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第39話 ベルゼブブは、告げ口する

 マグディエルは、椅子に座ってぼーっとしていた。今日は、ルシファーからお茶でもしませんか、と誘われている、その日だった。アズバとナダブは、今日もヨハネの家の修理を手伝いに出かけた。マグディエルはひとり手持無沙汰てもちぶさたに家でルシファーを待っていた。


 ぼんやりとしながら、昨夜のことを思い出す。


 シェムハザ、かっこよかったな。

 わたしも、あんな風になりたいな。


 扉がたたかれる。


 出ると、ベルゼブブが立っていた。もっと大きいと思っていたが、マグディエルと背丈は変わらない。中性的な見た目をしているので、威圧感はないが、切れ長の目のせいか、すこしおそろしい感じがした。


「お久しぶりですね、マグディエル」

「お久しぶりです。ルシファーは?」


 マグディエルは扉から外を覗いて、あたりを見渡した。


「もうすこししたら来るんじゃないですかね」


 ベルゼブブはそう言って微笑んだ。

 今日はベルゼブブも一緒にお茶するんだろうか。


「中で待ちますか?」

「いえいえ、今日はルシファーには内緒でお邪魔したので、わたしはバレる前に退散しますよ」


 内緒で?

 マグディエルは途端に不安になって、右手で左の袖口をにぎった。


「おや、不安そうな顔ですね。大丈夫、何もしやしませんよ」


 ベルゼブブは、首をかしげてにっこりとした。


「今日は良いことを教えてあげようと思ってきたんです」

「良いこと?」

「ええ」


 急に胃のあたりがキリキリと痛んだ。


 ベルゼブブが右手を持ち上げると、そこに金色のラッパが乗っていた。マグディエルは、はっとして腰に手をやったが、そこに自身の半身はなかった。ベルゼブブの手の上に、第一番の刻印を持つマグディエルのラッパが乗っている。


 ベルゼブブが、値踏みするようにラッパを見た。


「綺麗なラッパですね」


 マグディエルは胃のあたりをおさえて言った。


「返してください」


 ベルゼブブは、返すつもりはないらしく、ニヤニヤしながら言う。


「ねえ、ルシファーがラッパを取り戻して、治してくれたと思っているんですってねえ?」

「それがどうし——」

「ずいぶん、手際てぎわが良すぎやしませんか?」

「——」

「あなたがラッパをなくしてすぐに、それを手にルシファーが現れるなんて……。もしかして、ルシファーがレビヤタンに命じて持ってこさせたのでは?」


 マグディエルはむかっとした。


「ルシファーがそうしているところを見たのですか」

「いいえ。でも考えてみれば分かるのでは? 彼は狡猾の代名詞ともいえる存在ですよ。あなたとお友だちになるために手段を選んだりしない」


 マグディエルは、腹が立った。ラッパを奪われてきりきりとする胃の痛みよりも、胃のあたりにたちこめるむかむかとした気持ちの方が勝った。


「やめてください。ルシファーは私に親切にしてくれた。彼のことを、悪く言わないでください」

「おやぁ、わたしは悪く言ったりしていませんよ。事実そうじゃありませんか。あなただって彼と知り合う前は言っていたのでは? 狡猾なヘビ、とね」


 マグディエルの内に膨らんだむかむかとした気持ちが、途端にしぼんだ。事実、過去にはルシファーのことを、そう思っていた。


「わたしは——」


 言い返そうとしたが、言葉が見つからない。


「ルシファーはきっと、何か思惑があって、あなたに近づいたんですよ、マグディエル。そのためにレビヤタンを使ってラッパを盗ませた」


 ベルゼブブが、ラッパをマグディエルのほうにかたむけた。マグディエルはラッパを受けとる。指先に触れるラッパのひんやりとした心地が、心のうちにまで押し寄せるようだった。

 ベルゼブブは、マグディエルに顔をよせて、ささやくように言った。


「地獄の王が、なぜ、あなたみたいな弱くて、何ももたない天使と仲良くするのです? 気まぐれでしょうか? それとも、心を明け渡させたあとに弄ぶつもりなのかも。もしくは——」


 ベルゼブブの瞳の中に、マグディエルの顔がうつり込んでいた。不安げな顔でこちらを睨んでいる。


「あなたを利用して、そのラッパを地上に吹きならしてやろうとか」

「……やめてください」

「あなたみたいに自分の価値も見いだせない者に、本当にルシファーは友となりたいだけで近づきますか? 黎明れいめいの子と呼ばれた者ですよ。あなたよりはるかに価値の高い存在じゃありませんか。彼があなたに近づく目的を考えなかったのですか?」


 ベルゼブブの瞳にうつる、マグディエルの顔は青ざめて、もはや睨むことさえできないようだった。


「ルシファーのことを疑いたくはありません。彼は……わたしの友です」


 ベルゼブブが勝ち誇ったように微笑んだ。


「いいえ、あなたはもう疑っているではありませんか。だからずいぶんと友だちになることを渋った。でもルシファーに価値があるから、友にしようと思ったのでしょう。困ったことがあったときに、あわよくば助けてもらおうとね。ああ……、マグディエル、あなたも随分と狡猾さをお持ちのようだ」

「そんな、わたしは——」


 ベルゼブブが、マグディエルの頬にキスをした。何も感じられない、ただ触れるだけの形式的なキスだった。ベルゼブブは綺麗に微笑んで言う。


「いつでも、地獄に歓迎しますよ、マグディエル」


 風が吹いた。


 ベルゼブブの姿はもうなかった。


 マグディエルはラッパを撫でた。真っ二つに割れていた、今はもうどこが割れていたのかも分からない、つるりとした金色を撫でる。ベルゼブブが言った、様々のことが心を乱した。


 いやだ。

 そんなことは、思いたくない。


 そう願うのに、疑いの芽が次々と顔を出す。考えるほど、ベルゼブブの言葉は本当のことのように思える。ルシファーがマグディエルに近づいた理由を、考えてしまう。自分の価値のなさを身に染みて感じてしまう。そうして、ルシファーのことを疑わずにいられない、己の心の弱さが腹立たしい。


 そうやって、しばらく家の前に立ち尽くしていると、風が吹いた。かぎなれた、うっとりするような香り。


 ルシファーがいた。


 彼が近づいてくると、マグディエルの姿が女にかわった。ルシファーの明けの星が輝く美しい瞳を、見上げる。


「やあ、こんにちは、マグディエル。迎えに来たよ」


 ルシファーの声を聞いた途端、ベルゼブブの『あわよくば助けてもらおうと』という言葉が頭のすみをよぎる。マグディエルは、なんとか笑顔を取り繕った。


「ええ」


 そう返すので精いっぱいだった。

 明けの星から目をそらす。まともに見ることができない。


「マグディエル? 何かあったのか?」


 様子を覗うように、顔をのぞきこまれる。心配そうな顔をするルシファーに心が痛んだ。こんな風にしてくれる相手のことを、疑おうとしている自分の醜悪さにほとほとあきれはてる。


「すみません、ルシファー。今日は……、調子が悪いので、また日をあらためて——」

「ふうん」


 ルシファーが頭を下げた。マグディエルの胸の高さのあたりまで頭を下げる。何を? と思う間に抱きあげられた。


「ルシファー、おろして——」

「いやだ」


 ルシファーが優しい顔をして笑った。彼が羽をひと振りすると、溶けるように景色が流れる。下ってゆく。何層もの、古い層をくぐりぬけて、下へ、下へと下ってゆく。徐々に闇が濃くなる。もう何も見えなくなるのでは、と思われたとき、急に明るくなった。


 摩天楼の群れだ。巨大な都市が広がっていた。


 太陽の届かないよみで、街自体が光を発している。高層ビルの群れが生物いきもののように、発光しながら乱立していた。

 ルシファーが街を眺めながら言う。


「これが地獄の首都パンデモニウムだ」

「綺麗ですね」


 天の星を落としたような輝きが街に広がっていた。ルシファーは、最も高くて大きなビルの最上階にある庭園におりた。花と果実の香りがする。

 マグディエルをそっとおろして言った。


「わたしの家だよ。おいで」


 ルシファーの後ろについてゆく。


 これって高層ビルの上だよね、と疑問に思うほど大きい庭園だ。いくつもの大きな樹には、様々な実がなっている。赤いリンゴ、青いリンゴ、オレンジ、いちじく、桃、レモン、他にもある。すごい、どうやって管理しているんだろう。太陽がないことなど、なんの問題もないというように、季節もなにもかも無視して花が咲き乱れている。


 庭園の奥は、直接部屋につながっていた。


 巨大なリビングルームには、二十人でも座れそうなソファがガラスでできた暖炉を囲むように置かれている。吹き抜けには豪奢なシャンデリアが存在感を放っていた。こんなのYouTubeでしか見たことない。


 リビングルームの奥のキッチンは、これまた二十人くらいで一緒にお料理するのかな、という広さだった。お料理バトルできそう。


 ルシファーにすすめられて、大理石のキッチンカウンターに座った。

 目の前に、なにやらお洒落な飲み物を置かれる。花の香りがした。


「それで、何があったか話してくれるんだろうね?」


 ルシファーがキッチンカウンターの向こう側で、カウンターに手をついて言った。


 正直に言って、謝ろう。マグディエルは話すことにした。


「ベルゼブブに会いました」

「ふうん、君に何か言ったのかい?」


 マグディエルはテーブルの上に置いた自分の手を見つめた。ベルゼブブとの会話を思い出すと、震えだしそうな気がして、左右の手で、それぞれの指先を押さえるようにして言った。


「わたしが、ラッパをなくして、すぐにあなたがそれを取り戻して現れるなんて、都合が良すぎるのではないかと言われました。レビヤタンを使ってラッパを盗ませたのではないかとも、言われて……。段々と話すうちに、こわくなって……、親切なあなたのことを疑ってしまいました」


 手元からルシファーの顔に視線をうつす。

 変わらず優しそうな顔があった。

 胸が痛む。


「ごめんなさい」


 ルシファーが、優しそうな顔のまま言った。


「ベルゼブブが言ったことは本当だ。わたしがレビヤタンに、君のラッパを持ってくるよう言った」


 ルシファーの表情は変わらない。


 彼が何を言ったのか、受け取るまでに時間がかかった。


 押さえていたマグディエルの指先が震えた。





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 おまけ ☆聖書豆知識☆

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【パンデモニウム】

これは聖書ではなく、ジョン・ミルトンの「失楽園」より拝借いたしました。

ルシファーが堕天したまさにその瞬間からはじまる物語で、大変おすすめです。


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