第17話 ラッパがだめなら笛を吹け
「アズバ、あのときのあなたの捻り返しと言ったら」
「あれは、わたしもとっても良かったと思うわ」
控室で、ダビデとアズバは楽しそうに、今日の闘いについて話している。
マグディエルがなんとなく話しかけられずにいると、アズバがこちらに気づいた。
「あ、マグディエル、ナダブ。どうだったわたしの闘いぶり」
「めちゃくちゃ面白かったよ。おまえ馬鹿力だけじゃなかったんだな」
ナダブの頭にアズバのげんこつが落ちる。
アズバの瞳がマグディエルに向けられた。
「すごくかっこよかったよ」
マグディエルが答えると、アズバが、おや、という表情をした。
「ねえ、あなた元気がないのね。もしかして、また体調が良くないんじゃないの?」
アズバがマグディエルの腕に触れて心配そうにのぞき込んでくれると、マグディエルの気持ちが途端に晴れた。
「そんなことない。本当にとっても素敵だったよ、アズバ」
「そう?」
アズバが嬉しそうな顔で笑う。
その顔を見ると、マグディエルも嬉しくなった。
「あ、ねえ、ダビデが城に泊まっていかないかって言ってくれたの」
アズバがそう言って、ダビデにふたりを紹介する。
マグディエルとナダブはきちんと挨拶をして、ダビデと握手をした。
ダビデは青年らしいはりのある美しい声で言った。
「お会いできて光栄です」
そう言う顔も、年相応の屈託のなさがある。
「さきほど、アズバにお願いしていたのです。彼女の闘いはほんとうに素晴らしかった! もし、みなさんがしばらく留まれるなら、ぜひ、アズバに他の競技にも参加していただきたい」
ダビデは「いろんな競技がありますから、マグディエルとナダブも参加してくれると、とても嬉しいです」と言って人懐っこい笑顔をする。
マグディエルもつられて微笑む。
かわいらしい人だな。
「いいじゃん。御座について聴いてまわるにしても、泊まってゆっくり探した方がいいよ」
ナダブが言った。
「御座?」
ダビデが首をかしげる。
「わたしたち、御座を探しているの。あなたは御座について何か知らない?」
アズバがダビデに向かって問う。
「いいや、御座については聞いたことがないな。ここには色んな人や天使があつまるからね。わたしも聞いてみよう」
ダビデがアズバに向かって笑って言った。
ともに闘ったからなのか、アズバとダビデは互いにくだけた話し方だった。
「それでは、御座について調べる間、ぜひ滞在していってください」
ダビデの言葉に、マグディエルたちは頷いた。
「部屋に案内しましょう。ここには、たくさんの客人が訪れるので、部屋は十分にあります。こちらへ」
マグディエルたちは礼を言って、ダビデのあとに続いた。
控室を出て、闘技場を出ると、広い庭園に出た。
すでに日が傾き始めている。
催しを見ている間に、けっこうな時間が経っていたようだ。
庭園の奥に進むと、どこからともなく楽の音が聞こえた。
「なんの音かしら」
アズバが言うと、ダビデが振り向いて答えた。
「奥に音楽堂があるんですよ。ここでは音楽の催しもしますからね」
ダビデがマグディエルたちの腰にあるラッパを見て続けた。
「みなさんも音楽をされるのですよね?」
「いいえ、このラッパは使命の時まで吹くことができないので……」
マグディエルがそう言うと、アズバとナダブがけろりと答える。
「おれ、このラッパ以外の笛なら大体吹けるよ」
「わたしも、一通り吹けるわ」
「えっ⁉」
マグディエルの大きな声に、アズバとナダブも驚いた顔で「えっ⁉」と返した。
うそうそ。
まさか、わたしだけ……どんな笛も吹いたことが……ない?
アズバとナダブの目を見る。
アズバの目が泳いでいる。
ナダブの目は、信じられないという目だった。
あ、どうしよう、これ、久しぶりに落ち込むやつかもしれない。
マグディエルの動悸が激しくなった。
ラッパ吹きなのに、どんな笛も吹いたことがないって、よく考えたらおかしいよね。なんで、今まで挑戦してみようって思ったことがなかったんだろう。怠惰なんだろうか。いや、怠惰だよね。まちがいなく怠惰でしょ。
アズバとナダブのあの反応……、ラッパ吹きなら、普通は、なにかしら吹いたことあるんだ。
マグディエルの手が震えた。
ダビデがぽんと手を打って言った。
「では、ここで練習してみてはいかがでしょう。ね、マグディエル、そうすると良いですよ」
ダビデがマグディエルの両手をとって、励ますように言った。
「音楽はとても楽しいものです。わたしも竪琴をちょっとだけ弾けるんですよ。一緒に練習してみませんか? 音楽堂には色々な楽器がありますから、きっとマグディエルが気に入るものもあります。ね?」
優しい。
どうしよう、泣きそう。
ダビデ、良い人だった。
「おい、マグディエル、泣くなよ」
「マグディエル、大丈夫よ、わたしも教えてあげるから」
ナダブとアズバがそう言って、マグディエルの羽をなでた。
ダビデを見ると優しい顔で「きっとすぐに上手くなりますよ」と笑顔で励ましてくれる。
マグディエルは頷いた。
泣いている場合ではない。
愚かにも、さぼりにさぼった二千年分、なんとしても、取り戻さねば。ここで何かしらを吹けるようになってみせる。
「せっかくなので、すこし覗いていきましょうか。マグディエルの好みのものが見つかるといいのですけれど」
ダビデが提案した。
「いいわね。そうしましょう」
アズバがマグディエルの腕に手を絡ませて、引っ張ってゆく。
ナダブは、マグディエルの羽の先っぽをつかんで、ついてきた。
*
音楽堂はドーム状の天井が高い、大きな広間だった。壁一面に窓があり、ゆらぎのある硝子をとおして、赤く染まり始めた陽が差し込んでいる。
中には数人ほど、人がいて、それぞれ楽器の手入れをしたり、片付けたり、奏でたりしていた。
「こちらへ」
ダビデが案内した先には、様々な楽器が並べられていた。叩くもの、弦のあるもの、息を吹き込むもの、名前の分からない様々な楽器がおいてある。
マグディエルは不思議なかたちのそれらを、ひとつずつじっくりと見た。
どうやって使うのか見当もつかないものもある。
ダビデがひとつのとても古い木でできた竪琴を手にとった。
「私の場合は、これですね」
ダビデが軽くなでるように奏でると、木漏れ日が揺れるような素敵な音が鳴った。
一瞬のことだったのに、心癒される響きがあった。
彼は竪琴をもどすと、近くの笛を指さして言った。
「このあたりの笛は、とてもシンプルな作りなので、はじめて練習するにはいいかもしれません」
笛が机の上にいくつも並べられていた。木製の縦笛で、いくつか穴が開いているばかりのシンプルな作りだった。ダビデが笛の置かれている机の下の引き出しをあけると、いくつも同じような笛が入っている。
「ここに、新しいものがありますから、部屋に持ち帰ってもらっても大丈夫ですよ」
ダビデが引き出しから取り出した笛を、それぞれに渡した。
「吹いてみていい?」
ナダブが訊く。
「ええ、もちろん」
ダビデが笑顔で答えた。
ナダブが、笛をもって口をつける。開いている穴をいくつか抑えて、ナダブが息を吹き込む。すると、ぴぃっと鳥が返事するような音が鳴った。
アズバもそれを見て笛に口をつける。同じように、いくつかの穴を抑えて、アズバが息を吹き込む。すると、今度は、ナダブの時よりも優しい、木のぬくもりを感じる音が鳴った。
アズバが穴を押さえる指の位置を変えながら、音を鳴らす。
優しい音が、高くなり低くなり、アズバの息を受けて芽吹くように笛から流れた。
ナダブも、指の位置を変えながら、音を鳴らす。
鳥が高く飛んだり、低く飛んだりするように、さえずるような音がした。
マグディエルは思わず拍手する。
「すごい、同じような笛なのに、ふたりが吹くと、ずいぶん雰囲気が違うんだね」
「たしかにね、なぜかしら」
アズバが笑った。
「おふたりとも、素敵な演奏でしたね」
ダビデが言う。
「マグディエルも吹いてみろよ」
ナダブに言われて、マグディエルは渡された木製の縦笛を見る。
ナダブとアズバの真似をして持ってみる。
「いくつかの穴をふさぐんだよね?」
「ええ、そうね。ふさぐ場所によって音がかわるのよ」
マグディエルの問いにアズバが答えた。
「出しやすい音がありますから、ここと、ここと、ここをふさいでみましょうか」
ダビデが、マグディエルのそばに来て、手取り教えてくれる。
「そうそう、そんな感じで、リラックスして、肩の力を抜いて、やさしく息を吹き込んでみてください」
ダビデが「どうぞ」と言って、手を放した。
ダビデも、アズバも、ナダブも、こちらを見ている。
優しく息を吹き込むだけ。
優しく。
マグディエルは慎重に息を吹き込んだ。
ふこー。
——。
息がそのまま笛の先っぽから出ただけの、音とはいえない間抜けな音がした。
ちょっと優しく吹きすぎたのかもしれない。
マグディエルはさきほどよりも、もうすこし勢いをつけて、息を吹き込んだ。
ふこーッ!
——。
これは……。
マグディエルは、おそるおそる、みんなの顔を見た。
アズバの顔が青い。
ナダブが全然違う方を向いている。
ダビデが、片手で口を覆って、悩まし気な表情をしている。
マグディエルは、ありったけの勇気をふりしぼり、もう一度笛に口をつけた。
笛が震えている。
息を吹き込む。
ふこー。
マグディエルは腕をそっとおろした。
窓から差し込む夕陽が、四人の影を強くした。
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おまけ ☆聖書豆知識☆
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【ダビデの竪琴】
王の心を癒すほどの腕前




