のさきっぽがちりちりになっていた。


「うそ、わたしの、こげてないよね?」


 アズバが自分の羽をつかんで確認しはじめる。


 ふたりとも、マグディエルのラッパについては触れず、明るくふるまった。


 気をつかわせている。


 マグディエルは自分もあかるく話題に突入しようと何度も試みたのだが、舌がのどの奥にはりついたみたいになって、口をひらくことができなかった。なんなら、口を開いたとたん、悲しみがあふれてまた泣いてしまうんじゃないかと思った。


 ぐ、と腹に力をこめて、耐える。


 水の壁を染めていた夕日は、あっという間に去り、あたりが暗くなった。


「さ、寝るわよ」


 アズバがつとめて明るく言った。


 マグディエルは、何も言えないまま、ごろりと転がって身を小さくした。

 抱え込んだラッパが、夜の空気を受けて、冷え冷えとしていた。


 アズバとナダブがマグディエルをはさむようにして寝転ぶ。ふたりは、羽をひろげて、お互いの身体にかけるようにした。ナダブの翼と、アズバの翼が、マグディエルとラッパを温めてくれた。


 正面にナダブがいたので、寝返りをうってアズバの方を向く。

 うしろから「おい」と声が聞こえたが、無視する。


 頭の中が、まとまらない思いでぐちゃぐちゃだった。もう何も考えたくなかった。マグディエルは、はやく眠りが訪れますように、と必死で祈った。

 悲しみは深かったが、アズバとナダブの翼にあたためられて、マグディエルはことりと眠りにおちた。



     *



 翌日、明け方に目が覚めた。

 まだ、アズバとナダブは寝ている。


 そっと、ふたりの翼の下から出て、ひとり伸びをしてみる。

 なんだか、すっきりしていた。


 食べて寝る、の効果は絶大かもしれない。


 マグディエルは、真っ二つに割れたラッパを見つめた。悲しみが訪れるが、昨日ほどではない。ショックはずいぶん薄らいだし、だんだん真っ二つのラッパも見慣れてきた。


 マグディエルのメンタルは落ち着いていた。


 いや——、やけくそ気味だった。


 神と、いまだ吹いたことのないラッパについて知るために、御座みざを目指したというのに、しょっぱなから大失態だ。大事なラッパを壊してしまうなんて……。これ以上に悪いことがあるか。いや、ない! もはや、マグディエルの不安な気持ちはカンストしている。


 もう、なるようにしかならん、という気持ちが強まっていた。


 住んでいた丘に戻るという選択肢はもうない。

 ラッパが壊れてしまった今、これをどうにかするためにも御座を目指すしかないのだ。


 そう。もうそうするしかない。

 前に進むしかないんだ。


 マグディエルは、その気持ちだけで立ち上がった。


「マグディエル、起きたの……」


 アズバが目をこすりながら、起き上がった。


「うん。おはようアズバ。昨日は心配かけてごめんね」

「お、なんだあ、おじさん回復したのか」


 ナダブもだらしない恰好のままあくびをして言った。


「うるさい」


 あらためて、両側にそそり立つ水の壁を見上げた。朝日が差し込んで、湖のなかがうっすらと透けて見える。


 美しかった。


 御座を目指したからこそ、ミリアムたちにも出会えたし、モーセの奇跡のわざも見れた。それに湖が真っ二つに割れた景色も、今はとても素敵に思えた。


 悪いことばかりじゃない。


 マグディエルたちは、意気揚々と、湖の底の道を進んだ。



     *



 三日も。


 三日も進んだのに、一向に景色は変わらなかった。高い山ははるか先にあったし、湖底の道も先はかすんで見えないままだ。


「飛べたらな~」


 このナダブのセリフは今日歩き出してから十回以上は聞いた。


「もう、やめなさいよ。しょうがないでしょ、飛べないんだから」

「たしかに飛べたら、もう今頃はついてたかもね」

「マグディエルまで」


そもそもなんで飛べないんだろうか。

天国は知らないことだらけだ。天国について知るためにも、あの丘を出て良かったのかもしれない。


もう見飽きてしまった美しい水の壁に、ゆらりと影がさしたように見えた。


「いま何か——」


 マグディエルがそう口にしたとき、影がおそるべき速さでうねるように、こちらに向かってきた。


 水をやぶる音があたりに響く。

 水しぶきをあげて、水の壁から飛び出てきたのは、一匹の禍々しい竜だった。

 羽をもたない竜だ。


「レビヤタンだ!」


 ナダブが叫んだ。


 レビヤタンの水に濡れたうろこが、黒鉄色くろがねいろに光っている。首をもたげると、マグディエルの二倍ほども大きい。意地の悪そうな目をこちらに向けている。


 レビヤタンは口をあけ、威嚇いかくするように喉をならした。

 喉の奥に、炎が見える。


 まずい、火をくつもりだ。


 レビヤタンの口はナダブに向いている。


 マグディエルはナダブの方に走った。ナダブを突き飛ばそうと、彼の肩に手をかけた瞬間「キャン!」という情けない声が聞こえた。


 アズバがレビヤタンの横腹をなぐっていた。


 レビヤタンはおどろいて身をひねり、アズバから距離をとる。

 体制をたてなおし、アズバにむかって口をあける。

 アズバは、ためらいなくレビヤタンに向かって走った。


 黒鉄色くろがねいろの喉の奥の炎がいまにも吐き出されそうにゆらめく。


 だが、アズバの方が早かった。


 勇ましく飛び上がったアズバは、右手を振りかざし飛び掛かりざまにレビヤタンの頭を殴った。


 かっこいい!


 レビヤタンはもんどりうって、水の壁に身体を半分つっこんだ。


 アズバがかっこよく着地する。

 完全にマーベルヒーローっぽかった。


 しかし、レビヤタンも負けていなかった。きしむような怒りの雄たけびをあげて、アズバにむかってふたたび突進した。レビヤタンがみつこうとしたが、アズバが両手でレビヤタンの口先を無理やり閉じるような形で握り込んだ。


 そのあとは、お互い押し合う形で、力比べみたいになった。

 アズバが翼をひろげて、全身にぐっと力をこめている。


 マグディエルは加勢しようと足を進めたが、ナダブに掴まれた。


「絶対おれたちには無理だからやめとけって」


 たしかに。


 それはそうだけど。


 アズバは少しずつ、レビヤタンに押されていた。

 じりじりと、アズバの身体が水の壁に向けて、つめられていく。


 レビヤタンがちらりとこちらを見た。


 次の瞬間、レビヤタンは首を勢いよく振ってアズバをふりほどいて投げ飛ばした。


 アズバの身体がとぶ。

 マグディエルとナダブの方へ。


 マグディエルは受け止めようと手を広げた。


 つよい衝撃に、息が止まる。

 マグディエルの身体は、アズバの身体を受け止めきれず、倒れた。

 アズバの身体が、マグディエルにかぶさるかたちになった。


「アズバ! 大丈夫⁉」


 そう叫んだ時には、レビヤタンの口先がすぐそこにまで迫っていた。


 喉の奥の赤い炎からあふれる熱風が、マグディエルの顔にかかった。


 もう、だめかもしれない。



 マグディエルは、アズバだけでも守ろうと翼を広げた。


☆聖書豆知識☆


【レビヤタン】

レヴィアタン、リヴァイアサンともいう。

旧約聖書では陸の獣であるベヒモスと並べて、海の獣として記されている。

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