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第5話 モーセ、ぜんぶ割る

 急ごしらえの祭壇さいだんに金の子牛の偶像ぐうぞうをのせて、んできた花を飾る。

 ミリアムが満足げな顔で「よーし!」と言った。


 よーし……、なのかな。


 本当に大丈夫なんだろうか。


 モーセの心の傷に塩を塗り込むようなことに、なるんじゃないのか。モーセ泣いちゃったらどうしよう。いいや、泣くならまだしも、キレて姉弟きょうだいの縁を切るとか言い出したり、余計ややこしくなったりするんじゃないだろうか……。


 いちばん恐ろしいのは、ないとは思うが……、多分、大丈夫だとは思うが、モーセがもう奇跡の力を使うことができなかったら……。


 その時のモーセの気持ちを想像すると、マグディエルのメンタルががくがくっとひざから崩れ落ちそうになる。


 奇しくも、心模様と同様に、空にはずっしりとした曇天どんてんが広がっている。


 神よ、どうかどうか、モーセに奇跡の御業みわざと、くじけない心をお与えください。

 マグディエルは、しばらくぶりに天使らしく神に祈った。


「ところでさぁ、偶像ってどうやって拝むの?」


 ナダブが摘んできた花を金の子牛の頭にのせながら言った。


崇拝すうはいしてそうな感じが伝われば何でもいいんじゃないかな。私がてきとうに金の子牛に祈りをささげるから、みんなは大きな音を出して盛り上げてくれる?」


 ミリアムがどんな祈りを捧げるのか、嫌な予感しかしなかった。


 祭壇は完成した。


 ちょうど、湖をうしろにして、幕屋まくやに正面を向く形でつくられている。


 幕屋には窓として部分的に、布を開けられる箇所がある。今も風通しのためにいくつか開けられている。モーセがそこから音に気付いて、外に出てくればしめたもの、ということらしい。祭壇で偶像崇拝ぐうぞうすうはいに勤しむ我々の姿を見て、そのまま湖にむかって奇跡の力を放ってくれれば、大成功というわけだ。


 そんなに、うまいこと行くだろうか。


 杜撰ずさんな計画に、マグディエルの不安はつのるばかりだ。


 ミリアムが祭壇の前に立ち、メガホンを手に持った。

 マグディエルたちは、ミリアムの後方に膝をついて祈りの体制を整える。


 マグディエルは、右手に金の燭台しょくだいを持ち、左手に金のひしゃくを持った。

 ナダブは両手に金の皿を持っている。

 アズバは金の水差しとかめを持っていた。


 すべてミリアムが幕屋から持ち出してきたものだ。


「ミリアム……、これ、大事なやつじゃない?」


 マグディエルがおそるおそる聞く。


「音が鳴りそうなもの、それしかなかったんだよね。大丈夫、思いっきり打ち鳴らして」


 大丈夫ではなさそうな気がする。

 間違いなくこれは、神のための幕屋に置かれるものだ。


 これから、神のためのものを雑に扱って、神に禁じられた偶像崇拝をする。


「わたしたち、神にほろぼされたりしないよね」


 マグディエルの言葉にアズバが「そんなはずないでしょ」と言うが、マグディエルはなぜ「そんなはずない」と思えるのか、まったくもって疑問だった。

 神がどう感じるかなんて、わたしたちに分かるはずないけれど、今からマグディエルたちがすることは、思惑はそうではないとはいえ、行為としては不敬の極みと言える。


 不安。


 マグディエルがぐちぐちと考え込んでいる間に、ミリアムはさっさとなりきり偶像崇拝をはじめた。メガホンを口元にかざし、ありったけの大きな声で金の子牛をほめたたえる。ミリアムが子牛をほめたたえるたびに、マグディエルたちは金の燭台やら皿やらを、打ち鳴らして「子牛様―ッ! キャーッ!」とありったけ叫んだ。


 はじまってすぐに、アロンとモーセが血相をかえて幕屋から飛び出してきた。


「ミリアム、一体何をしているんだ!」


 アロンが真っ青な顔で、唇を震わせて言った。


「モーセと神様の奇跡はたよりにならないから、金の子牛様に湖を渡れるように祈っているのよ」


 アロンは何かを言おうと口を開けたが、何度かパクパクっとやってから白目を剥いて倒れた。


 アズバがさっと近寄って、抱きとめる。

 アロンは草地の上にそっと寝かされた。

 胸の上で、両手を組まされて。


 アズバの性格からして他意がないのは分かるが、その寝かせ方は一言物申したい気持ちになる。アズバはしごく真面目な顔で、金の水差しと瓶を打ち鳴らしながら戻ってきた。


 モーセがいかめしい声で言った。


「いいかげんにしてくれ。そんな挑発でわたしが湖を割るわけがないだろう!」


 ミリアムが負けずに、いかめしい声で答える。


「いいえ! わたしは本気よ! 神は頼りになんてならない!」


 マグディエルはぎょっとして、ミリマムの様子をうかがった。

 モーセもこの発言には、目を剥いて叫んだ。


「ミリアム! やめるんだ、それ以上——」


「あなたも、神を信じてなどいないくせに!」


 ミリアムの叫び声に、マグディエルの胸が痛んだ。

 自分に言われたわけではないのに、グサッときた。


「私は神とともにある」


 心なしかモーセの言葉が弱弱しくなった。


「いいえ、あなたは、疑っているでしょう! 神に愛されていると言ってみなさいよ! 間違いなく、神の恩寵おんちょうはじぶんのもとにあると、言ってみなさい!」

「——」


 モーセの顔が青ざめた。


「神の恩寵を疑わないというのなら、なぜ目の前にあらわれた御使みつかいのために力を使わないの? 神とともにしていないのは、あなたよモーセ! もう神はじぶんのもとにはおられない、だから奇跡のわざはつかうことができない。そうやって、神の愛を疑っているのは、あなたでしょう!」


 ミリアムの言葉は燃え上がる炎のように、力を増した。


 モーセは「わたしは——」と弱々しく、口をひらこうとしたが、何もつづけて言うことができなかった。


 その時、ぶあつい雲のあいだから、太陽の光がひとすじさしこみ、ミリアムの顔を照らした。

 彼女の顔が、光を放っているようだった。


 ミリアムは、穏やかな口調で、言った。


「モーセ、なぜ()()()を疑うのか」


 不思議な響きが増した声だった。


「あなたは、あなたの手を湖の上に差し伸ばし、湖を分けて、御使いたちが湖の真ん中のかわいた地を進み行くようにせよ」


 大きな声は出していないはずなのに、とどろく。

 いまや、ミリアムは全身に光を受けて、かがやいていた。


 一体どういうことなんだろうか。偶然のなせるわざか、その偶然を受けてミリアムが一芝居うっているのか。それとも——、これが奇跡というやつなのか。マグディエルには分からなかった。


 モーセは全身を震わせ、おそるおそるといった様子で手をあげようとした。

 だが、顔をゆがめて、苦しそうに一筋の涙をながした。


 マグディエルは感じた。


 恐怖だ。

 モーセの心の底から湧き上がる、つよい恐怖だった。長い時間をかけて、彼の心にこびりついた暗がりに、愛する神に見放されたと感じながら過ごし続けたモーセの姿が見えた。


 つらいことだ。


 マグディエルの胸が痛んだ。


 光がいや増したミリアムは言った。


「見よ。御使いが、あなたの、かたくなになった心のために応援する」


 えっ。


 ミリアムはこちらを見ない。

 御使いって、わたしたちのことかな。


「モーセ、がんばれー!」


 ナダブが金の皿を打ち鳴らしながら、応援した。


 そ、そういうこと⁉


「あなたなら、できるわ! アーメンー(私は信じます)!」


 アズバも金の水差しと瓶を打ち合わせて、大声で言った。


 マグディエルも、金の燭台とひしゃくを打ち鳴らそうとかまえた。


 そのとき、ミリアムを照らしていた光がひろがった。

 雲が途切れて、太陽の光が、金の子牛も、モーセも、倒れているアロンも、マグディエルたちのことも、すべてを照らした。


 あたたかい。


 モーセは決然たる顔で、手を湖にむけてかざした。


 風が、吹いた。

 湖面がざわざわと揺れる。


 マグディエルはなんとなく、現実離れしたような心持ちでその様子を見守っていた。


 次第に風は強くなった。

 空にはぶあつい雲があつまり、雷をはらんだ音がしはじめる。

 湖面は荒れた海のように、大きくうねった。

 一瞬、目の前が真っ白になった。


 轟音ごうおん


 耳をふさぎたくなるような、恐ろしい雷鳴が轟く。

 うねりあがる水は、もだえるように左右へと高く持ち上がった。

 湖の真ん中に、すこしずつ道が先へ先へとひらきはじめる。

 つづけざまに、はげしく雷が、そこいらじゅうに落ち始めた。


 幕屋の隣の大きな木が、まっぷたつに裂けて炎を上げる。


 ミリアムが悲鳴をあげて、しゃがみこむ。


 マグディエルはミリアムのもとにかけて、翼をひろげた。

 彼女の小さな身体を抱き込んで、落雷の衝撃から守る。

 アズバはアロンを、ナダブはモーセを、それぞれ翼をひろげて守っていた。


 金の子牛に雷が直撃し、真っ二つに割れる。


 それに驚く暇もなく、幕屋の隣でまっぷたつに裂けた木の片方が、幕屋に直撃した。

 幕屋が二つに裂ける。


「マグディエル!」


 腕の中でミリアムが叫んだ。


 もう片方の木が、こちらに向かって倒れ込んでくる。

 とっさに、ミリアムを抱き上げて飛ぶ。燃える葉と枝がかすめた。


 何かがひっかかったような感覚があった。


 ふたたび、強い光と、雷鳴があがる。


 一瞬、身体が真っ二つに引き裂かれるような痛みがあった。

 だが、ほんとうに一瞬のことで、雷鳴がおさまるころには、本当に痛みがあったかどうかも疑わしいほどだった。


 先ほどまで、マグディエルとミリアムがいた場所で、雷にとどめをさされた木が炎をあげていた。


 それを最後に、雷はやんだ。

 あたりは、悲惨なありさまだった。幕屋も、祭壇も、金の子牛の偶像も、打ち鳴らしていた金の燭台たちも何もかも、すべて真っ二つに裂けていた。


 そして、湖も割れていた。


 湖底にははるかむこうへ続く道が姿をあらわしている。

 高く盛り上がった水の壁は、湖面とおなじように揺れていた。


 ミリアムをモーセのもとに降ろす。


 モーセは湖に向かってかかげていた手を抱き込み、身体を小さくして震えていた。

 ミリアムが、抱きしめる。姉弟ふたり、抱きしめ合って泣いていた。


 良かった。


 マグディエルがほっと一息ついた瞬間、肩をぐいと引っ張られた。

 アズバが顔を真っ青にして、マグディエルの両頬をその手で包んだ。

 血の気がひいたように、冷え切った手だった。


「ああ、マグディエル。あなた……、あなた大丈夫なの。どこも、どこも痛くはない?」


 倒れてきた木にぶつかったように見えたのだろうか。

 アズバの手が震えている。


「え、ああ、大丈夫だよ」


 冷えたアズバの手に自分の手を重ねる。

 ナダブも、青い顔をして近づいてきたと思ったら、肩やら手やら腹をまさぐられる。


「本当に、どこも痛くないのか?」


 ナダブの声も震えている。


「大丈夫だって。二人ともどうし——」


 ふと、違和感があって、自分の腰のあたりをまさぐる。


 ない。


 アズバの肩越しに、倒れた木のそばで、転がるものが目に入った。

 炎をうつして、ゆらゆらときらめいている。



 真っ二つに割れた、金色のラッパが、そこにあった。


☆聖書豆知識☆


【金の燭台とか】

本当に大事なアイテム。神様のための幕屋に置かれるもの。

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