笑顔に背を向け
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私は人の気配で振り返った。
そこには男が立っていた。
いつからこの男は、この屋上にいたのだろう?
「お嬢さん、もしかして、飛び降り自殺ですか?」
男は、自信なさげに聞いてきた。
そう、私は今ここから飛び降りて、死のうと思っていた。
私の周りは馬鹿しかいない。
私はあの人達が何を言っているのか解らない。
あの人達にも、私の言葉は届いていないのだ、きっと…。
世界には馬鹿しかいない。だから私は、この世界から消えなければならない。だから私は、古ぼけたビルの非常階段を上って、この屋上の錆びた金網の前にいるのだ。
ここから飛び上るために。
私は男を見る。
妙にビクビクしている。四十前くらいの薄汚い男だ...。
「お嬢さん、飛び降りだよね?」
男はまた聞いてきた。私は答えずに男をにらんだ。視線をそらしながら男は言った。
「いや、まあ、急に声をかけたのは…うん、謝るけどさ、えーと、ねえ、ちょっと見てもらいたい物があるんだけど」
バッグの中からノートのような物を取り出した。男は数歩下がった。
「ね、ちょっと見てくれない?」
男は私との距離をとると、そのノートの様な物を投げてよこした。私は思わずそれを両手でつかんでいた。
それはノートではなく、小さなアルバムだった。
「ね、お願いだから」
男はさらに後に下がった。
男とアルバムを交互に見て、私はアルバムを開いた。写真には道が写っていた。
中央には人が倒れている。
すぐにその意味が私の目玉に飛び込んできた。
それは飛び降り自殺を写した写真だった!
血まみれになっている。
手や足が変な方に曲がっている。
何故か私は、その無惨な写真から目が離せなかった。
そして私は、自分がその写真のように、血まみれで道に転がっている姿を想像した。
嫌だ!!
こんなになって人から見られるのは嫌だ!!
私はアルバムを足下に落とした。
「飛び降り自殺ってね、きれいじゃないんだよね、人は簡単に飛び降りちゃうけど、その後の事なんて何にも考えないよね、ま、そりゃ自分はいなくなるんだから当たり前だけど」
男はまだ遠くの方に立ったまま言う。
「飛び降りるとね、手足は折れちゃうし、頭が割れて脳みそが出る事があるし、当たりどころによったら、腹が割けて内蔵が飛び散っちゃうし、それにその後、たくさんの人に見られるし、それを掃除する人もいるわけだしね」
私は金網から離れた。
もう下を見るのも嫌だった。
男は私が立っていた場所まで来てアルバムを拾った。
「うん、でね、僕がこのアルバムを見せたのはね、お嬢さんの決意が固くて、このまま飛び降りるんだったら」
私は男を見た。
「飛び降りた後の写真を、僕が撮るからねって、いちお言っとこうと思ってね」
男は笑顔で言った。
私は、その笑顔に背を向けて、非常階段を駆け降りた。
「笑顔に背を向け」
終