トイレの華子さん
おととい牛乳をかけられて、一所けん命ふいたのにランドセルがゾウキンくさい。
たしかにゾウキンでふいたけど、そのゾウキンよりくさくなってる。
やだなあ~また『“くさな”はクサヤ エンガチョ キモキモ!!♪』って歌われちゃうのかなぁ~
ぼくはとてもせつなくなって立ち止まる。
ドンッ!!って、だれかにランドセルをたたかれて前によろける。
なんとかころばすにすんだけどひざこぞうと手のひらをすりむいた。
「これで保健室に行けるかなあ」
でもきっと、おせっかいな鈴木先生が『だれか草名を保健室へつれて行ってやれ!』とか言って、みんなから『“エンガチョクサヤ”をつれて行くなんてマジありえねえ!!』とか言われるんだ!!
しゃがみこんで暗い気持ちのぼくの目の前には草ぼうぼうの入口の“ゆーれいビル”があった。
ぼくはこの場からにげたかった。
だから「水道あるかな?」って、草を手や足ではらってビルの中へ入った。
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トイレの手あらい場ですりむいたひざこぞうをあらっていると、だれかいるような気がして……ふり返ったら会社の制服を着たお姉さんが立っていてビックリした。
「ああ、膝を擦りむいたのね。これ、きれいだから」
そう言ってお姉さんは白いハンカチを出してそっとキズ口に当ててくれた。
ぼくはビックリしたけど、ハンカチをあててもらうと血が止まって、いたみもスーッとおさまった。
「もう少し我慢してね」とささやいたお姉さんの白い手がのびて、ぼくの頭をなでてくれる。
ぼくは自分のランドセルがくさいのが急に気になって後ずさりすると、お姉さんの顔がくもった。
「私、こわい?」
ぼくはあわてて首をふった。
「ちがう!! ぼく、くさいから!!」
それを聞くとお姉さんはとても悲しそうな顔をしてひざまずき、ぼくのかたに両手を置いた。
「臭いのは私も同じ……だから私に……勇気をちょうだい!」
そう言ってだかれた制服の胸は固くて冷たいにおいがしたけれど、それが少しずつ温かくなって、ぼくはおふとんネコのように顔をスリスリした。
でも……
「お姉さん、トイレの中で座ったら、制服がよごれるよ」って言ったら、お姉さんクスクス笑って
「じゃあ、次は着がえて来るわね」って言ったんだ。
それからのぼくは学校の行き返りに必ず“ゆーれいビル”のトイレに寄った。
行きはお姉さんにはげまされて、帰りはよごされたりくしゃくしゃにされた教科書やノートをきれいにするのをお姉さんに手伝ってもらった。
スニーカーをかくされたときは、教室にお姉さんが現れた。
その時のお姉さんは、ジーパンにパリッとした白いシャツを着て、サングラスをかけていて……クラスのボスの席にツカツカと歩み寄るとわきに置いてあったゴミバコをガツンとけっとばして中からぼくのスニーカーを引っぱり出し、鈴木先生の机の上にバンッ!と置いたんだ。
「ふたりにタイマンやらせろ!!」って!!
どういうまほうを使ったのか分からないけど、鈴木先生は真っ青になってクラスのみんなに机をかたづけさせて教室の真ん中にリングをつくり、ぼくとクラスのボスは“タイマン”をやったんだ。
火事場のバカ力って、きっとあるのだと思う。
ぼくの体の中はいかりが満ちあふれていて、ボスをぶん投げ馬乗りになってボコボコにしたんだ。
それでもいかりおさまらなくてボスの首に手をかけしめ始めたら背中にやわらかくて温かいものが押し付けられて、ぼくは羽がいじめにされたんだ。
「それ以上はダメ!! キミ自身が傷付く!!」って。
ぼくが手をゆるめるとボスはワンワン泣き出した。それだけじゃなくてぼくのおしりがじんわりとなま温かくなって……それが、ボスがもらしたおしっこだと分かって……ぼくはそれが自分の事のように悲しくなったから……えりのボタンが取れてしまったシャツをぬいでボスの上にかけたんだ。
この日を境にぼくはだんだん学校へ行くのが苦では無くなった。
クラスの中で……友だちもでき始めた。
それでもぼくは行き帰りに“ゆーれいビル”に寄ってはお姉さんと色んな話をした。
そんなある日の事
お姉さんはぼくを後ろからそっとだきしめてささやいた。
「宜康くん、背が伸びたし随分と逞しくなったね! 男の子はすごいな」
いきなりの事だったので僕は心臓が口から飛び出しそうになるほどドキドキした。
でも、それをそのまま言ってしまうのはとてもはずかしかったので、
「羽がいじめしてくれたのはもうずいぶん前だもんね」とそっけなく答えた。
そしたらお姉さんはもっとギューッとだきしめてくれたのでぼくは体中の血がふっとうしそうになった。お姉さんのうでの中でグルリと回ってお姉さんをだきしめたくなった。
モゾモゾとお姉さんのうでの中で動くと、お姉さんはまたささやいた。
「ゴメンね……でもこれが最後だから」
「えっ??!!」
ぼくは身をよじってお姉さんを見上げた。
「どういう事??!!」
「このビルはもうすぐ無くなるから、私も出て行くの。宜康くんも……もう一人で大丈夫だからね」
「出て行くってどこへ??!!」
「……私にも分からない。だって自分の名前も思い出せないくらいだもの。どこから来たのか?どこへ行くのかなんて分からないわよ」
「だったらぼくのそばにいて!! お願い!!」
「それは無理」
「どうして??!!」
「宜康くんと私は住んでる時間が違うから」
「そんなのわからないよ!!」
この時ぼくは、もう涙が口の中にまであふれていた。
お姉さんはそのぼくのくちびるをゆびでそっとなぞった。
「ゴメンね」
うっすらほほえむお姉さんの姿がますます白くうすくなって行く。
それはひっくり返すあてのない砂時計の砂がかなたに消え失せていくようで……否が応でもぼくの目の当たりにある“現実”を消し去っていく。
「宜康くんにふたつお願いがあるの。ひとつは……こんな私に……名前をちょうだい! そしてもう一つは……私の住んでいたこの場所に、お花の香りを置いてあげて……」
でも、お姉さんは……ぼくがそれをかなえる間も無く
消え失せてしまった。
その日、ずいぶんおそく帰って両親からこっぴどくしかられたのに……次の日、ぼくはまた寄り道をした。
その時のおこづかいのせいいっぱいでトイレの芳香剤を買ってお姉さんが住んでいたトイレに置いた。
お花が好きだったお姉さん……でも『トイレの花子さん』じゃあんまりだから……
名前は“華”子さんにするね。
それから程なくして“ゆーれいビル”は取り壊され、何年かの空き地の後、公園となった。
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近頃考えるのは……同じ高校の生徒であっても、各々の考えやスタイルは実に多様だと言う事。
『多様性の尊重と協調』
来年の生徒会長の立候補時のスローガンにしようと考えている。
「宜康!! 生徒会長狙ってんだって! 止めとけよ!めんどくせー! んな事より“リア充”やんなきゃ! お前、イケてんだから言ってくれればいくらでも紹介すっぜ!」
なんて事を言って“本当は人の良い”悪友はけしかけるが、オレの“拗らせ恋患い”はビクともしない。
秋風に乗ってほのかにキンモクセイが香って来ると、オレはついチャリを飛ばして、あの公園に来てしまう。
“ゆーれいビル”の跡地の公園には何本もキンモクセイが植わっていて、その甘い香りと可愛い花は、オレに“華子さん”を思い出させる。
トイレの芳香剤の様なニセモノでは無く、本物のキンモクセイの香りこそ、華子さんに相応しい。
公園の前にチャリを停め、大きく深呼吸してキンモクセイの香りを確かめた時
「ああ! 素敵な香り!」って声がした。
その声にオレは耳を疑った。
「いったい誰??!!」
夢中で声の主を探すと
ここらではちょっと珍しいセーラー服の襟が目に留まった。
隣町の女子高の制服だ。
家がこの辺りなのだろうか?
でも“あの声の持ち主”は??
オレは不審者すれすれの体で、その女子高生の顔をそっと覗き込んだ。
たわわに咲き乱れたキンモクセイの枝に寄せているその顔が……
涙でぼやけた。
でもそんな筈はない!!
絶対ない!!
でも……
オレは恐る恐る声を掛ける。
「キンモクセイ、お好きなんですか?」
こちらを振り向き微笑んだその顔は……“オレの記憶”より少しばかり幼い。
「花はどれも好きです。だけどキンモクセイは特別です。どうしてだか分かりますか?」
微笑んだカノジョの目からも涙が零れて……
“二人の時間”は再び動き始めた。
おしまい
大急ぎだけでどうるうるしながら書きました
意味わかるかな……(^^;)
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