悪意、正義、矛盾
彼は優秀だった。
人より努力をし驕らず、自らの能力を高めてきた。
そして善良だった。他人痛みを理解し想像出来た。
出来る事であれば、手を差し伸べ助力を行った。
決して無理はせず、自分の周りをしっかりと守りながら。
そして大学を卒業し就職した。
その就職先は・・・無能で溢れていた。
彼には分からなかった。
自分に足りないものがあるのに、それを補う努力もせず
その原因を他人に求める事の出来る人間を。
意図的に彼にだけ伝えられない情報がある。
何故か、彼が関わる仕事にだけミスが起こる。
それは決まって彼とは関係ない原因によるものだった。
そしてその原因は悪びれもせず自分のミスを彼のせいにした。
彼には理解出来なかった。
これほどに明確に分かる自分の否を何故、平気で無視出来るのか・・・。
他人を苦しめる事で笑える事が理解出来ない。
彼は他人の苦しみを想像出来る。想像出来ない他人が理解出来ない。
彼は出来ない他人に出来ない事をさせる事の非効率を知っていた。
だが、この人達にはそもそもやる気が無い。
彼は優秀だった。が万能ではない。出来ない事は出来ない。
そして意図して出来ない事が彼に与えられる。
彼は善良だった。そして悪意に繊細だった。
悲しい事に彼の心の精度の高さは彼の心の抜け道を奪い、
正常であれば容易く解く事の出来る悪意にも締め上げられていくのだった。
それは真綿で首を絞める様に、徐々に、そして確実に彼の首を絞めて行った。
矛盾。
辻褄が合わない事。
何でも貫く矛と何物も通さない盾の話。
私は思う。圧倒的に盾は不利だ。
どんなに強固な盾でも攻撃され続ければいずれは朽ちる。
矛がやめない限り、盾に終わりは無い・・・。
彼の心はすり減って行く。彼の精神は締め上げられていく。
執拗に繰り返される攻撃。止め処なく続く悪意。
逃げ場の無い・・・地獄。
いや・・・逃げ場はあったのだ。
そう、いくらでも逃げる事は出来た。
ただ、彼の正義がそれを拒んだ。正しさは・・・時に罪だ。
具体的には、彼は大学の学費を奨学金で補っていた為、
仕事辞めてしまうと自分自身を自分で支えられなくなる。
更に初めて着いた仕事を直ぐに辞めてしまうと次の就職に影響が出るのではと。
学生時代、先生にもどんな仕事でも2年続ける事で見えて来るものがあると言われた。
時代は就職氷河期。そう簡単に転職出来ない事も災いした。
会社は世間的にはとても規模の大きいいわゆる大手だ。
そこに入った事に対しての賞賛までもが彼には足枷だった。
それでも彼があんな事になるくらいなら家族は喜んで彼を支えただろう。
でも彼はそれを拒んでしまった。
いい歳した大人の男が、自分一人支えられなくてどうする・・・と。
そこに更にタイミングの悪い事に親の離婚が重なった。
顔を合わせるたびに喧嘩をしていた。
どちらが悪いわけでも無い。
強いて言うなら絶望的に相性が悪かった。
そしてどちらかが何かを明確に間違っている訳でも無い。
結婚した事が間違いだったのだろう・・・。
幸福になる為の離婚。
それは決して悪い事では無いのではないだろうか。
むしろそれに縛られてその身を削り続ける事になんの意味があるのか。
彼らはもう小さな子供では無かった。
自分の足で立ち生きていけなければいけないのだ。
彼は自分が重荷になる事が許せなかったのだろう。
追い詰められて行く心。
それでも彼は頑張った。
そして頑張りすぎた・・・。
ついに彼は倒れた。
彼は心を閉ざした。
彼は部屋から出られなくなった・・・。




