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真プロローグ くろくちなわのこども

 あつあつ

 さむさむ

 いたいた

 ねむねむ

 はらぺこ


 それが、黒くちなわの雌にとって、世界のすべてだった。

 ――さむさむ。いたいた。

 地下牢に放り込まれた黒くちなわは、濡れた岩盤のうえで、丸くなった。

 寒さに震えながら、自分の血のにおいをかぐ。

 ――はらぺこ。

 空腹のあまり、自分の尾を噛む。

 ――いたいた。

 尾をかじるのをやめて、子どもは目を閉じた。

――ねむねむ。さむさむ。いたいた。

 全身の痛みと悪寒と飢餓感に、泣いた。

『そこにいるのは、誰?』

 うつらうつらしていると、獅子のおそろしい咆吼とはちがう、優しい音が響いた。

『そこにいるのは、誰?』

 こどもは、はっと目を覚ました。

 あの赤くて、甘くて、すっぱい食べ物を食べたときのような、はらわたがきゅっとなる感覚に似た、声。

「そこに、いるのは、だれ」

 音をまねて、黒くちなわの子どもは、口を、舌を動かす。

『そこにいるのは、誰?』

「そこに、いるのは、だれ」

『そこにいるのは、』

 すてきな音は、水が流れる岩の向こうから聞こえてくる。

 黒くちなわは起き上がって、ひび割れの向こうをのぞいてみたが、流水が邪魔をして、よく見えなかった。

『……ティファレト、なのね』

 その、どこかで聞いたような音に、黒くちなわはうっとりした。

「てはれと」

『……あたしは。ティファレト』

「あたしは、てぃふぁれと」

『そう。よくできました』

「そーよくできました」

 くすくすと岩のむこうで音がした。

『かわいい、かわいい、あたしの黒蛇ちゃん』

「か、かわい。かわいー、あたしのくろへびちゃん」

 音をまねて、発声するうちに、黒くちなわの視界がはっきりしだした。これまで、薄ぼんやりした世界が、明確な輪郭を持ち、頭のなかは妙にすっきりと。

 そして、腹が鳴った。

「はらぺこ」

『おなかが空いているのね。待ってて。たしか、おそなえの卵があったから』

 ひび割れのなかをとおる、流水とともに、白く、丸いものが押し出された。

『食べていいのよ』

 その言葉も待たず、黒くちなわは手を伸ばし、殻ごと、がつがつ貪った。

「はらぺこ、はらぺこ!」

『ごめんね、それ一個だけなのよ』

「やーっ! はらぺこ、はらぺこ!」

 じたじたと尾を振り、岩肌に叩きつけて、黒くちなわは泣き叫んだ。

『お願い、おかあさんのいうことをきいて、ティファレト。そんなふうに叫んだら、獅子王さまに、この穴のことがばれてしまうわ。ふさがれたら、おしまいなのよ』

「おかあさん?」

 その単語(おと)に、黒くちなわは、ぽかんと口を開けた。

 おかあさん。なんて、すてきな響きだろう。耳にも優しい音だ。

「おかあさん」

 黒くちなわは、うっとりとつぶやいた。

 岩壁のむこうから流れてくる水が、手のような形をつくって、黒くちなわの頬を撫でた。

黄色の両目から、ぽろりと大粒の涙が落ちた。

「……おかあさん……」

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