第九話
そしてまた、夜が明ける。
「とりあえずですね、私が詠唱を始めて騎士さんを召喚するのに三分もの時間がかかりました」
「次に会うのは戦場ですねって言いませんでしたか?」
「よくよく考えてみれば、戦闘ぶっつけ本番よりも、日常下で何回か練習しておいたほうがいいと思うんです。
実際にどれくらい召喚に時間がかかるのか、とか。知らないと時間稼ぎもできませんからね」
「召喚師は普通、自分で契約したものを召喚するのに、どの程度の時間が必要なのかを把握している筈なのですが……ギンコは奴隷でしたね」
「奴隷以外の召喚師は全員把握しているんですか?」
「まぁ、おそらくは。今のこの世界は、私の生きた時代とは文明も価値観も大きく異なるみたいようなので、私の意見がどこまで参考になるのかはわかりませんが……」
瑠璃色の夜明けは過ぎ、橙色の空は蒼一色に塗り替えられ、街中のいたるところでは、あれやこれやと騒がしい。
本日もまた、ギルマスに休暇を命じられたので、ギンコは昨日できなかった剣術の修業と、そしてギンコの切り札である召喚魔法の鍛錬をすると心に決めていた。
早速塔の鍵を開けた時、ふとギンコの脳裏にある光景が走った。
……そもそも召喚魔法って、どう行使すればいいのだろう、と。
「私には維持が難しいことは教えてもらいましたが、その他にも召喚にかかる時間とか、実際に召喚した際の疲労感とか、想像はできないけど実際に起きるデメリットとか、そんな色々を知るには実際にやるしかないと思ったのです。
まぁ、まさか詠唱全部読み上げるのに三分もかかるとは思いませんでしたが……」
「予測はあくまで予測ですからね。実際にやってみないとわからないことは多いという点は私も賛同しますし、そういう意味では貴方の行為に対して異論はないのですが……
ちなみに詠唱の時間と文章量は、優秀な召喚師であればある程度短縮できますので、これからも鍛錬を続けていれば、もっと簡潔な文章と短い時間で召喚できるようになりますよ」
「何事も練習あるのみなのですね。まぁ、嫌いじゃないので助かりますが……
実際に戦闘で使うには、三分はかかり過ぎですからね。がんばって短くしていきますよ」
「ふふ、応援しています」
少女の契約した召喚獣曰く、召喚師と契約した召喚獣の仲が拗れると、召喚獣が召喚師に害を為すこともままあるらしい。
召喚獣にも感情があり、召喚師はそれを尊重しなくてはならない。でなくては、召喚獣が心からの全力を出してくれないからだ。
(そういう意味では、おそらく人間の召喚獣ってのは、なかなか癖が強いんでしょうね。意思疎通ができる分、逆に色々と揉め事とか起きそうですし)
特に、少女が召喚した召喚獣は、薄幸の美少女として巷で噂の自分以上に魅力的な容姿と雰囲気。
彼女を人目見ただけで、あらゆる者が心を奪われてもおかしくない。
「……あれ?」
「どうしました、ギンコ」
「いえ、そういえば、どうして誰も貴方を求めようとしないのでしょうか? 私も含めて、貴方のその容姿ならば、貴方を見掛けただけでもっと言い寄る者がいてもおかしくないのでは?」
「……ああ、そんなことですか。簡単です。ギンコたちがステータスと呼ぶあの紙には記載されていませんでしたが、私には自分のステータスを任意に下げるスキルがありますので、それで魅力のランクを下げているのです」
「お顔は何も変わっていないのに、書類上の能力値だけ下がるなんてありえるんですか?」
「ええと、その辺りの細かいことはあまり気にしたことがなかったので、何とも言えませんが……実際にランクが下がることで、私に対する注目も関心も下がってますから、ありえるのでは?」
「うーん、ステータスのランクの基準って、私が思っていた以上に複雑なのかもしれませんね」
「ギンコが難しく考え過ぎなのだと思いますよ。そんな疑問を持った人なんてあまりいないでしょうし、過去にいたとしても実際にそれを解明できた者がいないことは確かでしょう。……いえ、この時代ならばどこかにいるかもしれませんが、少なくとも、私たちがその答えをすぐに知る術はありません」
「ふむ。まぁ、それもそうですね。……じゃあ、召喚魔法の練習はここまでにして、剣術の鍛錬を始めますか!」
「はい、応援しています。……では、私はそろそろ失礼させていただきますね」
「あら、もう時間ですか」
「はい。今のギンコの魔力では、この辺りが限界でしょう。ちなみに戦闘時にはもっと魔力を消費するので、更にこの半分以下だと思っておいてください」
「……おおう。それは、なんといいますか……騎士さんは、あくまで奥の手と割り切ったほうがいいかもしれないのですね」
「はい、そのほうがいいでしょう。ですが、今回のように何度も召喚を続けていれば、そのうち召喚魔法のスキルレベルも上がり、少しずつ時間も延びていく筈です」
「わかりました、ではお疲れ様でした。ありがとうございました!」
「はい、ではまた」
その言葉を最後に、騎士ルキアは光となり消えていった。
ギンコにとって、彼女が非常時の切り札になること自体は間違いなしだが、ギンコが今一番求めているのはともにダンジョン探索をする仲間か、或いは、一人でも大丈夫と主人である男を納得させるだけの力。
ギンコにとっては、今はどちらも難しいらしい。
「だからまぁ、ちまちまとでも、剣術を磨いて強くなるしかないんですけどねぇ」
幸い、こんな貧弱な奴隷の、強くなるという言葉を否定しないでくれる主人に買われたのだ。
これを幸運と思い、精々努力を重ねるとしよう。
……。
などとギンコが思い、数時間の時が流れた。
「ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ……」
努力をするにも体力が必要で、そして物悲しいことに少女はどれだけ頑張っても体力がつかない体質だ。
その精神こそ人並み以上だが、明らかに肉体が追いついていない。少女の心が求める努力の量をこなすより先に、肉体的な限界を迎える。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
少女は師より授けられし剣術を愛しているが、剣の神は少女などどうでもいいと言わんばかりに。
されど少女は、それらを何ら悲しいとさえ思うことなく。
「へ、へへ……お師匠さま……ギンコはこの通り、異世界でもがんばっておりますよ……」
剣の神に愛されずとも、戦いの神に愛されずとも、健康の神に愛されずとも。少女にとって剣術とは師との絆、師との繋がりを示すもの故。
「がんばってSランク目指しちゃいますよ、師匠……!」
こうして少女は、叶うことのない夢ばかりを語る。
……。
数時間後。太陽は真上にまで登り、空には黒く点々とした鴉が群れで飛んでいた。どうやら、この世界にも鴉などの鳥類がいるらしい。
大方これも、異世界から召喚したものであろうが。
などというのはさておき。
「おつかれさん。昼飯は炒飯だ。好きなだけ食いな」
「おお、なんて美味しそう! まぁそんなに量を食べられる訳ではないので少量を美味しくいただきますが……
いやしかし、本当にマスターは料理がお上手ですね」
「お前程じゃないがな」
「私レベルの腕前はなかなかいませんのでしょうがありませんね。……いえ、そうではなく。
誰かに作ってもらうご飯は、自分で作るよりも美味しく感じるんですよ」
「そうかい、いいご主人さまだろう。精々有り難く思ってくれよ」
「元々有り難くは思ってますよ。もし貴方が碌でもない人間だったら、私はとっくに死んでいたでしょうし」
「……そうかい」
真昼。今日も昼間からそれなりの客が入っていたが、それらを裁いた後の頃。男は剣の鍛錬をしていたギンコに一度昼休憩を入れるよう命じ、彼女に昼食を摂らせていた。
そうでもしなければ、少女がいつまでも塔から帰ってこないと悟ったためである。
「しかしまぁ、そんなに心配しなくてもよかったと思いますが」
「莫迦野郎。お前こっちの世界に来てから昼飯を食った回数覚えてんのか。…お前が病弱で少食だとしてもな、冒険者である以上、最低限は食ってもらわなきゃ困る」
「その心配は嬉しいのですが、あんまり食べ過ぎてもお腹壊しちゃうので……」
「……だから、好きな量って言っただろう」
「ああ、たくさん食べろって意味かと思いました」
「無理して食わされても、美味くないだろう」
「うーん、相変わらず変なところで気遣いが……」
さて、平和。今のところはまだ平和。古代のギリシャやエジプトでは、なんだかんだで奴隷の扱いがそれなりによかったらしいが、この世界の奴隷はとにかく最低な扱いを受けがちであり、少女の主人のように良心的な奴隷主人は少数派だ。
少女が地下世界で活動できるほど強くなく、また主人が自分の奴隷に対して過保護であるが故。
平和とは、次の戦までの準備期間とはよく言われるが、次の戦の機会を得るには、この環境は奴隷にとっても主人にとっても不都合だった。両者ともにダンジョンでの功績を求めているが、その機会を得るには必要なものが多過ぎた。
しかし、運命の歯車は疾うにくるくると車輪の如く回り始めている。前後の繋がりが何であれ、少女は導かれるべくして、ダンジョンに向かうことになるだろう。
コンコン、と。酒場には不要なノックの音がした。
店主と少女が視線を向けると、静かに戸を開け、一人の少女がゆっくりと店の中に入ってきた。
そして一言、ただこう言った。
「……冒険者志望の者です」
「ところでマスター」
「なんだ?」
「マスターって、冒険者に憧れてるんですよね? そもそも自分でダンジョン探索をしようとかは思わなかったんですか?」
「……」
「どしました?」
「……んだよ」
「はい?」
「……魔物に莫迦みたいに好かれやすい体質でな。ダンジョンに入るのを禁止されてるんだよ」
「……そういうパターンもあるんですね」
「こういうパターンもあるんだよ。これでも剣術スキルとか、がんばって修得したんだけどな」
「……お、おつかれさまです」
「気にすんな。まぁ、未練はたらたら残っちゃいるが、とりあえず俺の夢は誰かに託そうと思ってな。
……だから、病弱でもダンジョンに入れるお前が少し羨ましいよ」
「そう、ですか……」
「ま、あんまり気にすんな。お前はお前の理由で、適当に死なない程度に頑張ってくれや。
ちゃんと、できることはしてやるからよ」
「はい、わかせてください!」
「それはそれとして、今日の夜飯は辛い物にするか」
「そんなー!!!」