前編
神父様が私に問います。
「カーネレット、あなたはここにいるイルート殿下を病める時も 健やかなる時も富める時も 貧しき時も将来の夫として愛し 敬い 慈しむ事を神に誓いますか?」
「誓いますわ」
私が神に誓いの言葉を述べると
『ブブー』
神からの祝福の鐘が鳴り響くところで、イラッとするような音が聞こえてきました。
なにもかも間違っているそう伝えてくるような音です。
「一体何事だ?」
愛しの未来の旦那様であるイルート殿下が狼狽した声をあげます。
パァアと辺り一面が光り輝くと、神の幻影が現れました。
翼を生やし黄金の髪をした見目麗しき女性です。
女神が、幻影であっても目の前に顕現するなど、滅多にない奇跡。
『あーテステス、聞こえますか?』
フレンドリーというか、すごく砕けた声で、神が声を発してきます。
「女神よ。あなたの言葉しかと聞こえます」
イルート殿下が代表して、神に答えます。
『はい。では、伝えます。その婚約は認められません! 絶対にです』
女神様は、ぷんぷんとわかりやすく怒っていました。
「神よ。私の何が問題だというのだ? どうして認めてくれないのだ?」
『あーあなたは、特に問題ありません。問題なのは、そこの赤髪のあなたです」
女神の幻影はビシッと私を指さしました。
「はい? ワタクシですか?」
私は、首を傾げながら聞き返します。
まったくもって、自分に問題があるとは思っていなかったからです。
『あなたは、既に婚約者がいますね?』
女神の衝撃の言葉に、会場にどよめきが走りました。
「えっ? なんのことですか?」
『とぼけても無駄です。あなたは勇者と婚約していることになっています。他の人ならいざ知らず、私が加護を与えた勇者との婚約を破棄し、そこの男との婚約で上書きをすることは認められません』
「勇者というのは、五年以上前に、この国を旅立ったと言われている?」
「まだ生きていたのか?」
「そんな男とカーネレット嬢が婚約?」
会場中がガヤガヤと喧騒に包まれました。
「それは、まことなのかカーネレット? 勇者と婚約しているのか?」
「そんなわけでは……」
私は、誤魔化すように、殿下から目を逸らすと女神様に向き直りました。
「女神様、ワ、ワタクシが、勇者様に会ったのは、ほんの子供の頃で」
女神様は、キリっとした瞳で私を睨みつけます。
『言い訳は許しません。これは神の決定なのです』
「そ、そんなぁ」
『どうしても、婚約を破棄したいというのであれば、勇者に直接会い、本人に破棄してもらいなさい』
女神様は、そういい捨てると、姿を消しました。
「殿下、女神様の言うことなんて、気にしてはいけません。さあ、婚約を」
私は、会場の混乱を無理やり収めようと、イルート殿下に婚約を促しました。
「すまない……。女神様の意に反してまでは……婚約はできない……」
ですよね……。
なんとも微妙な空気の中、私の幸せな婚約締結はお流れになりました。
◇ ◇ ◇
月日は、ほんの少し流れたある日。
イルート殿下と、別の貴族令嬢が、婚約締結したとの話が流れてきました。
「はぁ」
あんなに心が通ったと思っていたのに……。
婚約前の一年間は、私の屋敷に花束をもってあしげく通ってくれていた殿下も、婚約未遂騒動以降ぱったりと音信不通になりました。
「決断の早さは、さすが王族といいますか……」
ただの政略結婚。
イルート殿下はそこに愛があるように見せてくれていたのでしょう。
それはそれで誠実な対応でしょう。
さらに私との婚約しようとした時の対応もよかったですし、その後も私を非難してくることもないので、世間の殿下の株はさらに上がったように感じます。
私はというと、勇者の傷物令嬢として噂される毎日です。
他の婚約者がいたのに殿下に色目を使った不届きもの。
『浮気者』と罵られています。
知らない人からだけでなく、両親からも。
国から信頼を失ったと、娘のことよりも、世間体が大切な二人。
「まあ、ワタクシも似たようなものですからね」
真実の愛がというよりも、私も国で一番偉い人のお嫁さんというのに魅力を感じていたようです。
殿下との婚約が流れたというのに、それほど傷ついているわけではありません。
「それよりも、今後のことね」
未だに勇者と婚約していることになっているようです。
ワタクシは、勇者様と婚約など交わした記憶は……。
ないわけではありません。
「はあ、どうしてワタクシあんなことしてしまったんでしょう」
勇者にもらった指輪を見ながら、愚痴ります。
私は、勇者に助けてもらったあの日のことを思い出しました。
◇ ◇ ◇
昔、相当お転婆だった私は、しょっちゅう屋敷を抜け出し、裏山に冒険に出かけていました。
最近は、魔物が出るから行ってはいけないという忠告を無視して。
綺麗な花を摘むのに、夢中になっていました。
「ギャアオォオオオオ!」
雄たけびに驚いて振り向くと、すぐ近くに大きな角を生やした狒々の化け物がいました。
「きゃあああああ」
慌てて、逃げようとすると、足がもつれて尻もちをついてしまいました。
狒々は、私を簡単に握りつぶせそうなほど、大きな手を伸ばしてきます。
あ、もうダメ……。
心を諦めが覆いつくしたその時です。
一条の閃光が、視界を横切りました。
ズゥーン。
狒狒は、肩口から斬られて、死んでいました。
私の目の前に、大きな剣を持った荒々しい男の人がたっていました。
黒髪で、前が大きく開いた服から逞しい筋肉がみえます。
貴族社会では、まるで見たことないような、オーラを纏った人です。
「こんなところで、小娘一人遊んでるんじゃねぇぞ。最近は、魔王が復活して魔物が大量に発生しているからな」
「あ、あなたは?」
「あの女いわく、勇者らしいぞ」
「あの女?」
勇者と名乗った男は、手に持つ大剣をかかげてみせます。
「この剣を与えた女だ。自分のことを女神だと名乗ったふざけたヤツだ」
女神を、そんな風にいう人も今まで見たことありませんでした。
「勇者なら、魔王倒しに行くの?」
「まあな。王族から金巻き上げられるからな」
まるでお金を手に入れる口実のために、魔王を倒しに行くみたいです。
「一人で?」
「俺は、強いからな。パーティーなんか必要ねぇよ」
自慢げに指に大量に嵌めた魔石をみせてきました。
剣だけでなく、魔法も強いということでしょう。
「ふーん。じゃあ、助けてくれたお礼に、ワタクシも魔王退治ついていってあげる」
「はあ? お前みてぇなガキがか? ダメに決まってるだろう」
男の人は、私に興味を失うと、背を向けて歩き出しました。
今まで、そんな蔑ろに対応されたこともなかったので、無理やり腕にしがみつきました。
「放せクソガキ」
「いやだ。ワタクシもついていきます」
「遊びじゃねぇんだよ。あぶねぇって言ってるだろ」
私は、頬を膨らませて聞きました。
「じゃあ、次はいつ会えるの?」
「お前となんか会う用事なんかねぇよ」
「会う用が、あればまた来てくれるの?」
「だから、用なんてねぇよ。ただのガキが金なんて払えねぇだろ」
確かに、子供の私には、自分が自由にできるものなど、自分自身ぐらいです。
そこまで、考えて、いいことを思いつきました。
「じゃあ、婚約して?」
「ああ? 婚約だぁ?」
「二人を死が分かつまで、心はずっと一緒ってこと」
「お前みたいな、貴族のガキは、どっかの王子とでも婚約すればいいんだよ」
「えー、そんなの、つまんない」
「結婚も遊びじゃねぇぞ」
「こども扱いしないで」
しぶとく、腕にしがみつきました。
離すと、もう二度と会えない気がしたからです。
「本気で、婚約したいのか?」
「もちろんよ」
勇者は、はぁあとため息を吐きました。
「逃げないから、離れろ」
勇者を信用して、私は腕を放しました。
「俺との婚約はそう簡単には破棄できないぞ」
「それでも」
「神に誓ってか?」
「はい。誓います」
勇者は、呆れた顔をしながらも、まっすぐ私の目を見てきました。
「お前、名前は?」
「カーネレットです」
「俺の名は、ヴァルハルハだ。ほら」
男は、指に沢山はまっている指輪中で一番小さなモノを外すとなげてよこしました。
「なにこれ?」
「婚約指輪だ」
「えっ? 本当に」
本当に、婚約してもらえると思っていなかったので、驚きました。
「俺が魔王を倒して帰ってきたとき、俺のことが好きだったら結婚してやる。結婚したくなければ、そいつを返せ。だから、なくすんじゃねぇぞ」
「うん!」
「いい子で待ってろよ」
「はぁい。行ってらっしゃい!」
指輪を握りしめ、勇者が旅立っていくのをいつまでもいつまでも見送りました。
◇ ◇ ◇
ずっと鎖をとおし、誰にも見られないように首からかけていました。
この指輪を返せば、婚約破棄してくれる。
そういう話だったはずです。
ワタクシを助けてくれたのは、ただ目の前で、襲われていたから。
そこに愛などなにもありません。
だって、もう五年以上、なんの音沙汰もないのですから。
「婚約破棄してもらいましょう。ええ、そうしましょう」
フリーになれば、まだまだ若く綺麗な美貌を持っているので、中央と関係を持ちたい辺境伯ぐらいなら、お嫁にもらってくれるでしょう。
地位も何にもない勇者なんかよりましです。絶対に。
両親に相談すると、勝手に出て行けとのことでした。
傷物令嬢なので、碌に護衛も付けてもらえなさそうです。
「まあ、ワタクシ優秀ですから」
学園も主席で卒業しています。
剣術も女性のなかではそれなりにできますし、魔法に関して言えば、この国一を自負するほどです。
だからこそ、殿下の婚約相手に選ばれたのですが……。
「出発前に、魔石でも買い揃えておきましょうか」
私は、馴染の魔法屋で魔石を買うことにしました。
魔石は、補助につかったり、先に魔力を込めておけば、魔力が切れたときに引き出すことができます。
なにより高価なので、お金をジャラジャラ持ち歩くよりも、魔石を持ち歩いた方がかさばりません。
魔法を込めた本人以外が触ると、暴発することもあるため、そう簡単に盗まれることもありません。
思えば、勇者も、魔石付きの指輪を大量に持っていたのはそういうことでしょう。
指輪をレジに持って行くと、魔法屋の店長が話しかけてきました。
「カーネレット様、こんなに大量の魔石を購入されて、旅にでも出るのですか?」
「ええ、まあ、ちょっと婚約破棄してもらいに」
「ということは、噂は本当で?」
「そういうことよ」
私は会話を短く切り上げると、店長に小切手を渡しました。
「ついでに、これも鑑定してくださらない?」
なんの魔法効果もないと思いますが、今まで誰にも見せたことがなかったので、良い機会だと思いました。
店長は、勇者からもらった指輪にはまっている魔石を見ると、驚きの声を上げました。
「こ、これは、光臨の魔石、ま、まさか生きてるうちに見ることができるなんて」
「すごい魔石なの?」
「すごいなんてもんではないのです。身につけておくだけで、魔法が著しく成長することでしょう」
「別に外しても、魔法の威力が下がったりしませんわよ?」
「才能を引き出す魔石です。一度才能が引き出されてしまえば、外しても大丈夫です」
そんなすごい魔石をただ助けた子供に渡したの?
もしかしてワタクシが将来返すことを見越して?
まさか、そんなわけありません。
きっと、値打ちもよくわからないまま、適当に渡したのでしょう。
「しかも、魔よけの加護も込められています」
そういえば、勇者と出会ってから、魔物に襲われたことはありません。
私は、店を出てから、指輪を太陽にかざしました。
きらりと、光り輝いています。
魔法指輪は、嵌めてこそ真の力が発揮されます。
「……はめておきますか」
もらった時はどの指にも嵌めることができなかった指輪です。
あの頃より、ずっと大きくなりました。
今はどの指かに、はまるかもしれません。
「あっ……」
指輪は、ワタクシの左手の薬指にすっぽりはまりました。
そこにあるのが当たり前のように、光り輝いていました。