第25話 マグディエルの嫉妬
マグディエルたちがダビデの町を出発する日は、天軍の休みの最終日、つまり三日後となった。
「イエスの家まで、連れて行ってやろう」
ミカエルがそう言ってくれたおかげで、ばたばたと出発することが決まった。
ミカエルとの昼食を終えてすぐ、ダビデに伝えると、彼は寂しくなりますと言って、それぞれの手を握った。
「そうだ! ちょうど天軍の皆さんも到着されたところですし、天軍の歓迎会と、あなたたちの送迎会をしましょう! 今日!」
マグディルたちが、なにを言う暇もなく、ダビデは「では準備しますので、夜に!」と言って走り去ってしまった。
「なんだか、寂しくなるな」
ナダブが言った。
マトレドと随分仲良くなったのだから、寂しいだろう。
「わたしは、けっこう色んな競技にも出つくして、満足したわ」
アズバが言った。
いまや、アズバはダビデに次ぐ闘技場での人気選手だ。
「残るという選択もできるよ」
マグディエルがそう言うと、ナダブが「ばーか」と言った。
「言うと思ったよ。御座までついてくって言ったろ」
ナダブがマグディエルの肩を殴る。
けっこう痛かった。
アズバがそれを見て笑った。
*
歓送迎会は、城の大広間で行われた。はじめて入ったが、すごい広さだった。立食形式で、みんな思い思いに談笑したりしているようだった。
「あ! マトレド!」
ナダブが手をふって、大きな声で言った。
遠くのほうで、マトレドがこちらに気づいて手を振る。
マトレドは、近づいてくるなりマグディエルをひしと抱きしめた。
びっくりした。
「ああ、よかったです、マグディエル。サタンに連れ去られたと聞いたときは、本当に本当に本当に肝を冷やしたんですから」
「マトレド、あなたが、天軍を呼びに飛んでくれたと聞きました。本当にありがとうございます」
「わたしの取柄はちょっとだけ飛ぶのが早いことですから」
マトレドは一度マグディエルをはなしたあと、顔を見つめて、うるうるっとしたあと、もう一度ひしと抱きしめた。
「神様、マグディエルを無事に返してくださり感謝いたします」
「あ、アーメン」
マグディエルは戸惑いつつも答えた。
マトレドはまた身体をはなして言った。
「おそろしいことをされたり、しませんでしたか?」
そう言われて、ミカエルのことを思い出した。
あの堕天ラインギリギリをせめる感じは、おそろしかった。
「大丈夫です。おそろしいことは、ルシファーにはされていません」
「ああっ、良かった!」
また、マトレドはひしとマグディエルを抱きしめた。
このやりとりが、あと五回ほどつづいて、ようやっとナダブが「マトレド……もうやめてあげて」とストップをかけた。
「あ、ダビデよ」
アズバが言った。
ダビデが、すごい数のジョッキを両手にかかえて来た。
「さ、みなさん飲んでください。友の出会いと別れに!」
ダビデの声に、みなも配られたジョッキを片手に応える。
「マグディエル、昨日は本当に大変だったそうですね。せっかくデートしていたところを勘違いで天軍に突入されたとか」
「——ん?」
ダビデ以外全員が、よくわからない話の流れに首をかしげる。
「わたしも恋人ではなく、友でしたが、敵味方に分かれるような状態で、大切に思い合う人がいたので、よくわかります。障害があると、より燃えますよね!」
「ダビデ……、あの、何の話を?」
「ルシファーとお付き合いされているのですよね」
ダビデが「大丈夫です、わたしは応援します」と言って、うんうんと頷いた。
ナダブがすごい顔で「は⁉」と言い、アズバが眼を見開いて「そうなの⁉ マグディエル⁉」と言い、マトレドが口を大きく開けてぽかーんとしている。
マグディエルは焦って、答えた。
「誤解です‼ 一体だれがそんなことを⁉」
まさか、ミカエルがそんな偽りを言うとは思えないが……。
ダビデは首をかしげながら言った。
「ちがうのですか? ミカエルから聞いたのですが」
マグディエルは大広間に視線をめぐらせて、ミカエルをさがした。
あの大天使、いよいよ堕天するつもりじゃなかろうか。偽りを言うなんて。
マグディエルは心配になった。
ダビデがつづけて言った。
「ベッドの上で、ふたり、ひしと抱き合っているところに突入してしまって、なんだか申し訳なかったと。ミカエルがそう言っていました」
マグディエルの時が止まった。
これは——。
偽りではない——。
否定もできずに、みんなの方を見る。
ナダブもアズバもマトレドも、全員おなじように固まっていた。
「ほ……、本当なの? マグディエル?」
アズバが、固まった表情のまま言った。
マグディエルの脳が高速回転する。一体なんと言えば! 『いいえ』と言えば偽りを言うことになるし、『はい』と言えばさらなる誤解を生む。
マグディエルはようやっと絞り出すような声で言った。
「これには、理由が……」
固まり続ける周りの表情を見て、マグディエルは決意した。
言うしかない。
「ルシファーと私は、友なのです。抱き合っているように見えたのは……、その、彼が気落ちしているように見えたので、祝福の……、祝福のキスを、してたら、なんだか、そういう感じに」
言いながら、この説明ではさらなる誤解を生むのでは、と不安になる。
ダビデだけが笑顔で言った。
「ああ、そうだったのですね! マグディエル、わたしとあなたは本当に似ているようです」
ダビデは「あなたたちの友情に、祝福がありますよう」と言って、マグディエルを抱きしめた。
固まるみんなにダビデが「さあさあ」と言った。
「われわれは、みな友となりましたが、とくに心分かちあえる友ともであいました。マトレドとナダブは良き筋トレの友となったようですし、わたしとアズバは力を比べ合える良きライバルとして友になれました。マグディエルにも、新しき友ができたことは喜ばしいことです。ね?」
ダビデの無邪気な笑顔に、アズバとナダブとマトレドも、そっか、そうかな、そうかもな、という感じで、徐々に表情をくずした。
「ダビデ、あなたは……、わたしが悪魔と友になったことを、せめないのですね」
ダビデがどこか懐かしむような顔をして言った。
「立場とは複雑で難しいものです。望んでその場所に立つにしろ、望まずに立つにしろ。敵として見れば、憎い部分が見え、味方として見れば、愛しい部分が見える。敵も味方も、立場がちがうだけ。ルシファーもあなたと同じ天使です。わたしと、わたしの友がおなじ人であったように」
ダビデが「あっ」と何か思いついたようすで、つづけて言った。
「立場と言えば、身分的な違いも似ていますね。わたしはただの羊飼いで、わたしの友は王の子でしたし、あなたは新世代の若き天使であり、ルシファーは地獄を統べる王です」
ダビデの優しくはげます様子に、マグディエルはほっと肩の力が抜けるような気持になった。
「ありがとうございます、ダビデ」
ダビデがにっこりと笑った。
*
マグディエルは大広間から庭園にでて、ベンチに腰掛けた。
まだ、大広間での宴会は続いていたが、ひとりふらっと出てきてしまった。地上におりてから、次々にいろんなことがおこったから、すこし疲れたような気もする。
ナダブはマトレドと相変わらず楽しそうにしていたし、アズバとダビデも話がつきることはなさそうだった。
なんとなく、アズバがダビデに向けるあけっぴろげな笑顔を思い出してしまう。
楽しそうだった。
「マグディエル」
「わ、びっくりした」
アズバが、マグディエルのとなりに座った。
「どこに行ったのかと思ったわ」
「すこし、疲れちゃって」
「そうなの? 大丈夫? 部屋にもどる?」
アズバが心配そうに、マグディエルの顔をのぞきこんだ。
「すこし休めば大丈夫だよ」
アズバの翠の瞳が、たしかめるように、マグディエルに向けられていた。
大広間からもれる灯りをうけて、アズバの瞳が輝いていた。
「また、何も言わずに行っちゃわないで」
アズバが、すこし怖い顔をして言った。
「はい」
アズバはベンチの背にもたれて、伸びをした。
「まさか、あなたが、サタン……ルシファーとお友達になるなんてね」
「まさかだよね」
ふたりとも、ベンチの背にもたれて、黙った。
話さなくても、心地よい。
「ダビデと、話さなくていいの?」
「あら、やきもちやいてるの?」
アズバが笑いながら言った。
「うん」
アズバがこちらを向いて、すこし驚いた顔をした。
「あなた、もしかしてこの一月、それでさびしくて元気がなかったんじゃないでしょうね」
「——」
「そうなの?」
マグディエルは頷いた。
アズバがふわりと抱きしめてくれる。
「ああ、マグディエル。わたしの一番のともだちはあなたよ。さびしくさせてごめんね」
「きみが新しくできた友と楽しくしているのを歓びたかったんだ。でも、できなかった。今だって、ダビデのところにはもどってほしくない」
マグディエルは、アズバをぎゅっと抱きしめた。
やさしい香りがする。
腕の中で、アズバがふふと笑った。
「あなたって、かわいいわ。じゃあ、今日はずっとふたりで過ごしましょう」
「うん」
アズバがマグディエルの頬に親愛のキスをした。
マグディエルもアズバの頬に親愛のキスを返す。
アズバが言った『一番のともだち』という言葉が、マグディエルの耳の奥にやさしく残った。
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おまけ ☆聖書豆知識☆
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【ダビデの大切な人】
ダビデのことを殺そうとしたサウル王の息子ヨナタンのこと。
旧約聖書では、ヨナタンとダビデがいかに強いきずなで結ばれていたか描かれています。
命がけで会ったり、口づけしあうほどです。




