第七話
太陽が真上に昇る頃。少女は漸く眠りから覚め、いそいそを身支度を済ませた後、早朝に男から貰った鍵を片手に、店の外、倉庫より少し先にある朽ちた塔に向かった。
早々にある程度の掃除を済ませ、さっそく剣術の修業にとりかかるためである。少女にとって剣術とは師から教えを受けた、師との繋がりを証明する大切なものであり、元いた世界では一日とて鍛錬を欠かせたことはなかった。
故に、不安だった。奴隷となり、装備を制限され、挙げ句の果てに戦いから遠ざけられようとしていたから。
貧弱であり、病弱であり、才がないだの向いていないだのと、何度繰り返し言われようとも。
ギンコにとって剣術とは、決して人生で欠いてはいけない大切な宝物なのだ。
「たっちば~なは~、立花だ~から、ふっふふっふふ~ん~」
鼻唄混じりに、スキップでも始めてしまいそうなほど足取り軽く、塔の前に辿り着いた少女は、そのまま扉の鍵を回した。
……そも、何故こんな古びた塔が、こんな場所にあるのか、など微塵も考えることもなく。異世界は変わってるなぁ、撤去されてない老朽物があるから土地が安かったのかな、などと。
そんな風に大した疑問を持つこともなく、異世界にて漸く元いた世界での日課を果たすため、少女は塔の中へと入るのであった。
……。
「思った以上に誇りっぽいですね……
広めの部屋を一室掃除すれば済む話しだと思っていましたが……」
塔の中には松明を置く場所こそあれど他に光源はなく、窓から差し込む陽光のみが部屋の中を照らしていた。
しかし窓の数にも限りがあり、そもそも配置が理由でそれだけではあまりに薄暗い。
「中、全部石造りですし、改築とかは無理そうですね。
まぁ、幸い入ってすぐの場所が……ホール? エントランス? みたいな場所ですし、ここだけ掃除して、後は明かりだけ持ち込むだけで良さそうかも」
なとど観察していたギンコだったが、暫く部屋を見ている内に、掃除よりも先にやりたいことができた。
故郷とは完全に文化系統が異なり、肉眼で目にしたことなど当然一度もなかった、石造りの塔。武器屋や冒険者組合、ダンジョンに続いてギンコにとっての異世界らしい雰囲気を感じさせる場所。
端的にいうと、ギンコはこの世界で初めて好奇心に負け、探険したいという気持ちに駆られていた。
「思えば武器屋や組合はマスターと一緒でしたし、ダンジョンは疲労とゴブリンでそれどころではありませんでしたし……
なんだか私、今更ながらワクワクしてきました!」
そんな風に独り言を呟いた後、少女はいそいそとボロボロに朽ちた塔の中を探険し始めた。
思えば奴隷になってからは主人との打ち合わせや、才こそあれば慣れない接客に、プライドをズタボロにされたダンジョン探索など、少女にとっては息の詰まることばかりだった。
だから、楽しかった。自分の意志で自分のやることを決め、誰に言われることもなく塔の中を探険するのは、本当に久方ぶりに、楽しかった。
そして少女が探険を始めてから、一時間後。
「ぜぇ……ぜぇ……つかれ、ました……」
少女の体力は尽きた。
本来ならば少女の体力では二、三十分も経てば休憩を挟まなくてはいけなかったが、興奮のあまり、少女は自分の体力の限界を超えて探険を続けてしまっていた。
結果、少女の体力は尽き果て、まだ掃除もしていない埃まみれの石床に座り込む羽目になってしまった。
「……子どもじゃないんですから、私ってば。もう少し落ち着かなくては……」
などというのは子どもの戯れ言。
……。
「……おおう。一階から五階まで全部の部屋を見たと思いましたが、よくよく見たら地下もあったんですね」
石床で少々の休憩を終えた後、ギンコは入り口に近く、そして一番天井と壁に距離のある大きな部屋を掃除しようとしていた。
しかしその部屋の端側に、よく見ずともわかる地下への扉があった。
「……部屋を全部見てから決めたほうが、合理的ですよね」
などというのも思春期の戯れ言であり。
「探険用の松明の準備もヨシ。さて、それじゃあ行きますか!」
少女は少しも迷うことなく、地下への階段を下りていった。
暫く階段を下り、漸く下り終わった先には一室の地下部屋があった。ひんやりとした空気は石の冷たさからくるものの筈だが、奇妙なことに、この地下室そのものが冷気を持つような、そんな錯覚を少女は感じた。
「……なんか、ちょっと、こわいかも」
取り繕う敬語言葉は無意識に剥げ、心臓の脈打つ音が早くなる。
そしてふと、少女は男の言っていたある言葉を思い出した。
「そういえば、この辺りにあった宿屋で、宿泊客が誰かに呪殺される事件があったって、ある人が言ってたような……」
思い込みの力か、或るいは異世界であればこその正しい直感か。
少女は早急にこの場を離れたくなった。ダンジョンでゴブリンに囲まれたときよりも明確な恐怖が、少女には纏わり付いていると感じて仕方ないのだ。
「きょうは、もう、かえる」
地下室に背を向けるのも怖かった。しかし背を向けなければ階段を上ることなどできる筈もなく、少女はたどたどしく、僅かながらの勇気を以て足を前に進めた。
そんな時だった。突然、地下室の中で大きな、ガタン、と音が鳴り響いたのは。
「ひっ、ぴゃぁぁぁ……」
当然の如く少女は驚き、力のない悲鳴を小さく上げた。完全に恐怖に支配され、階段を駆け上がりたい衝動に駆られたが、しかしこのまま帰ってしまえば音の正体がわからないまま帰ってしまうことになる。
それはそれで怖かった。少女にとって未知とは刺激だが、この状況においては更に恐怖をかき立てるものでしかないのだ。
故に少女は、意を決して振り返る。
地下室の中央。そこには先程までなかった筈の、大きな棺があった。
ポロポロを涙を溢す少女はついに腰を抜かし、この場に一人で来たことを後悔し始める。
最早言うまでもないだろうが、少女はホラーが苦手だった。特に和風ホラーのような、心底恐怖を煽るような現象が大の苦手だった。
しかし棺から目を離すこともできず、涙が止まることもなく、ただひたすらに正気がすり減るのを止められなかった。
「お、おし、おししょうさまぁ……た、たしゅけて……」
そんな少女の声など知らぬとばかりに、棺は一人手にその蓋をずらし、開き始める。
ギンコは一層、目に涙を溜め、息を殺し、静かにその光景を眺め続けた。今更視線など外せる筈もない。
そして棺の蓋が完全に開いた、次の瞬間。地下室が光に包み込まれた。
「っ!」
思わず目をつむる少女だったが、暫くして無意識にその目を開く。
暗く、不気味だった石造りの地下室は、いつの間にか美しき純白の大理石で覆われ、壁には松明よりも明るい光が幾つも埋め込まれているように固定されていた。
陳腐な言い方だが、先程までとは打って変わって、とても神聖な風格のある空間に変貌していたのだ。
「なに、これ……」
そしてその部屋の中央に、彼女は堂々と立っていた。
太陽の如く黄金の髪、宝石よりも魅力的な魅了的な碧の両眼、そして見た者全ての心を鷲掴みしてしまうような圧倒的な美貌と風格。
全身を覆う白銀の鎧は無骨な造りだが豪奢な装飾も施されており、とかく彼女の姿は気品に満ちていた。
女。しかして騎士という言葉が浮かぶ。しかして貴族という言葉が浮かぶ。
この場において少女が、ギンコが彼女を正しく表現できる言葉を思いつくことはなかった。
そんな少女の様子を知ってか知らずか、騎士は少女に言葉を紡ぐ。
「──漸く、この私を召喚できる者が現れたか。
鍵の担い手、類い稀なる才覚の主。我が契約者、ギンコ・タチバナよ。
今この時を以て、私は汝の道を斬り拓く剣となり、汝を災禍より守る盾となろう」
「何が、どうして、こうなったのか。私にはそれがわからない」
……。
「すみません、マジで状況がわからないんですけど、まず貴方は誰ですか?」
「失礼しました、私のことは、ひとまずルキアとお呼びください」
「ううん、了解しましたルキアさん。私はぎん子、立花ぎん子と申します」
「わかりました、我が契約者ギンコ。
これより私は貴女の剣となり盾となります。戦いの場になれば、いつでもこの私を召喚していただければ、それに応じることを約束しましょう」
「……えーっと、いくつか質問をしてもいいですか?」
「ええ、どうぞ」
「まず、ルキアさんはいったい何者ですか? 私、あなたと契約とか結んだ覚えが特になくてですね……」
「ああ、なるほど。それは失礼しました。
私は召喚獣の一種であり、特別な資格を持つ者としか契約を結ぶことができません。
しかし、逆に資格を持つ者であれば誰とでも契約を結ぶことができ、資格を持つ者が私を明確に拒まない限り、自動的に仮契約を結んでしまうのです」
「勝手に契約書にサイン事件。これは重罪……!」
「えっと……嫌なら別に、断っていただいてもかまいませんが……」
「ふむ。……契約とか召喚獣に無知でして、もう少しお話しをしていただいても?」
契約。奴隷に関する契約や誓約の件もあり、ギンコはその手の話しにそう簡単にうなずくことができない。
しかし召喚獣やには興味があり、それに関して聞けるのならば是非聞きたい。
そんな心境であり、慎重に見えて慎重ではないまま、好奇心に負け、ルキアと名乗る騎士の言葉に耳を傾けた。
「召喚魔法とは、契約した召喚獣を遠隔から術師の近くに招集する魔法のことであり、召喚獣とはその文字通り、召喚魔法で召喚できる契約を結んでいる使い魔のようなものです」
「貴方は人間ではないのですか? もしくは、人間であっても召喚獣になれるのでしょうか?」
「いえ、私は人間ですが特別な例です。あまり参考にはなりません。
あとは、基本的に召喚魔法で同族を呼ぶことはできませんので、人間が行使する場合、人間を召喚獣とすることは不可能です」
「なるほどなるほど……わかりました、ありがとうございます。
……ちなみに、貴方と契約するための資格とはいったい何でしょうか?」
「私を召喚する資格は二つ。一つは、類い稀なる召喚魔法の使い手であること。そしてもう一つは……
いえ、もう一つのほうはありえませんので、実質、最初に言った一つのみです」
「うーん、なるほどです。二つ目が何だったのかは気になりますが、とりあえず私に召喚魔法の才能ほうが可能性が高い、と」
「はい、その筈です」
(……もし本当にそうなら、もしかしてギルメンいない問題が解決できる?)
ギンコはギルマスの命令により、一人でダンジョン探索をすることを禁じられている。
故に、新しいギルドメンバーが来るまでの間はダンジョンに潜ることが不可能だと考えていたが……
「……交渉の余地あり、ですね」
無論、召喚魔法は魔法であり、魔力を消費することが確定だろう。
ギンコは、自分がどれだけ魔法を使いこなせるかを理解できていないし、それを知る術も知らないが、騎士ルキアの言葉をそのままに受け入れるのであれば、召喚魔法を学び、修得できる可能性がある。
可能性だけでも、あるのであれば。
「騎士ルキアさん。召喚獣である貴方に聞くのもおかしな話しかもしれませんが、もしよければ召喚魔法について、教えていただいてもよろしいでしょうか」
「私は魔術師ではなく戦士ですので、あまり詳しくは知りませんが……
それでもいいのであれば、引き受けましょう」
未だ知らぬこと、わからないことは数多くあれど。
ギンコは未知を探険する冒険者。他の冒険者たちより何倍も劣る実力と言えど、強くなることに対しては人何倍も貪欲だ。
故に。
「はい、是非に! これからもよろしくお願いしますね、ルキアさん!!!」
運命の歯車は漸くして動き出した。これから彼女たちに如何なる試練と冒険が待ち受けているか、など。
そんなこと、当然、今の彼女たちには知る由もなかった。
……。
「ところでギンコ」
「はい、なんでしょう?」
「私と契約したのは偶然だと思うのですが、そもそも貴方はどうしてこの塔に?」
「……あ。掃除、忘れてた」
「ところでマスター」
「なんだ?」
「今更ですが、私の剣術スキルは当然として、美麗のユニークも扱いは同じスキルですよね?
それがどうして、一々スキルとユニークなどと言い分けをしているのでしょうか?」
「ああ、それか。スキルは後天的に修得可能かつ修業での向上が可能。
対してユニークは先天的な才能が全てのスキルで、成長が中々見込めない。勿論、ユニークの効果次第じゃ、鍛錬とかで成長させることができるかもしれないが……お前の美麗なんかは、成長が難しいな」
「ふむふむ、そうなんですね。まぁ、何となくわかっていましたが……」
「……」
「どうしました?」
「いや、ちなみにな。スキルの評価は、そいつの肉体的な能力値も参考にされてるんだ」
「なるほどなるほどです。……え? じゃ、じゃあ、私の剣術スキルがDだのCだのに成長する可能性は……」
「D,C辺りまでは可能だと思う。が、それ以上は……何とも言えんな」
「そんなー!!!」