第31話 皆でキメよう、ハイになるやつ
「マグディエル、大丈夫?」
アズバがマグディエルの翼をなでながら言った。
「うん、大丈夫、ちょっと……、昨日寝つきが悪くて」
アズバが「あらあら」と言う。
寝つきが悪かったどころではない。そろそろ眠れそうだな、というタイミングでミカエルが服をひっぱるので、全然ゆっくり寝られなかった。昨夜のミカエルはほんとうに、しつこかった。最終的に、マグディエルが腕と翼と足までつかってミカエルを抑え込む形で寝た。
マグディエルは城壁の上からぼーっとダビデの町をながめた。
「みなさん!」
ダビデの声だ。ダビデとマトレドが一緒に階段を上がってきた。
「ついに出発ですね」
ダビデは「ほんとうに寂しくなります」と続けて、マグディエル、アズバ、ナダブとそれぞれに握手をかわした。マトレドも、それぞれと別れのキスを交わした。
「これで、ゆくのですか?」
そう聞くダビデの目の前に、大きな籠があった。人が四人ほど中に入れそうなサイズの大きな籠だ。
「たぶん」
マグディエルはあやふやに返事した。
ミカエルがここで待つように言っていたので、おそらくこれを使ってイエスの家まで移動するのだろう。
そのとき、階段の下からさわがしい音が聞こえた。フォンフォンという音と、何か金属がぶつかるような音がする。しばらくすると、座天使が四体あらわれた。一番うしろにミカエルがいる。座天使たちはフォンフォンと金の輪っかをまわしながら、かしましく会話しているが、金の輪っかに何かがついているせいで、すごくうるさい。
なんだ?
よく見ると、大きなカラビナが金の輪っかについている。
座天使たちは籠のそばに来ると、それぞれ四隅の角に陣取って、カラビナをぶらぶらさせて『ツケテー』と言った。
マグディエルたちは手分けして、カラビナと籠をつなぐ。
全部つけ終わると座天使たちはミカエルに向かって『ジュンビバンタンー』と言った。
「では行こうか」
ミカエルがそう言って、籠を指した。
マグディエルとアズバとナダブは、最後の挨拶をすませて籠の中に乗り込む。
ミカエルが飛ぶと、座天使たちも勢いよく飛んだ。
早い。
あっという間に、かなりの高さまで上昇した。ダビデの町がはるか下に見えている。すこし眺めている内に、どんどん町が遠ざかってゆく。
ミカエルは、より高い位置を飛んでいた。
座天使たちは、その姿を見ているのか見ていないのか、不安になるくらいお喋りに興じている。どうやら、今日開催しているらしい『はじけろ目玉ボーリング大会』の勝敗についてどーのこーのと話しているようだ。カラビナで繋いでいない金の輪っかを休みなくフォンフォンさせていた。
一体の座天使と目が合った。
『ドウカシター?』
「みなさんは、天軍の方ですか?」
『ソウダヨー。戦士ナノー』
戦士なんだ。
「お休みなのに、ご迷惑おかけします」
『ダイジョウブ、代休アル』
『有給ト合ワセテ連休トル』
『エッ、連休ニシテモイイノ⁉』
『イイデショ』
『聞イテミル?』
座天使が『ミカエル様―ッ』と叫びながら、すごい勢いで上昇した。マグディエルたちは、立っていられずに籠の中で絡み合うように倒れた。
座天使たちが『連休! 連休!』と叫ぶ。
ミカエルの「何を騒いでる」という声が聞こえたと思ったら、ミカエルが籠の中に着地した。衝撃でまた籠がゆれる。
『アーッ! バランス崩レチャウー』
『キャーハハハ』
籠が勢いよくゆれると座天使たちが楽しそうに笑った。
「そのまま、まっすぐ飛べ」
ミカエルが言った。
『ハーイ』
『ミカエル様、代休ト有給合ワセテ連休ニシテイイー?』
『連休ホシー。ダメー?』
『三連休ハー?』
「いいぞ」
『五連休ハー?』
「いいぞ」
『ジャア、十連休ハー?』
「有給は計画的に使いなさい」
『ダヨネー!』
『キャーハハハ』
その後も座天使はつきることなくお喋りを続けた。
しばらくするとミカエルが下を覗き込んで言った。
「お前たち、あの家の前に下ろせ」
マグディエルも下を覗いた。
森の中に、ぽつんと小さな家がある。
下につくと、ミカエルが「ここで待ちなさい」と言って、ひとりで家に向かった。ミカエルが扉をたたいてしばらくすると一人の人間の女性が出てきた。優しそうな雰囲気の女性だった。しばらく話すと、ミカエルは戻ってきた。
「イエスは出かけているらしい。お前たち、わたしについてきなさい」
座天使たちが『ハーイ』と返事した。
「あの女性は?」
マグディエルはミカエルに聞いた。
「彼女はイエスの母、マリアだ」
マグディエルは心の内で「有名人! キャー!」と叫んで、女性に向かってペコリと頭をさげた。
マリアは、にっこりと微笑んでちいさく手を振ってくれる。
マグディエルもアズバもナダブも手を振り返した。
座天使たちがミカエルを追いかけて上昇する。
目的の場所にはすぐに着いた。こちらも森の中にぽつんとある、ちいさな家だった。家の前に人がいる。半裸で、なにやら作業をしているようだ。
ミカエルと、マグディルたちが乗る籠が着地すると、半裸の男は、にこやかな顔でふりむいて言った。
「やあ、ミカエル久しぶりですね!」
筋肉質で引き締まった身体に、おだやかな顔をしている。
もしや、彼が神の子イエスなのだろうか。
マグディエルたちも籠から出る。すると座天使たちが急に『ハズシテー!』『カラビナ! ハズシテ!』と騒ぎはじめた。マグディエルたちは急いでカラビナを外す。カラビナを外された座天使は、すごい勢いで爽やか筋肉お兄さんの方に飛んでいった。
マグディエルたちも、後を追って爽やか筋肉お兄さんの方へ行く。
『イエスー!』
『アレヤッテー!』
『ハイニナルヤツ!』
『オネガイーッ』
座天使たちが一斉にわあわあ言う。
ミカエルが何やら耳に入れた。
耳栓?
それで、やっぱりこの爽やか筋肉お兄さんがイエスなんだ。
にしても、ハイになるやつ?
マグディエルが首を傾げていると、イエスがにこやかに笑って両手を広げて言う。
「まことにまことに、あなたがたに言います」
おお!
これは!
初、生で聞けて嬉しい。聖書でもおなじみの、さとしの言葉を言うときのイエスお決まりの台詞だ。いったいどんなありがたい言葉が出るのか。マグディエルは唾を飲み込んだ。
イエスは様子を覗うように言った。
「ハレルー……?」
あんなにうるさかった座天使が微動だにせず黙って、イエスを見つめている。
一体何が起こるのか。
イエスが全身に力をこめて笑顔で叫んだ。
「ヤーッ!」
その瞬間、座天使が地に転げた。
『キャーッ!』
『ギャハハ』
マグディエルの腹の底から、なぞの笑いが込み上げる。じわあっと広がるように笑いの衝動に飲まれていく。気づいたら、腹をかかえて笑っていた。アズバとナダブも同じように笑っている。
なにこれ。
なんでこんな。
よくわからない笑いの衝動に飲まれ、笑っている自分たちの姿にさらに笑いがこみあげてくる。マグディエルが混乱していると、イエスはまた続けざまに言った。
「ハレル、ヤーッ!」
『ウワーッ!』
『キャーッ! ゲラゲラ!』
座天使が金の輪を放り出して、そこいらじゅう転げまわった。
マグディエルも膝をついて笑う。
笑いすぎてだんだん苦しくなってきた。涙まで出てくる。腹筋が痛い。
「ヤーッ!」
『ヒィーッ‼』
『ピギャーッ‼』
もうだめだった。マグディエルは地に伏して、笑った。もうそろそろ腹筋が限界をむかえている。涙で前が見えないし、天がどっちで地がどっちなのか、ぐるぐるして分からなくなってきた。世界がまわっているような感覚だった。
マグディエルはもうこれ以上は笑えなくて、ぼやーっとした気持ちで倒れた。なにもかもが遠くに聞こえる。誰かが何か話しているような気もする。
これが、ハイになるやつ?
しばらくそうやってぼーっとしていると、徐々に世界の音が戻ってきた。
ふらふらする頭をなんとか起こして、まわりを見る。
座天使は金の輪をあっちこっちに転がしたまま、目玉もころりと地に転がっている。アズバはお腹をかかえてうずくまっているし、ナダブは仰向けに大の字で寝転がっている。
ミカエルとイエスがこちらを見ながら何かを話している。
マグディエルは立ち上がった。
とたん、眩暈に襲われる。
腕をつかまれて、倒れずにすんだ。
ミカエルだった。
「ありがとうございます」
「無理するな。致死量のハレルヤ浴びてたぞ」
なんとかミカエルにつかまって立つ。
その時、家の扉がひらいて、ひとりの美しい人間の少年が出てきた。
「先生~、なに騒いでるんです?」
「ああ、ヨハネ、今ちょっとハレルヤしてました」
「わ~、死屍累々ですね」
ヨハネ?
マグディエルはまわりきらない頭で考えた。
どっち? どっちのヨハネだろう。洗礼者のほう? それとも使徒のほう? イエスのことを先生と呼んでるから、使徒ヨハネかな。だったら聞きたいことがいっぱいある。あの意味不明の黙示録について、教えてもらいたい。
「どっち……どっちのヨハネですか……」
マグディエルの口から、かぼそい声が出た。
あ、なんか吐きそう。
まだ、天地がぐるぐるする感覚がある。
ヨハネが、小首をかしげ、口元に人差し指をあてて、にっこりと笑いながら答えた。
「先生に愛される弟子のヨハネですよ」
使徒だ……、だめだ……、吐く。
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おまけ ☆聖書豆知識☆
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【聖母マリア】
イエス・キリストの母。
処女でイエスを産んだ人。
【ハレルヤ】
「ヤハウェをほめたたえよ」の意味。
【ヤハウェ】
唯一神の名。
【ヨハネ】
洗礼者ヨハネは、ヨルダン川でイエスに洗礼を施したひと。
使徒ヨハネは、イエスの弟子。イエスの愛しておられた弟子、と言われている。
【先生】
ヘブライ語で先生、教師という意味。
弟子たちは最初、イエスのことを先生と呼び、後半では主と呼んでいた。
マグダラのマリアは方言で先生と呼んだりしています。




