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第48話 イエスなのかい! ノーなのかい!

 マグディエルの身体に吹きつける風が急にやんだ。


 かぐわしい香り。


「やあ、マグディエル。呼んだ?」


 マグディエルが顔をあげると、大きなヘビの顔が目の前にあった。マグディエルのまわりに壁をつくるようにして、大きな身体でとぐろをまいている。ティファニーブルーに金模様の入ったヘビの身体が、あの恐ろしく白いばかりの雪景色から、マグディエルを隠してくれていた。


 マグディエルは泣きながら、名前を呼んだ。


「ルシファー」

「うん」

「なぜです、声に出さなかったのに」

「聞こえたよ」


 ルシファーがヘビの舌で、マグディエルの涙でぬれた頬をちょろちょろっとやった。


「助けて、と聞こえた」


 ヘビの頬が、マグディエルの頬に触れる。冷たそうに見えたのに、つやつやと光るヘビの身体は暖かかった。


「冷えているね、寒いの?」

「はい」

「ふうん」


 ルシファーはマグディエルの顔を見つめて、すこし考えるようにしたあと言った。


「口をあけて」


 なんだろう。

 マグディエルは口をあけた。


 ルシファーが、マグディエルのひらいた口に、ヘビの口先をよせて、ふうっと息を吹き込んだ。


 すると、マグディエルの身体が、内からぽかぽかとあたたかくなった。吹き込まれた息が、中心からじわっと広がるように、身体をあたためてゆく。足先に感覚がもどり、手先も動くようになった。全身のこわばりがとれて、息がしやすくなる。耳の痛みがとれて、頭の痛みもすうっと引いた。


「どう?」

「あたたかくなりました」

「ところで、遭難しているの?」

「はい。イエスたちとはぐれてしまって……」


 マグディエルは、ふと、疑問に思った。


「ルシファーは、シオン山に来たことがあるのですか?」

「いいや、ないよ」

「どうやって来たんです? 一見さんお断りときいたのですが」

「ああ」


 ルシファーが視線をマグディエルの腰にあるラッパに向けて言った。


「そこに、わたしの一部があるからね。わたしは、じぶんのものの場所はわかるんだ」


 ルシファーの羽のことだろうか。

 そんなエアタグみたいな機能あるんだ。


 ルシファーが頭を高くもたげて、まわりを見た。

 ぐるりと見渡してから、じっと、ひとつの方向を見る。


 壁をつくっていたとぐろをほどいて、言う。


「ついておいで、イエスのいるところまで連れて行ってあげよう」


 ルシファーは、マグディエルの眼の前に、しっぽをぴろぴろっとやった。マグディエルはしっぽの先をつかんで立ち上がり、ついていった。


 もう吹き付ける風も、雪も、マグディエルの身体を冷やさなかった。冷たさは感じるが、凍えるほどではない。

 ルシファーの息が、マグディエルの身体をあたためていた。


 ルシファーのしっぽをつかんで、ついて行くと、次第に吹雪がおさまってきた。


 ひらけた場所に出ると、斜面の下の方に、イエスたちがいるのが見えた。こちらに気づいて、イエスとアズバが手を振った。マグディエルも手を振り返す。


 ルシファーがマグディエルのほうを振り向いて言った。


「行っておいで」

「ルシファー、ありがとうございます」


 ラッパを治してくれたときと同じように、なんてことないといった声で、ルシファーが答える。


「どういたしまして」


 マグディエルは、明けの星がかがやく美しいヘビの瞳を見つめて言った。


「ルシファー、なにか、わたしにできることはありますか? あなたのために何かかえしたいのです」


 ルシファーはすこし考えるようにした。


「考えておくよ」


 マグディエルはヘビの鼻先に感謝のキスをした。

 ルシファーがヘビの舌で、マグディエルの頬をちょろちょろっとする。


 もしかして、これ、ヘビの姿の時のキスなんだろうか。


 ルシファーは「じゃあね」と言うと、あっという間に姿を消してしまった。



 マグディエルは、みんながいるところへ走った。

 両手をひろげるアズバのところへ飛び込む。


「マグディエル、心配したわ」


 アズバにぎゅっとされる。

 ナダブがマグディエルの羽をにぎって言う。


「遭難するなよ、おじさん」


 イエスが大げさな拍手をした。


「マグディエル、良かった良かった~。今回もわたしのイエスノー占いは当たりましたね」

「イエスノー占い?」

「これです」


 イエスがコインを取り出して見せた。


「これで、マグディエルが無事にここまでくるか、占ったんですよ。表ならイエス、裏ならノーです」

「はあ」


 マグディエルの微妙な反応を、あまり理解していないととったのか、イエスが「やってみます」と言い出す。


 イエスが声を張った。


「マグディエルは自力でなんとかできるのかい⁉ イエスなのかい! ノーなのかい! どっちなんだい‼」


 コインが投げられる。

 落ちてくるコインを見ながらイエスが叫んだ。


「おーーーーもてーーー」


雪の上にコインが落ちる。


裏だった。


イエスが打ち消して叫んだ。


「じゃないッ‼」


 妙な間があったあと、イエスがつづけて言った。


「というわけで、われわれは先にここまで来て、あなたを待っていたというわけです」

「——イエス?」

「はい」

「今、ノーがでましたけど、これも当たるんですか?」

「はは」


 はは、ではない。


 まだ、これから自力でなんとかならないことが起きるんだろうか。

 不吉だ。


 ふと、ペトロを見ると、難しい顔でマグディエルを見ていた。


「ペトロ?」


 マグディエルが様子をうかがうと、ペトロの眉間の皺がふかくなる。

 イエスもその様子を見て、声をかけた。


「ペトロ、どうかしましたか?」


 ペトロが眉間に皺をよせたまま答えた。


「マグディエル、きみをつれてきた、あのヘビは、サタンではないのですか」

「はい」

「きみはあのよこしまな者と関わっているのか」


 イエスが「まあまあ」となだめるが、ペトロはまっすぐにマグディエルを見つめて、続けて言った。


「あの悪魔と関わるべきではありません。身体にも心にも、近寄らせないことです」


 イエスがさらに「まあまあ」となだめるが、今度はマグディエルがペトロをまっすぐに見つめて言った。


「ルシファーはわたしの友です」

「サタンを友とするなど、あってはならないことです。マグディエル、あなたは尊い使命を持つ御使みつかいではありませんか。あの天につばはく悪魔とともにするべきではありません」

「わたしは彼に何度もすくわれました。彼は親切で優しい天使です」

「あれはすでに堕天したもの。天使などではない。あなたは、だまされているのです。マグディエル。どうか、光の道をゆかれますよう」

「ルシファーは正直です。わたしにいつわりを言ったりはしません」


 ペトロの口調が強くなった。


「あれは、悪魔だ。悪魔の、それも首領です!」


 イエスがペトロの肩に手をやって言った。


「まあまあ、ペトロ、落ち着きなさい」

「落ち着いていられますか! あの悪魔はあなたをゴルゴタの丘におくった張本人ではありませんか! ユダの心のうちに入り、誘惑し、あなたを死へと向かわせた! わたしの、なによりも大切な方である、あなたを傷つけた者です!」


 ペトロの瞳から涙が落ちた。


 マグディエルは、その美しいペトロの瞳の中に、ふるい景色を見た。


 イエスが、ペトロの足を洗うところが見えた。そのときの、ペトロの気持ちも、流れ込んでくる。恥ずかしいけれど、嬉しい、愛する主に足を洗われて。そして、兵士に連れられてゆくイエスが見えた。追いかけるペトロの心が、マグディエルの心のうちを走る。ああ、どこかへ行ってしまう。永遠に奪われてしまう。わたしの愛する主よ、どうかわたしのもとから去らないでください。


 イエスが、ペトロの額に口づけをおくった。

 なぐさめの香りがたちのぼる。


「あのとき、ルシファーは、そうするべきだったのです。ペトロ、その苦しみは手放しなさい。おまえの主は失われてはいないのだから。まったく、おまえは愛すべきケファ()です」


 ペトロがイエスを抱きしめた。思い出した記憶を閉じ込めるように、ぎゅっと目を閉じ、すがるようにイエスを抱きしめる。


 マグディエルはつらくなった。


 ペトロの怒りは、純粋な愛からなっていた。

 美しい思いだった。


 天国で噂されていることがすべてではない。


 けれど、こうやってルシファーの過去の行いをつきつけられると、とてもつらい。

 ただ——、それらは、もはやマグディエルの心を乱したりはしなかった。マグディエルにとってのルシファーは、正直で優しい天使であり、信じると決めた大切な友だった。それは、過去の行いを聞こうと、変わることはない。


 イエスが、ペトロの背をなでながら言った。


「さあ、先に進みましょう。ここは、冷えます」


 一行の目の前には、大きな石の門があった。人の手では開けられないだろうほど、高くそびえたっている。継ぎ目はぴったりと閉じていた。


 開くのだろうか。


 イエスが、扉に向かって大きな声で言った。



「ひらけ~ごま!」





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 おまけ ☆聖書豆知識☆

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【ゴルゴタの丘】

イエス・キリストが十字架にはりつけにされたエルサレムの丘。

されこうべの場所、とも言われる。


【ユダ】

イスカリオテのユダ。

イエスの弟子のひとり。

金を受けとり、イエスを迫害する者に引き渡したが、その後、後悔し自殺した。


【足を洗う】

イエスが最後の晩餐のときに弟子たちの足を洗った。

当時、人々はサンダルのような履物で暮らしていたので、目下の者か奴隷が主人や客人の足を洗いました。それを、イエスが弟子にしたので、ペトロは驚いて「私の足をお洗いにならないでください」と言ったくらい。


【ケファ】

アラム語で岩の断片、石という意味。

イエスはペトロのことを、ケファという愛称で呼ぶことがあった。

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