第27話 文通からはじめましょう
もう明日には、ダビデの町をでる。
マグディルはしばらく使わせてもらった部屋を掃除しながら、悩んでいた。
ルシファーにお礼をしていない。
ラッパを取り戻し、治してもらって、いろいろとなぐさめられた上に、メンタルクリニックの上にある部屋の鍵までもらった。友となったからには、こちらからも何かお返ししたいが、ルシファーが望みそうなものなど、何も思いつかない。そのうえ、こちらから会いに行ったこともないので、どうやって連絡をとればいいのかも分からない。
マグディエルは、テーブルを拭いていた手をとめて、考えた。
もしや、ミカエルなら、ルシファーと連絡をとる手段を知っているだろうか。
そうだ、掃除が終わったら、ミカエルの部屋に行ってみよう。
*
マグディエルが扉をノックすると、中から「どうぞ」と声がした。
部屋に入ると、ミカエルがベッドの上でだるそうに寝転がっている。
「まだ、寝ていたんですか、もう昼ですよ」
「非番なんだから、いいだろ」
「いいんですか『ミカエル様』のそんな状態、だれかに見られたりしたら——」
「休みの日に上司の部屋にくるやつなんていない」
マグディエルが近寄っても、だるそうに寝転がったまま、起き上がる気配もない。
相変わらず、二面性がすごい。
「なんだ、なんか用か」
「ルシファーにお礼をしたいのですが、ミカエルは連絡する方法をご存知ですか?」
「お礼? ルシファーに?」
ミカエルが、すこし驚いた顔をしてこちらを見た。
「はい」
「名前を呼んだら、すぐに来るんじゃないか? 言ってただろあいつ」
たしかに、名前を呼べとは言われたが、つらくなった時や、危険な時にと言っていた。お礼をするのに、呼び出すのは礼を欠く気がする。そうでなくても、こちらの都合だけで呼び出す、というのは気が引けた。
「お礼の手紙と、なにかお礼の品ぐらい送れたらなと思うのですが——」
ミカエルは興味なさそうに「ふーん」と言った。
「鳩便使えば?」
「鳩便?」
「なんだ、使ったことないのか?」
「はい」
「町にでたら、鳩便の店がそこらじゅうにあるから、それを使えばいいよ」
マグディエルは、すこし考えて言った。
「地獄にも送れるんです?」
「送れる送れる。おれもルシファーに手紙出すとき使ってるから大丈夫」
すごいな鳩便。
マグディエルは感心しつつ、ミカエルに礼を言って、部屋を出ようとした。
「おい」
ミカエルの声に止められる。
振り返ると、変わらずだるそうに寝転がったままミカエルが言った。
「今日の夜はちゃんと女の姿でこの部屋に来るんだぞ」
「はい?」
一体なんの話なんだろうか。
「今日の夜はちゃんと女の姿でこの部屋に来るんだぞ」
ミカエルが一言一句同じ内容をくりかえす。
「お断りします」
「なんでだよ~、鳩便のことも教えてやっただろ、ケチケチするなよ」
「失礼します」
扉のむこうから「ケチ~」という声が聞こえたが、かまわず閉めた。
*
町に出ると、たしかに、そこかしこに鳩を扱っている店がある。鳥かごの中で、ゆっくりしている鳩もいれば、店の前で適当に油を売っている鳩もいる。
マグディエルは大通り沿いにある、ちいさめの店に入った。
中には何人か客がいるようだ。
カウンターの奥にいる、座天使に話しかけてみる。
「手紙と荷物を届けたいのですが」
座天使が輪っかをフォンフォンさせながら答えた。
『宛先ハ、何カ所デスカ?』
「三カ所です」
マグディエルがそう言うと、座天使が奥の棚から、三羽の白い鳩を選んで、カウンターに置いた。
『デハ、順番ニ、運ンデホシイモノヲ鳩ニワタシテ、宛先ヲ言ッテクダサイ』
マグディエルは、それぞれの鳩の前に手紙と包みを置いた。
順番に、鳩に宛先を伝える。
「一番高い雲の上に住む、大きな目の座天使、エレデに」
鳩は一声鳴いて、頷いた。
これで、いいんだろうか。
よく分からずに、座天使のほうに目をやると、眼をこくこくとして頷かれる。
合ってそう。
マグディエルは、次の鳩に宛先を伝えた。
「天軍の最高指揮官である、熾天使のミカエルに」
また、鳩が一声鳴いて、頷く。
隣で、荷物を預けようとしていた人がこちらをチラリと見た。
目が合って、お互いにペコリとする。
マグディエルは、最後の鳩に宛先を伝えた。
「地獄を統べる王である、サタンのルシファーに」
同じように、鳩は一声鳴いて、頷いた。
隣の人がぎょっとした顔でこちらを見る。
目が合って、ペコリとするが、気まずい空気が流れた。
店を出てから、マグディエルはふと、ミリアムたちやユダにも手紙を出せば良かったな、と思った。
まあ、いいか、それは帰ってアズバとナダブに相談しよう。
マグディエルは、大通りの喧騒を楽しみながら、城へ向かって歩いた。
*
ベルゼブブは、音のする方に目を向けた。
窓に、荷物を持った白い鳩が体当たりしている。
ルシファーが、手をふると、窓ガラスが消え、鳩が勢いをつけたまま飛び込んできた。テーブルの上に、ドサーッと雑に荷物を置いて、そのまま窓から出ていく。
相変わらず雑な仕事ぶりだな、鳩便。
ルシファーが、荷物にくっついていた手紙を手に取って見る。
「また、泣き虫のミカエルからですか?」
ベルゼブブが訊くと、ルシファーの唇の端が、すこし上がる。
おや。
「マグディエルからだ」
あの、弱い天使か。
ルシファーが封を開けて、中を見る。
ほうほう。
ベルゼブブも、ルシファーの隣に行って、その手の中にある手紙をのぞきこむ。
まずは挨拶と、これまでのことに感謝をのべる言葉が並べられている。ルシファーの羽の傷を心配しているようだ。その先は、ミカエルとエレデに会いに行ったことが書いてあった。ルシファーの羽の祝福を、エレデが『綺麗な祝福だ』と言っていたらしい。それから、ダビデの町をはなれることが書かれている。
ふうん、神の子に会いに行くのか。
ルシファーが荷物のほうに手を伸ばす。
包みをひらくと、箱が入っていた。
中身は、ダビデの町名物、ゴリアテ饅頭だった。
おおお。
効いていない。
ほんっとうに、効いてない。
手紙の中身からも、ゴリアテ饅頭からも、傲慢さの欠片もただよってこない。
おどろくほど、ノー傲慢、イエス謙虚。
「ほんとうに、効かないんですねえ、あなたの誘惑」
ルシファーの顔を見るが、何を考えているのか表情からは読み取れない。
ベルゼブブが、ゴリアテ饅頭に手を伸ばすと、ヘビに姿を変えたルシファーがゴリアテ饅頭の箱ごとくわえてすい~っと移動した。そのまま部屋を出ていく。
「ちょっと、ひとつくらい下さいよ、ケチなヘビですね」
扉にむかって言うと、閉まりがけにぽいっとひとつだけ饅頭が飛んできた。
あぶな。
顔に当たるとこだったろうが。
飛んできた饅頭をあらためて見ると、いかつい髭面の男の頭だけという、不気味な様子だった。
ベルゼブブは、匂いをかいでから、一口で食べた。
お。
うまい。
*
マグディエルは、アズバとナダブと三人で、城での最後の夜の食事をした。
「あっという間の一ヶ月だったわね」
「だな~」
アズバとナダブが言った。
ほんとうに、あっという間だった。
「すっかり、自分の部屋みたいに馴染んじゃったから、あの部屋から出ていくのはすこしだけ寂しい気もするわね」
マグディエルは頷いて答えた。
「今日、すみからすみまで掃除したら、なんだか寂しくなったよ」
ナダブが「ほんとにな~」と言う。
なんだかいろいろあったけど、終わってみると、しんどかったことも笑えるのは、なんでなんだろう。
「楽しかったね」
マグディエルの言葉に、アズバとナダブが嬉しそうに笑った。
「また、来ましょう」
アズバが言う。
「次はもう笛を吹くのはなしな」
ナダブが言った。
三人で笑う。
マグディエルたちはゆっくりとした時間を楽しんで、それぞれの部屋に戻った。
*
マグディエルは、アズバの部屋の扉をたたいた。
すぐに扉がひらく。
「どうしたの、マグディエル?」
「うん、ちょっとお願いしたいことがあって」
アズバが首をかしげる。
「そう、中に入る?」
「いや、ここでいいんだ。すこしの間だけ、男の姿になってくれる?」
「男の姿に? いいけれど」
アズバはすぐに姿を男に変えた。
マグディエルの姿が女に変わる。
マグディエルはアズバにぎゅっと抱きついた。
アズバが「どうしたの?」と笑いながら、抱き返してくれる。
優しい匂い。
優しくて暖かで、満ち足りた香りがする。
マグディエルは、「ありがとう」と言って、アズバから離れた。
「もういいの?」
アズバが、マグディエルの頭をなでながら言った。
「うん。おやすみなさい、アズバ」
「おやすみなさい、マグディエル」
お互いの頬にキスをした。
アズバの部屋の扉が閉まると、マグディエルは歩き出した。
月明かりが照らす廊下を歩く。
静かな夜だった。
ミカエルの部屋の前まできて、扉をたたく。
返事がない。
耳をすませるが、何の音もしない。
出かけているんだろうか。
扉をおすと、開いた。
すこしだけ、覗いてみる。
どうやら、不在のようだ。
まさか……、地上に人の女を探しに行ったんだろうか。
すこしだけ、待ってみよう。
廊下の窓から、月を眺める。
さっきの、アズバの香りを思い出した。満ち足りた香りだった。そして、ミカエルの香りも思い出す。高位の天使が持つ、あらがいがたい魅力を持った香りと……、その向こうにあった香り。
ミカエルが目の前にいるときは、混乱していて気づけなかった。
体温が伝わるほど、近寄ったときにだけ、香った。
孤独で寂しい香りだった。
マグディエルはちいさくため息をひとつついた。
ミカエル、堕天ラインギリギリのことをしていないといいけれど。
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おまけ ☆聖書豆知識☆
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【熾天使】
神学者によると天使の九階級のうち最上の天使とされています。
三枚六対の翼を持つ、力の強い天使。




