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第12話 想い合う夜

 ユダの家の隣には立派なテントがたてられていた。


 中に入ると、奥にベッドが三つ並び、手前にテーブルと椅子がある。

 テーブルの上には水差しが置かれていた。


 マグディエルは、酔ったアズバを右端のベッドに降ろした。

 首にがっちりと腕をまわされていて、外れそうにない。


「アズバ、ベッドだよ。手を放して」

「いやあ」

「いやあ、じゃないよ。このままじゃ寝れないだろ」

「いっしょにねる」


 酒のせいですっかり舌足らずだ。

 いつものアズバなら絶対にしなさそうなお願いに、頬がゆるむ。


 アズバが眠るまでそばにいよう。


 マグディエルはアズバの隣に寝転んで一緒に掛布団の中にもぐりこんだ。


「ほら、一緒に寝るから、腕を外して」

「うん」


 アズバは素直に腕をはずした。

 彼女は一度胸元に戻した腕をそっとのばして、マグディエルの頬をなでる。


「アズバ、寝ないの?」

「マグディエル、もうからだはしんどくないの?」

「うん、大丈夫だよ。ラッパも元通りになって戻ってきた」


 マグディエルが胸元までラッパを持ってくると、アズバがそれを見て「ほんとだあ」と言った。嬉しそうな顔だった。


「ほんとに、よかった。あなたのよろこびは、わたしのよろこびです。あーめん(そーです)あーめん(そーです)


 あんまり可愛いので笑ってしまう。

 どうやら、まだ眠る様子がないので聞いてみる。


「アズバ、今日はずいぶん飲んだんだね」


 アズバがこんなに酔ったところを見たのは、何百年ぶりだろうか。


「だって、つらいから」

「つらい?」


 アズバの表情が曇る。


「あなたのつらさを、かわってあげられたらいいのに」


 そう言ってアズバは、マグディエルの頬を優しくなでた。


「あなたのなやみを、かわってあげられたらいいのに」


 アズバの翠の瞳に、マグディエルの姿が見えた。


「たいせつなラッパをうしなってあんなふうになるなんて、とてもつらいわ」


 彼女の瞳から、ひとつ涙がこぼれた。


「アズバ——」


 胸が苦しくなった。


「かみよ、どうかわたしのともから、すべてのくるしみをとりさってください」


 そう言うと、アズバは泣き始めた。


 アズバの心が嬉しくて切なかった。

 マグディエルが苦しんでいるとき、アズバもまた一緒に苦しみを背負ってくれていた。

 マグディエルは、自分ばかりが途方に暮れて泣いたことを恥じた。


 たまらず、アズバの身体を抱きしめる。


「アズバ、心配かけてごめんね」


 いつも慰められてばかりで、どうすべきかためらう。

 アズバがいつもどうしてくれていたか思い出す。

 マグディエルはアズバの背中を、できるだけやさしくたたいた。


「アズバ、大切な友よ。あなたの苦しみはわたしの苦しみです」

あーめえん(まことにそうです)


 真剣になぐさめようとしているのに、反応が可愛すぎて口元がゆるみそうになる。


「あなたの歓びは、私の歓びです」

あめえん(そうです)

「どうか、あなたの眠りに平和と安らぎがありますよう」


 最後はささやくように言って、マグディエルは、アズバの額に親愛のキスをした。

 アズバの涙がひくまで、できるかぎりそっと涙をふいて、何度もキスした。


 腕と翼をつかって、アズバの身体をつつみこむ。

 このどこまでも優しい友に、どうか安らかな夜がおとずれますように。


 暖かくなったからか、まどろみはじめたアズバが、眠気にあらがうように瞼を持ち上げて言った。


「なだぶも、なぐさめてあげて」

「ナダブを?」

「あのこ、なにもたべないしのまないの。あなたのことがしんぱいなのよ」

「ナダブが?」

「のみかいにもいかなかった」


 胸が痛んだ。

 ナダブが心配してくれているのは分かっていたのに、あんな風に言い返すべきではなかった。


「アズバ、わかったよ。ナダブのことも安心して」

「うん」


 アズバはマグディエルの腕の中で、ゆっくりと眠りに落ちて言った。



     *



 ナダブは湖のほとりで、一人ぽつんと膝をかかえて座り込んでいた。


 探し回る覚悟だったが、ユダに教えてもらった道を進んで湖にでると、すぐナダブの姿を見つけることができた。


 マグディエルは、ナダブのとなりにいって同じようにして座った。

 ナダブの翼と、マグディエルの翼がふれあう。


 ナダブは湖の方を向いたまま、こちらを見なかったが、翼はマグディエルの翼と触れ合うままだった。


 ふたりとも、しばらく、何も言わなかった。


 どこまでもつづく湖が、月に照らされている。

 風が吹いていた。


 マグディエルは、何からどう謝ろうか考えて、なかなか言葉にできずにいた。

 すっかり心配ばかりかけている。

 ラッパが失われて、入院して……、挙句の果てに悪魔に惑わされて能天気に帰ってきた。


 ナダブの怒りは、もっともだ。


「サタンの……」


 ナダブが口をひらく。


「サタンの企みのうちであっても……、ラッパが戻って良かったよ。無事で良かった。ほんとに」


 マグディエルは何か返そうと思ったが、あんまりナダブの優しさが伝わるものだから、口をひらいたら泣いてしまいそうだった。


 片方の翼をひろげて、ナダブに吹きつける風を遮るよう包み込んだ。

 ナダブは何も言わない。


 しばらくすると、ナダブの片方の翼が、マグディエルが伸ばしている翼の下からのびた。


 ナダブの翼が、風を遮るように、マグディエルを包む。

 お互いを包み合うような形になった。


 もう無理、泣きそう。


 ナダブがちらりとこちらを見て「やめろよ、その顔」と言った。


「さっきは言いすぎて悪かった」


 ナダブが落ち着いた声で言った。


「いいや、ナダブが言ったことが正しい。わたしはラッパを守れるなら、悪魔にすら守ってもらいたいと思ってしまった。きみが怒るのは当然だ」


 ナダブの翼が、やさしくマグディエルの腕をなでた。


 なんでそう、優しくするんだよ、泣きそうになるだろ。


 ナダブがちらりとこちらを見て「だから、やめろよ、その顔」と言った。


「ナダブ、ありがとう」

「おう」


 しばらく二人で湖をながめた。


「アズバ、大丈夫だったの?」


 ナダブが言う。


「うん、眠った。アズバはわたしのことも、ナダブのことも心配していたよ」

「おれ?」

「なにも食べないし飲まないって」

「——」

「わたしのこと心配して」

「——」

「さっきひどく言われてちょっと傷ついたから、なぐさめのキスしてくれる?」


 ナダブがふてくされたような顔でこちらを向いた瞬間、


「私がしてさしあげましょうか?」


 と、真後ろから聞こえた。


「わあーッ!」


 マグディエルとナダブは同時に叫んで、振り向こうとした。


 ふたりの翼が重なり合っていたせいで、ナダブの翼のいちばん堅いところが、マグディエルの鼻面はなづらにめり込んだ。

 声がでないくらい痛くて、鼻をおさえる。


 ナダブの思わずといった感じの「あ、ごめん」が聞こえた。


 後ろを見ると、ユダがにこにこしながら立っていた。

 ——足音も気配もしなかったのに。


 ユダはにこにこしたまま「おやおや、大丈夫ですかマグディエル」と言った。

 やっぱり、この人こわい人かもしれない。


「ペトロの家から残り物をもらってきたのですが、いかがです?」


 マグディエルとナダブは顔を見合わせた。


 二人とも腹をおさえる。

 お腹は、空いていた。


「さあ、帰りましょう。ここは冷えますから」


 ユダがさっさと歩き始める。

 ナダブとマグディエルは後につづいた。



     *



 ユダに食べ物と、暖かい飲み物をもらって、すっかりマグディエルは心満たされてテントに戻った。


 なんだか、ひどく長い一日だった。

 もう、あとはさっさと寝よう。


 ベッドに向かう。


「おい」


 ナダブの声にふり返る。


「なんでそっちに行くんだよ」


 ナダブが目を細めて言った。


「アズバと一緒のベッドで寝ようと思って」

「なんでだよ!」

「アズバが『いっしょにねる』って言ってたから」


 ナダブがアズバの眠るベッドとその隣のベッドをちらと見やって、腕を組んだ。


 ——。


 結局、ベッドをふたつくっつけて、三人で並んで寝ることになった。

 真ん中のマグディエルの身体は、ふたつのベッドの裂け目の上に乗っている。


 寝心地は、最悪だった。


 でも、右側にはアズバがいて、左側にはナダブがいる。

 そして胸の上には、身体に馴染む重みがあった。

 金色のラッパをなでる。


 なめらかなラッパは、どこも欠けることがない。完ぺきな姿だ。


 最高の気分だった。


 マグディエルは目を閉じ、ラッパを抱きしめて、祈った。


 どうか、アズバとナダブに安らぎの夜が訪れますように。

 もちろん、ユダにも。


 そして——、ルシファーにも。



 マグディエルは満ち足りた気持ちで、眠りに落ちた。



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