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第22話 だめなほうのミカエル

 マグディエルの胸にも腹にも、ミカエルの肌の温度がしっかり伝わるほど、密着している。

 何が起きているか、わけが分からず固まっていると、ミカエルが文句を言った。


「おい、そう固まってちゃ、抱き心地が悪いだろ」


 マグディエルは答えられない。


 ミカエルがマグディエルの背にまわした手で、マグディエルの翼の根元のあたりを、かくように撫でた。マグディエルの翼が、つい反応してぱたぱたと羽ばたいてしまう。

 自分では触れにくい部分をマッサージされて、意外な心地よさに力が抜ける。

 マグディエルの身体の力がぬけると、ミカエルは満足そうに「よしよし」と言った。


 緊張がとけてくると、ミカエルのうっとりするような高位の天使の香りに、さらに力が抜ける。ルシファーの香りと似ているが、すこし違う。どちらも、ぼうっとするほど良い香りだが、ルシファーの香りはまどわすようなあやしさがあり、ミカエルの香りは祈りがたちのぼるようなやさしい香りがする。

 マグディエルが、うっとりしはじめたころ、ミカエルが口をひらいた。


「なあ、マグディエル、もうちょっと胸おおきくできない?」


 ミカエルの最低すぎる発言に、マグディエルははっとした。

 両手で、ミカエルの胸を押して身体をはなす。

 マグディエルは、ミカエルをにらんだ。


「なにをしているんですか」


 強い調子のマグディエルの声に、ミカエルがへらへらっと笑った。


「安心しろ、おれは女の股の内側には興味ない。グリゴリのやつらじゃあるまいし」


 冗談ではない。人の女と交わった堕天使のあつまりであるグリゴリと同じなら、大問題だ。マグディエルが眉間に皺をよせたままでいると、ミカエルはつづけて言った。


「今から地上で人の女を探すの面倒だし、いいだろ?」

「人の女を、探す?」

「うん、いつもSNSで探してる」


 マグディエルは、だんだん本当に心配になってきた。

 この大天使、いったい何を言っているんだろうか。


「なんだ、SNS使ったことないのか?」

「そういうことじゃありません。一体、人の女と何をしているのです」


 堕天していないのが奇跡、みたいな発言を連発するミカエルに、マグディエルの口調がついきつくなる。


「言っただろ、おれは女の股の内側には興味ない。ただの人肌恋しい系だ」

「ひとはだこいしいけい?」


 マグディエルはいよいよ、ミカエルが何を言っているのか分からなくて、単語を咀嚼そしゃくするのに時間がかかった。


「こういうのだよ。男の身体と女の身体でぴったりくっつくと気持ちいいだろ?」


 ミカエルはそう言って、マグディエルに身体をよせた。

 たしかに、アズバとくっつくとき、男の身体と女の身体でくっつくのは、なんだかぴったりとして心地よいと思ったことはあった。


「で、もうすこし胸を大きくできない?」

「できません!」

「そっか、大丈夫、大丈夫、そのくらいでも気持ちいいから」


 マグディエルははじめて、自分よりはるかに高位の天使に対して、殴ってやりたい衝動にかられた。思わず肩に力が入る。


「なんだ、怒ったのか? 怒るなよ~、な? 今日助けに行ってやったろ? 仕事して疲れたんだ、一晩くらい優しくしてくれよ」

「仕事のできる『ミカエル様』はどこに行ったんですか」

「ルシファーの恋人なら、どうせそのうちこの感じもばれるだろうし、いっかなって」

「だから、誤解です!」

「なんだ、ちがうのか? 気をつけろよ、ルシファーくらい変態だと、天使同士でも欲情させられるかもしれないぞ」


 変態……。

 変態はミカエルでは。


「おい、今、なんか失礼なこと考えなかったか?」

「失礼なのはそちらでは?」

「お、さすが、ルシファーとつるんでるだけあって、言うね~」


 ミカエルがふざけた調子で言う。

 マグディエルは、今まで体感したことのない、いらつきを感じた。


「天使同士ではよっぽどじゃなきゃ欲情できないんだし、ほんとは裸で抱き合うのがベストだけど、優しさで全部脱がさずに薄布一枚残してやったし、いいだろ?」


 ミカエルが「安心して、一晩抱かせろ」と横暴を言う。


 しつこい。

 マグディエルは、なんだか疲れてしまって、ぐったりと力を抜いた。

 ミカエルがすかさず、ぴったりくっついて「は~、これこれ、やわらかい」と言った。


 一体、何で悩んで落ち込んでいたんだっけ。


 目の前の大天使のばかばかしい態度に、マグディエルのメンタルも全体的にばかばかしい雰囲気に倒れてきた。大きなため息が出る。


 ミカエルが、すこし身体をはなして、マグディエルの瞳をのぞきこんだ。まるで調べるように角度をかえて見る。


「ふうん、ずいぶんつらそうなものを持ってるんだな、それでルシファーに目をつけられたのか?」


 マグディエルは、ルシファーに見透かされた『恐れ』と『欲望』を思い出して、気がふさいだ。マグディエルが言葉にできずにいると、ミカエルが言った。


「せっかくだ、人肌提供のお駄賃に、相談にのってやってもいいぞ。眠くなるまでならな」


 マグディエルは悩んだ。

 大天使が話を聞いてくれるというのは、とても心強い。ひとりで抱えるには、いろいろありすぎた。使命と神を見失ったことも、笛をふけないこともそうだし。ルシファーのことはとくに、ミカエル以外に相談できそうにない。アズバとナダブには、どう話せばいいのか、よく分からなかった。


 でも、ミカエルだし。ちゃんと聞いてくれるんだろうか。


「また、失礼なこと考えただろ今」

「はい」


 またミカエルがむかつく感じで「言うよね~」と言った。


 マグディエルは、ぽつぽつと、今まであったことをはなした。アズバとナダブにも言えなかったルシファーのことも、メンタルクリニックでは詳細に語れない天国でのことも、こまかに話した。ちゃんと聞いてくれなくてもいい。自分の頭の中も整理したくて、はしからはしまで話した。

 気づいたら、ずいぶん長い時間はなしていた。


 どうせ真剣に聞いてはいないだろうと思って、ミカエルの腕の中から彼を見上げると、太陽の光をもつ美しい瞳が、こちらをじっと見ていた。


「マグディエル、どうか主がきみを導いてくださるよう。ひかりがきみとともにあるよう」


 ミカエルが、そっとマグディエルの額になぐさめのキスをした。

 彼の祈りとキスは、まるでようやっと、羽をやすめる場所に辿り着いたような、こころの安らぎをマグディエルに与えた。


 ミカエル、ちゃんと大天使だった。


「ミカエルは、ルシファーと仲が良いのですか?」


 さっきは答えてもらえなかった質問を、もう一度してみる。


「そうだな、ルシファーとは、きみが想像もつかないほど古い仲だからな。まあ、いまもたまに会うくらいには仲良くしているよ」

「想像もできませんでした」


 ミカエルは天軍の最高指揮官であり、ルシファーは地獄を統べるサタンだ。

 どちらも、熾天使セラフィムだが、その間には決して相容れぬものがあるのだと、勝手に思っていた。


「まあ、色々あったんだよ。天国で噂されていることがすべてじゃない。ルシファーとおれは……、考え方がすこし違うだけだ」


 マグディエルには、とうてい分かりそうにない。

 ルシファーと、ミカエルを分けた、考え方の違いが。

 ルシファーが、まったきものの典型、知恵に満ち、美の極みと言われ、黎明れいめいの子、明けの明星みょうじょうと呼ばれていた時代に、なぜ神にいどみ、どうやって地にとされたのか。


「ルシファーの親切に心から感謝しています。それでも、同時に、悪魔とよばれる彼と友となることが危険をまねくのではないかと、こわいのです」

「ルシファーの考えは、あいつにしか分からない。きみ自身があいつのことを見て、見極めるしかない。悪魔だからと、無理に憎む必要はないさ。たとえ、悪く言われているものでも、良くされたなら感謝すればいい」


 ミカエルは「まあ、悪魔は口がうまいからな、警戒するにこしたことはないけど」と続けた。


 ルシファーの言葉がよみがえった。

『きみは、神を捨てることすらできる』


 おそろしい心地のする言葉だった。


 彼のもとめる『自由意志』を、自分が持っているとは到底思えない。

 ただ、迷い、道を失っている。

 たとえ、持っていたとして、どうなるのだろう。

 神を見つけることもできない今、捨てることなど、考えもおよばないことだ。

 ルシファーの望みは、本当に友となることだけだろうか。そうであってほしい。マグディエルは親切なあの天使を、疑うことはしたくはなかった。


 彼の、良き友となれますよう。

 マグディエルは祈った。


「それにしても、エレデにも会ったことがあるのか。笛の件は、エレデに聞くのがいいだろうな。おれは、仕組みを見るのは苦手だからな」


 ミカエルは「よし」と言って、起き上がった。


「行くぞ、マグディエル」

「どこに?」

「エレデん家」

「え?」


 今から?


 ミカエルはマグディエルをさっと抱えて、羽をひとふりした。





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 おまけ ☆聖書豆知識☆

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【グリゴリ】

人間の娘を妻に娶った、200人ほどの天使たち。様々な知識を人間に与えた。武器の作り方から、眉毛の手入れの仕方まで……♡

旧約聖書偽典に書かれている。偽典は一部からは聖書として認められていいないもの。

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