第45話 ヨハネの預言よりチェキが欲しい
ついに御座へ出発する日の朝が来た。
朝早くから、ヨハネの家に集まると、なんとそこにペトロがいた。ガリラヤの町を出て以来の再会だった。
アズバとナダブはペトロと抱き合って再会を喜んだが、マグディエルは礼儀正しく挨拶した。ガリラヤの湖で助けてもらったときにお世話になったが、マグディエルは気を失っていたので、ペトロとはそんなに話さないまま、ガリラヤの町を出た。
ペトロが気さくそうな笑顔でマグディエルに言った。
「マグディエル、お久しぶりですね。お元気そうで何よりです」
人のよさそうな、頼れるお兄さんという感じがする。
短く刈り込んだ髭が男らしい。
いいな。
マグディエルは羨ましくなった。
ペトロの男らしい髭に見とれていると、急に耳元で声がした。
「おひさしぶりですね」
「ウワーッ!」
叫んで振り返ると、ユダが背後にいた。また足音も気配もしなかった。
「ユダ! お久しぶりです!」
マグディエルは、そのままユダに抱きついた。
ユダが、ふふと笑って抱き返してくれる。
「マグディエル、元気そうで良かった。会えてうれしいですよ」
マグディエルは訊いた。
「ユダとペトロも、もしや一緒に御座へ行くのですか?」
ユダが答える。
「ペトロは一緒に行きますよ。わたしは、ここに残るヨハネのお世話係として呼ばれただけです」
ヨハネが唇をとがらせて言った。
「ぼく、ひとりでも大丈夫なのに」
ナダブがあたりを見渡して言う。
「イエスは?」
「先生ったら、まだ寝てるかもね~。お茶して待とう」
ヨハネの提案に、みんなで家の前のテーブルにつく。
マグディエルは、そわそわした気持ちで、ヨハネがお茶を入れ終わるのを待った。推し様にどうしても、お願いしたいことがある。じっとヨハネを見ていると、彼がこちらに気付いた。
「マグディエル、どうしたの?」
「ヨハネに、ひとつ、お願いしたいことがあるのですが」
「いいよ~、なになに?」
どうしても、どうしても、旅のおともにいただきたい。
「わたしのために、旅の無事を祈っていただけませんか」
「もちろんだよ! マグディエルの旅が無事に終わって、また会えますようにってお祈りするね」
マグディエルの頭の中で、ヨハネの『また会えますように♡』がリフレインした。
尊い。
なんて、尊い。
マグディエルは、せっかく祈りをしてもらうならと、ヨハネの膝元に行って、座った。ヨハネに「どうぞ」と言われたので、ヨハネの膝に両手をのせ、頬をくつつけるようにして甘える。
なんで、聖人の肩とか膝って落ち着くんだろう。
高位の天使とは違う、尊い香りがした。
ヨハネが「じゃあ、お祈りするね」と言ったので、マグディエルは目を閉じた。
だが、お祈りがなかなか始まらない。マグディエルは、不思議に思って、ヨハネの顔を見上げた。ヨハネが、じっと、マグディエルを見つめている。マグディエルのことを見つめているのに、まるでもっと遠くを見ているような眼だった。彼の鳶色の美しい硝子のような瞳に、なにか不思議なゆらぎが見える。
ヨハネが、じっとマグディエルを見つめたまま、口をひらいた。
「偽りを言うものがあらわれる。水晶がすべてを見透かしたとき、疑う者よ、恐れる者よ、あなたを石で打て。ハデスのところに、ふたつ、おくられる。あなたが、あなたとともにするとき、あなたのもとに主がおられる。ゲヘナの門は開かれた。あなたは、ただちにすべてを捨てて下る」
「えっ」
マグディエルが戸惑いの声を上げると、途端にヨハネはいつもの瞳で「あれ?」と言った。
ペトロが真っ先に声をあげた。
「鳥肌立った~」
ユダが続けて言う。
「預言ですね」
ヨハネが二人の反応を受けて、返す。
「ぼく、今、またなにか言ったね?」
ペトロが答えた。
「言った、言った」
ヨハネが困ったな、という顔でマグディエルの方を向いて言った。
「マグディエル、ごめんね。時々なっちゃうんだ~」
「す、すごく、不吉そうな内容でしたけど、どういう意味なんでしょうか」
「さあ、黙示録の時といっしょで、ぼくには、わからないんだよ」
アズバとナダブの方を見ると、ふたりとも心配そうな顔をしていた。
ペトロがマグディエルに向かって言った。
「マグディエル、預言は、内容が悪く聞こえるからと、悪いことが起こるわけではないのです。あまりお気になさらないよう」
ユダも、安心させるように微笑んで言った。
「そうですよ、マグディエル。神託である預言は、我々にはどんなことが起こるのか予測できないように、実態があらわれるまで隠されているのです。内容について、あれこれと詮索する必要はありません」
ヨハネも頷いて言う。
「そうそう、結局、すべてが終わってからしか、分からないからね、預言は。良さげに見えて、最悪パターンもあるし、悪く見えて、最高パターンもあるから……。ね?」
最後の『ね?♡』が、かわいいので、マグディエルはまあいっかという気になった。
ペトロが顎に手を添えて、すこし首をかしげて言った。
「しかし、御使いに預言が下る、というのは聞いたことがありませんね」
ヨハネが「たしかに~」と言った。
そう言われてみると、マグディエルが知るうちでも、預言はすべて人間に対して下るものだ。天国で、天使に対して預言が下ったという話は聞いたことがない。
そもそも、預言ってなんのためにあるのだろうか。どうせ、何が起こるかわからない、意味不明の内容なら、先んじて知る必要があるだろうか。
みんなで、預言について、あーだこーだとお茶しながら話していると、イエスが子ロバに乗ってあらわれた。
「ごめんなさい。ちょっと寝坊しちゃいました」
イエスが「うっかり、うっかり」と言いながら、テーブルにつく。ついたとたん、イエスは対面に座っているペトロに向かって言った。
「あ、ペトロ、まことに、まことに、あなたに告げます。鶏が鳴く前に、あなたは、三度厠へ行きます」
「も~、やめてくださいよ~」
ペトロは、天を仰いで嘆いたあと、お腹が痛い気がする、と言って厠へ行った。
ナダブが感心したみたいな声で言った。
「ペトロの『鶏が鳴く前に三度知らないと言う』のネタ、そういうバリエーションいじりもあるんだ?」
イエスが明るい顔で答えた。
「知らなかったのですか? ミルクボーイのコーンフレークくらい、バリエーション豊かなんですから」
「ミルクボーイ? コーンフレーク?」
みんなが首をかしげる中、イエスだけがはははと、笑った。
「ところで、皆で頭を突き合わせて、なんの話をしていたのです?」
イエスの問いに、ユダが預言について説明した。
イエスなら、預言の内容を聞けば、何が起こるのか分かったりするのだろうか。イエスは、預言内容を聞いて、確信めいた頷きをする。
マグディエルは訊いた。
「どういった内容になるのでしょう?」
イエスが、まかせてくださいといった顔で頷いた。
晴れやかにニコッとして言う。
「わかりません!」
みんな、なんとなく予想していたのか、そうだよね、という雰囲気がテーブルにひろがる。
「何が起こるか分からないのに、なぜ預言がくだるのでしょうか?」
マグディエルの問いに、イエスが何かに気づいた様子で頷きながら「あ~!」と言った。ニコニコしながら、マグディエルに向かって言う。
「神を知るためにあるのですよ」
「神を?」
「ふつう、預言は人に対して下ります。神託としてね。そこに書かれてあることが、なしとげられた時、人が神の存在を信じられるように、用意されているのですよ」
ナダブが横から言った。
「神様の言ってることほんとだったじゃん~、ってなるために、あるってこと?」
「そういうことですね」
マグディエルは訊いた。
「なぜ、何が起こるか分からないような内容で、下るのですか?」
「隠すためです。何がおこるのか分かっていれば、邪魔する者があらわれたとき、預言を守ることができないでしょう?」
「邪魔する者?」
「かつて、天国には隠されていない『予言』もありました。今もありますけど。まあ、それは置いておいて——。予言は、ただ、未来のことが書いてあるものです。ですが、それを打ち破らんとする勢力があらわれました。あなたもよく知る『悪魔』がそうです」
マグディエルは、ルシファーを思い出した。あどけない顔で笑うルシファーの、悪魔としての側面を知ってしまったようで、すこしつらくなる。
イエスはつづけて言った。
「予言を邪魔しようとするのは、悪魔だけではありません。人自身が邪魔することもあります。誰かにとって都合の良い内容が書かれていれば、それを面白く思わない者にとっては打ち破るべき予言となりますからね」
イエスが、優しい微笑みを浮かべて、マグディエルを見た。
「マグディエル、預言とは、必要とするもののために下るものです。今回は、あなたのために、下されたのですね。ふつうは天使に対して下ることはありませんが、あなたは特別ですから」
マグディエルはなんだか申し訳なくなった。せっかく預言を下してもらっても、いまだ神を感じることもできない。神を信じられない天使なんて……、特別、不出来な天使だ。
イエスが手をたたいて言った。
「さあ、そろそろ出発しましょうか。まずは装備を準備せねば」
ナダブが訊く。
「装備?」
「ええ、地上にあるどんな山よりも高いのですよ。ガチの装備が必要です」
マグディエルは、あれ、と思って訊いた。
「御座に行くのではないのですか?」
「まずはシオン山に行かねばなりません。御座はシオン山を超えた先にあります」
「装備はどこで手に入れるのですか?」
「地上です」
「地上?」
イエスが楽しそうな顔で答えて言った。
「ええ、モンベルに行きましょう」
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おまけ ☆聖書豆知識☆
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【子ロバに乗ったイエス】
イエスが生前なしとげた預言のうちのひとつ。
旧約聖書に「正しい方は子ロバに乗って来られる」と預言されていたのを、イエスがなしとげ、それを見た民たちが盛大に出迎えたという場面が、新約聖書に描かれています。




