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第20話 ルシファーの告白

 部屋に入ると、ゆったりとしたサイズのワンルームだった。

 キッチンがあり、二人掛けのダイニングテーブルがあり、バルコニーに面する窓の近くには、大きめのベッドがひとつ置いてある。

 物が少なくて、こざっぱりとしている。


 キッチンの横を通り過ぎるとき、壁にかけられた鏡に、頼りなげな顔をした女の姿の自分がうつった。


 ルシファーに促されて、マグディエルはダイニングテーブルの椅子に腰掛けた。

 ルシファーは上着をぬいで椅子の背にかけると、何やらキッチンに立って、洗っている。なんだろう、と思っていると、熟れたリンゴと、皿とナイフを持って、マグディエルの正面に座った。


 ナイフで器用にむいていく。


「どうぞ」


 差し出された皿の上には、うさぎの形に切られたリンゴが乗っていた。


 マグディエルは、ひとつ取って口もとに運んだ。

 ひとくち、かじった。

 濃い甘みが口の中にひろがる。

 ようやっと、噛んで、飲み込む。

 それ以上、食べられそうになかった。


「わたしに話したいことはある?」


 ルシファーが訊いた。

 明けの星がかがやく瞳を、マグディエルは見返した。


「いいえ」

「そう? では話したくなるまで待ってあげよう」


 ルシファーはそう言うと、窓際のベッドへ行って、大きなクッションを背もたれにゆったりと寝そべった。右手にどこからか一冊の本を取り出して、開く。

 しばらく、ルシファーが、ページをめくる音だけが、しずかな部屋にひびいた。


 マグディエルはぽつりと訊いた。


「何をよんでいるんです?」

「日本のミステリー小説だ。最近はまっててね」


 ルシファーは目を上げずに言う。


「なぜ……、親切にするんです」


 明けの星が、こちらを見た。


 頭では、分かっている。

 彼には何かしらの企みがあり、マグディエルの心が弱っているところにつけこんで、惑わすつもりだ。

 頭では、わかっているのに、いまだ親切にしかしてこないルシファーに、すがりたい気持ちがあった。心のどこかで、すでに、彼のことを頼りにしている。


「わたしは、あなたに興味を持たれるような要素は持っていない。何も。ラッパも吹けない。笛すら吹けない。今まで、吹こうともしなかった。もうずっと、神を感じることもできない」


 吐いた息が冷たかった。


「あなたが見透かしたように……、わたしには何の価値もないんだ」

「言っただろう、マグディエル。きみは十分にそのままで価値がある」


 ルシファーの眼は、その場かぎりのなぐさめを言っているようには見えなかった。


 マグディエルは、教えてほしかった。

 自分には見えない、その価値を。

 マグディエルは立ち上がり、ルシファーが寝そべるベッドのそばに行った。


「教えてください、ルシファー。わたしにどんな価値が?」


 なにか、見返りを求められるだろうか。

 支払えるだろうか。


 ルシファーは、ただマグディエルを見つめ返すだけで、何も言わない。


 マグディエルの瞳から、唐突に涙がこぼれた。


「お願いです、教えて、ルシファー」


 ルシファーは満足そうな顔をして笑った。

 手を引かれて、彼のそばに座る。

 ルシファーが、マグディエルの涙をぬぐいながら、言った。


「マグディエル、神はいるか?」

「——」

「答えろ、マグディエル」


 一瞬、ルシファーの眼に剣呑けんのんな光が見えた。

 マグディエルは、震えた小さな声で答えた。


「分からない」


 ルシファーはその答えを聴いて、うっとりしたような顔をした。

 彼は身を起こして、マグディエルに顔を近づける。


「ああ、わたしは本当に、きみのことが気に入った」


 ルシファーの唇が、マグディエルの涙をぬぐった。

 むせるような強い天使の香りがした。


「きみの価値は、まさにそこにある」

「——」

「天使は、神の存在を疑わない」


 ルシファーの言葉に、マグディエルは自分の胸を押さえた。

 言葉がするどく突き刺さるようで、痛い。


「わたしも含めてね」


 ルシファーがマグディエルの耳元で囁く。


「きみだけが、神の存在を疑っている。——まるで人間みたいに」


 マグディエルは、胸元をぎゅっと握った。

 ルシファーは、マグディエルをそっと抱きしめた。マグディエルの鼻先が、ルシファーの首筋にふれそうなほど、近づく。


「神はいると、そう信じている天使は、自分をとりまく世界に疑問を持ったり、自分の使命に疑いを抱いたりはしない。神こそ自分が仕える唯一無二の存在だと思っているからだ。だから、ただ喜んで、役目を果たそうとする」


 ルシファーの指が、マグディエルの耳にかかる髪を指で弄ぶ。


「だが、人間はどうだ? 神が自分に似せてつくったという人間は? すべての天使を人間のために動かすほど、神が愛する存在なのに、なぜか神を疑うようにつくられている」


 ルシファーの身体がはなれた。

 冷えた空気が、マグディエルの胸をなでる。


「それこそが、神に似せた姿なのだとしたら?」


 そう言ったルシファーの瞳に、燃えるような力があった。


「目を隠されているのは、きみか? それとも我々か?」


 ルシファーがマグディエルの両腕をなでるようにして、つかんだ。


「疑いをもたない天使こそが目を隠されたもので、疑いを持つきみこそが目隠しを取られたもの、神にちかいふるまいをするものだとしたら?」


 ルシファーの両手に、力が入る。


「わたしは、きみが欲しい」


 底知れない力をたたえた瞳が、マグディエルの瞳をまっすぐに覗き込んでいた。


「きみが望むなら、どんな手助けもしてあげよう。きみがぬかるみを渡るとき、わたしの衣を足元にひいてあげることもいとわない。どんなものからも、わたしが守ってあげる」


 ルシファーの手が、マグディエルの頬に触れた。


「マグディエル、きみが持つその『自由意志』こそ、わたしが求めるものだ。きみは、神を捨てることすらできる」


 マグディエルは、おそろしくなって立ち上がろうとした。


「おっと」


 ルシファーはにっこり笑って、片手でマグディエルの腕をつかみ、引いた。強い力に、マグディエルの身体が、ルシファーのとなりに倒れる。逃げようと力をこめたが、つかまれている腕はびくともしなかった。


「つれないな、わたしは優しくしているだろう?」

「はなしてください」


 ルシファーは、しばらくマグディエルを見つめた後、雰囲気をひるがえし、眉尻をさげて言った。


「ふうん。きみはずいぶん、いじわるなんだね。わたしはきみに、親切にしかしていないのに、きみは、そうやって冷たくしてばかりだ」

「それは……」


 途端に、マグディエルの胸が痛んだ。

 ラッパを治してくれたことも、なぐさめてくれたことも、ひとりで途方に暮れているところにきて肩にあたたかな布をかけてくれたことも、心から感謝していた。


「すみません」


 そう謝って、マグディエルは腕から力を抜いた。

 ルシファーも、マグディエルの腕を放した。


「わたしは、正直に話したよ、マグディエル」


 ルシファーが首をかしげて、寂しそうな顔をする。


「わたしが悪魔だから、友だちになってはくれないの?」


 マグディエルの両肩に『罪悪感』という名の重い石がのしかかった。


「わたしは……」

「そう、きっときみも、わたしのいないところでは、わたしのことをよこしまなヘビとか、狡猾こうかつな悪魔とか言っているんだね」

「そ、そんなことは……」

「見るたびにいやそうな顔をしているよ? そんなにわたしのことが嫌い?」


 罪悪感と言う名の大きな石を飲み込んだように、喉元が苦しくなった。


 マグディエルは、ルシファーの前に座り直した。

 ごくり、と唾をのみこむ。

 おそるおそる、右手を伸ばして、ルシファーの腕にふれる。


「ルシファー。わたしは、決して……、あなたのことを嫌ったりしていません」

「ほんとうに?」


 ルシファーが悲しそうに瞳を伏せる。


「はい。感謝しています。いつも、わたしに寄り添ってくれました」

「——」


 ルシファーが瞳を伏せたまま、そっぽを向いた。

 どうしよう。

 傷つけてしまったんだろうか。

 マグディエルは焦った。


 親切にしてもらってばかりなのに、罪もない相手を傷つけるなんて。


「ルシファー、どうかわたしの態度をゆるしてください。その……、たしかに悪魔だからと固い態度をとってしまいました。でも、あなたが真実わたしに親切にしてくださったことは、本当に、心から感謝しています」

「でも友と思ってはくれないんだね」


 ルシファーの肩が下がる。

 マグディエルは、いよいよ焦って、両手でルシファーの腕をつかんだ。


「心の内ではあなたを頼りにしていました。あなたは、わたしの、と……、友です」

「口ではどうとでも言える。きっと、わたしが去れば、せいせいするのだろう」

「そんなことはありません!」

「では、抱きしめて祝福のキスをしてくれる?」

「もちろん、します!」


 マグディエルはベッドの上に膝立ちになった。


「どうか、親切なあなたにいつも祝福の光がありますよう」


 ルシファーの額に、真心をこめてキスをおくった。

 そのまま、ルシファーの頭をかかえるように、親愛の気持ちを込めて抱きしめる。

 ルシファーの腕が、マグディエルの腰にまわった。


 瞬間、部屋がまばゆい光につつまれる。

 部屋の壁は、空間にのまれるように消え去り、ルシファーとマグディエルをのせたベッドの周りに、光に満ちた空間がひろがった。


 え?


 ぐるりと、すこし遠巻きに、金の甲冑をつけた身体の大きな天使たちが、ベッドを取り囲むようにしている。それぞれ、手には大きな剣を握っていた。


「サタンよ、今すぐに立ち去れ」


 ひときわ身体の大きな天使が、こちらに剣の切っ先を向けて、言った。

 マグディエルの心拍数が、過去最大速度を記録した。


 天軍だ。


 マグディエルは今の自分の状況を考えて、血の気が引いた。

 ルシファーと、ベッドの上で、互いに抱きしめ合っているような姿で、天軍に囲まれている。


 腕の中から、くすくすと笑う声が聞こえた。


 マグディエルは、かたまった首をどうにか動かして、ルシファーの方を見た。


 さっきまでの悲しそうな表情は消え去り、にやにやと楽しそうに笑っている。


 ——え⁉





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 おまけ ☆聖書豆知識☆

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【神に似せてつくられた人】

天地創造の第六日目に、神のかたち、神に似せて、創造された。

わたしたち、神似なんです。

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