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第11話 親切なんかじゃない!

 マグディエルの手が震える。


 第一のラッパが自らの手の上に置かれているのに、マグディエルはそれをしっかりと胸に抱きしめることができなかった。


 ラッパが手元に戻ってきた喜びののちに襲ってきたのは、強い恐怖だった。

 ルシファーは一体、どんな見返りを求めるつもりなのだろう。

 本当に、このまま受け取っていいのか。


 胸のあたりが緊張で冷たくなる。

 ルシファーを見る。


 彼は、困ったように微笑んだ。

 すこし、悲しそうにも見える。


「いったいどんなおそろしいことを、この悪魔は求めるつもりなんだろう」


 マグディエルの思いを、そのままルシファーが口にした。


 息をするごとに、胸が冷える。

 マグディエルは何も答えられなかった。


「言っただろう、わたしはきみの友になりたいんだ。きみは、まだ、そう思ってはくれないようだがね。私は君の望まないことはしたくない。望むことだけを叶えてあげる」


 ルシファーはそう言うと、自分の翼から一枚の羽を手折たおった。


 大きな風切羽かざきりばねだった。

 白く輝く羽は美しく整い、不思議な虹色の輝きを含んでいる。


 ルシファーはその羽を、第一のラッパの上に乗せた。


 彼はちらり、と伺うようにマグディエルの瞳をのぞいて、優しく微笑む。

 ラッパの上に乗せた羽に手をかざすと、マグディエルには分からない古い言葉でなにごとかを呟いた。


 すると、羽は金色の光をあげて、端のほうから燃え上がった。燃えた羽から、金色の粒子がラッパにふりそそぐ。金色の粒は、意思を持っているようにラッパの裂けた部分へと集まった。


 じわじわと、はしから、真っ二つに割れていたラッパがくっついていく。


 マグディエルののどから、声にならない声が出た。


 ルシファーの美しい白い羽がすべて金色の粒になって消えたあと、立派に元通りの、金色に輝くラッパがマグディエルの手の上で光を放っていた。


 完全な姿になったラッパに、もうマグディエルはルシファーをおそれる気持ちを保てなかった。

 もう、そんなことには構っていられなかった。


 ただ、喜びがあった。


 マグディエルはラッパを胸に抱きしめて、泣いた。

 悲しみの涙ではなく、安堵あんどと喜びと、安らぎのある涙だった。


 良かった。

 本当に。


 ラッパごと、ルシファーに抱き寄せられる。

 よりそうように優しい抱擁だった。


 マグディエルが泣き止むまで、ルシファーは何も言わずそうしてくれた。



     *



 また、目がぼわぼわになった。


 ルシファーがどこからともなく取り出した水を飲んで、ようやくマグディエルは落ち着きを取り戻した。


「ルシファー、ほんとうに、ありがとうございます」

「どういたしまして」


 ルシファーは今日最初に会ったときと同じ調子で言った。


「どうか、あなたの進む道がいつも愛であふれますよう」


 マグディエルはそう言って、ルシファーの頬に感謝のキスを送った。

 友と想うには疑惑やおそれが強いけれど、真心の気持ちをこめた。


 ルシファーは優しく微笑んで言った。


「君が困っているときは、いつでも助けてあげるよ、マグディエル。私は君の味方だ」


 最初に会った時も、そういえば別れ際に同じことを言っていた。

 本当に、ただの味方であってほしい。


「もうどこも、痛まないだろう?」


 そう言われてみると、確かにマグディエルの身体はすっかり何事もなかったかのように、痛みも苦しさもなかった。ラッパが完全な姿で戻ったからだろうか。


「帰って、あのふたりに元気な姿を見せておやり」


 ルシファーはそう言って、立ち上がった。


「さようなら、マグディエル」


 あっという間のことだった。

 マグディエルが、返事をする間もなく、ルシファーの姿は唐突に消えた。


 本当に、なにも要求することなく、あっけなく去っていった。

 肩の力が抜ける。


 マグディエルはラッパを抱きしめて、ベッドに横になった。


 もうちょっと、ぎゅっとしてもらえばよかったかな。


 大きく息を吸い込む。

 いい匂いがした。


 もしかして、本当にただ友達になりたいだけだろうか。


 そんなわけないか。


 ルシファーの言葉を思い出す。

『わたしにとって価値ある者だから』

 この言葉がどういう意味かは分からないが、やはり何かしらの思惑があるのだろう。


 だが、この言葉はマグディエルに、すこしの癒しも与えた。


 面と向かって、価値のある者と言われるのは耳によかった。

 はるかに自分よりも強い高位の存在に言われたという事実も、心地よかった。

 また会いたいかというと……、そうは思わないが、この『私にとって価値ある者だから』発言は落ち込んだ時に思い出して、メンタル維持に活用させてもらおう。


 マグディエルは勢いをつけて起き上がる。


 帰ろう、アズバとナダブのもとに。



     *



「またなんだって、そんな恰好で、死ぬほどいい匂いをさせてるんだ、マグディエル」


 ユダの家に戻ると、ナダブだけがいた。

 ナダブはマグディエルの姿を見るなり、目をほそめてそう言った。


 自分でコントロールできないマグディエルの姿は、女のままだった。


「これは、まあ……、それよりアズバとユダは?」

「ペトロの家に飲みに行ってるよ。それより、じゃないよ。ラッパも元通りになって戻っているし、一体どういうこと?」

「これは……ルシファーが、取り戻して、治してくれた」


 そう言うと、ナダブの顔つきがきびしくなった。


()()()()()? ()()()()()()?」


 ナダブが強調するように、繰り返して言う。


「あの悪魔の名前を親しげに呼ぶなんてどうかしてるよ。『治してくれた』なんて、善意でしてくれるわけないだろ。一体なにを企んでるんだか」

「親切にされたんだから、名前を呼ぶくらい変じゃないだろ」

「おい、マグディエル。しっかりしろよ。あいつが親切でそんなことするもんか」

「それは、そうかもしれないけど」

「かもしれないけど、じゃない。そのラッパだって、あいつがレビヤタンを使って奪わせたのかもしれないだろ」


 ナダブの声が大きくなる。

 マグディエルはかちんときた。


「親切にしてくれたんだ。そんな風に疑うのは良くない」


 何か企みがあるだろうとは思うが、知りもしないことで親切にしてくれた相手を疑うようなことはしたくなかった。たとえ、それがサタンと呼ばれるものであっても。


 ナダブが、心配そうな顔で声をおとして言った。


「マグディエル、何の企みがあるにせよ、あの悪魔はそうやっておまえの心につけこんで惑わすつもりなんだ。分かってるだろ。よこしまで最低なヘビだ、親切なんてものは持ち合わせちゃいないよ」


 邪で最低なヘビ。


 そのはずだ。

 すこし前まで、マグディエルもそう思っていた。


 なのに、マグディエルはナダブの言葉を聞いて、憤りを感じてしまった。


「ルシファーはラッパをとり返して治してくれただけだ。何の見返りも求められていない。まだ……。いまは、私にとってはただ感謝をささげる相手だ。そんな風に言わないでくれ」


 ナダブは驚いたような顔をしたあと、眉を強く寄せて、憤慨するように息を吐きだした。


 マグディエルの腕をナダブがつかむ。

 強い力に、腕が痛んだ。


 ナダブの怒りに満ちた顔が目の前にあった。


「そうやってまんまと誘惑されて、あいつの前で姿を女に変えたのか」

「——」

「もとは天使長だ。よっぽど素晴らしい姿で現れたんだろう。おまえは、いい匂いと姿につられて、女の姿でサタンに媚びたんだ!」

「ナダブ、そんな言い方——」

「感謝をささげる相手? そんなもの捧げる相手じゃない! まさか感謝のキスまで送ったんじゃないだろうな!」


 ナダブは挑発するように言ったが、マグディエルが何も返せずにいるのを見ると、信じられないというように目を見開いた。


「いい加減にしろよ、マグディエル!」


 ナダブが大声で叫んだと同時に、扉がひらいた。


 ユダとアズバだった。

 アズバがぐったりと、ユダの背に負ぶわれている。


「アズバ⁉」


 マグディエルは走り寄って、アズバの身体をささえる。


 酒くさい。


「すみません、気づいた時には手遅れで……」


 ユダはそう言いながら、ベッドにアズバをそっと降ろした。


 ナダブがきびすをかえす。


「ナダブ!」


 マグディエルが止めようと声をかけたが、ナダブは開いた扉から出て行ってしまった。


「あの、ところで、どちら様でしょう?」


 ユダに問われる。

 そうだ、女の姿だった。


「あ、マグディエルです」

「ああ、ずいぶん愛らしい姿に変わられたので、分かりませんでしたよ。体調も良さそうで安心しました」


 ユダがにっこり言う。


「アズバはどのくらい飲んだんです?」

「どうでしょう。気づいた時にはすでに出来上がってしまっていましたから」


 ユダは眉をさげて「できるだけ水は飲ませたのですが」と続けた。


 マグディエルはアズバに近づいて、肩をたたいた。


「アズバ、アズバ。わたしがわかる?」


 アズバはうめきながら、うっすらと目をあけた。


「マグディエル?」

「そう、わたしだよ」


 アズバは焦点の合わない目で、マグディエルをしばらく見つめたあと、がばりと抱きついてきた。


 思いっきり力をこめられる。

 酒のせいか力に容赦がないし、今は女の姿で力を押し返せず、ただ締め上げられる。


「アズバ……っ、苦しいっ」


 アズバの腕をたたくと、すこし力が緩んだ。


「マグディエル、もうびょういんにいなくていいの、そうなの、よかったあ」


 優しい匂いがした。


 アズバのしっとりと柔らかい腕を意識したとたん、マグディエルの姿が男に変わる。

 分かってはいたが、自己嫌悪してしまう。


 ユダのほうを見て問う。


「アズバを寝かせられる場所はありますか?」


 このベッドはおそらくユダのものだろう。


「家のすぐとなりに、テントを張りました。簡易的なものですがベッドも用意しておりますので、そちらをお使いください」


 アズバを抱き上げる。


「テントに水は用意してあります。明日の朝には二日酔いにきく薬湯を用意しましょう」

「感謝します」


 ユダは「お気になさらず」と微笑んだ。

 マグディエルは扉に向かう。


「マグディエル」


 ユダの声に振り向く。


「家の前の道を右に行くと街に、左に行くと湖に出ます」


 マグディエルは首を傾げた。

 ユダが優しい声でつづける。


「ナダブが行くなら、湖の方かもしれませんね」


 そういうことか。

 ユダのこまやかな心遣いがありがたかった。


「あなたのもとに平和がありますよう」


 ユダのやわらかな言葉に、マグディエルも真心をこめてかえした。


「あなたのもとに平和がありますよう」



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