第五話
日の沈む頃。昼と夜の境故、少女の故郷なら逢魔ヶ時とも云われるこの頃だが、異世界でもそれは変わらないらしい。
組合の受付嬢曰く、この時間帯にこそ、ダンジョンにて魔物たちは一層数を増やすという。
また、魔物の大抵は夜行性であり、夕暮れと夜間の活動は熟練者でも厳しく、この時間帯でのダンジョン探索を許可されているのはDランク以上の冒険者だけらしい。
と言うのはさておき。
「迷宮奴隷にダンジョンに行くなとは何事ですかご主人!」
「様が抜けてるぞ様が。……ったく、いいか? そもそもダンジョンに行くだけで過呼吸起こすような奴が、ダンジョンに行って何ができるっていうんだ?」
「そんな迷宮奴隷を買ったのが他でもないご主人では?」
「……まぁ、そうだな」
「私がダンジョン探索に向いてないだなんて、最初からわかりきっていたことじゃないですか。
私が言いたいのは、何故ダンジョンに行ったら駄目なのかではなく、何故今更それを言うのか、という点ですよご主人」
「……いや、思ったよりお前すぐに死にそうで、つい」
「奴隷相手に変なところで優しさ発揮しないでくださいよ……
そんなこと言い始めたら、そもそも私にこの酒場で看板娘をやらせたほうがいいって結論になるじゃないですか」
「それもそうだな」
「いや納得しないでくださいよ……」
男と少女の住む酒場は、街の外れ、下層の住民たちの住むスラム街の近くにあり、この時間はいつもなら荒くれ者たちで賑わう時間だ。
しかし、瀕死の状態で帰ってきたギンコを前に動揺した男は、突如店の戸を閉め、ギンコの看病に勤しんだ。
しかしそれが、ギンコには気に食わなかった。いや、正確に言うならば、マシな心境にしてくれた男に恩返ししようとしていたにも関わらず、男に手間をかけ、店終いにさせてしまった自分の無力さが腹立たしいのだ。
しかし、だ。ギンコはまだ思春期の少女であり、如何に何事にも動じぬよう、そして大人のように振る舞おうなどとしたところで限度がある。
異世界に召喚された非日常に対する僅かな憧れと、そして奴隷になったという屈辱と動揺は、そう簡単にはなくならない。
そう考えれば、近くの大人に八つ当りするような、この振る舞いはある意味で仕方ないと言えなくもないが……
(だとしてもですね、なんでこの人はこんなに変なところで甘っちょろいのです? いっそ冷酷か、もしくはガンガン嫌な人だったら怨むだけで済んだのに……
なんで、こう、この人は……)
などと考えつつ。
「ともかく、ご主人様が私にそう命令するのであれば、私はそもそも私を貴族様が娼館辺りにでも売りつけてみては如何でしょうか、と進言しておきますよ」
「……随分と、生意気な奴隷だな」
「マスターの言ってることが支離滅裂過ぎるのです。結局、貴方は私に何をさせたいんですか」
少女には、男の思考が理解できない。そして男には、自分の考えを少女に伝えるつもりがない。
……しかし、だ。双方はともに互いを憎み合っている訳ではない。むしろ互いに相手を思いやっているからこそ、このようなすれ違いが起きるのだ。彼らは単に、互いに生真面目で、変なところで頑ななだけなのだ。
男は煙管に火を点け、二、三秒の間、大きく息を吸い込んだ。
そして、大きく煙を吐き出した。
「……わかった。今回は俺が折れよう。確かにお前に冒険者になれって言ったのは俺だ。今更それを撤回するのも恥ずかしいしな。
だから、一つだけ条件をつけよう」
「条件とは?」
「お前はなかなかの高級奴隷だったからな。すぐに壊れても困る。
だから、新しいギルドのメンバーが増えるまでは、ダンジョンに潜らずに店の手伝いをするか、修業でも何でもしてろ。
お前だって、今日と同じ轍を踏みたくはないだろう?」
「……承知しました、マイマスター。
あと私もごめんなさい。マスターが私の身体を気遣ってくれたことには気付いていたのですが、なんだか意地になってしまって……
奴隷なのに、我儘を言ってしまいましたね」
「いや、いい。奴隷らしく躾けてなかった俺が悪い」
「躾けますか?」
「そんな気も起きん。素人が上手くやれるとも思わん。
……それにまぁ、過ごして二日程度だが、お前とあれこれ言い合うのも、別段悪くないと思ってるからな」
「デレるの早過ぎません?」
「茶化すなよ……ったく」
男はもう一度息を吸い、吐き出す。そして右手をギンコの頭にやり、髪を撫でた。
「……急にきもいです、まいますたー」
「ご主人様にとんでもねぇ口を利く奴隷だな、お前は」
「乙女は急に髪を触られると苛つく生き物なんですよ」
「そりゃあ、良いことを聞いた。恋人ができたときにでも気を付けるよ」
「……はぁ。それで、急にどうしたのですか?」
「何、大したことじゃない。俺もまだまだ、尻の青いガキだなって思っただけだよ」
「身体ばかりが大人になっちゃいましたか」
「心ばかりは若いほうがいいんだよ。最低限のエチケットさえ守れるならな」
「守れてます? 今」
「……莫迦野郎」
親しいと気易いは違う。そして気易いと馴れ馴れしいはもっと違う。
奴隷と主人という関係はあまりにビジネス的で、信頼関係としてならいざ知らず、友好関係が成り立つことは早々ないだろう。
しかし、この二人は何故か、この場で何かが噛み合った。
馴れ馴れしくも気易く、そして親しげであり、奴隷と主人として、そして一人の人間として、確かな信頼を築いたのだ。
相手が不快にならないギリギリを直感し、じゃれ合うように言葉を重ねる。それが可能な間柄になったのだ。
「さて、あれこれと複雑なことを言ったが、全部忘れろ。ご主人様命令だ」
「承りました、マイマスター。ところで貴方は誰ですか?」
「莫迦野郎、お前本当莫迦野郎。
……いや、そうだな。俺はお前の持ち主で、お前の所属するギルドのギルドマスターだ。
迷宮奴隷ギンコ・タチバナ。主人としてお前に言いつける。──冒険者になれ」
「では改めて承りました、マイマスター。
私、立花ぎん子は実に生意気な奴隷ですが、貴方がそのままの貴方でいる限り、決して裏切ることなく、貴方の命じたままに、冒険者となることを誓います」
出会ってから二日程度で、関係は奴隷と主人で、意見の食い違うことはままあれど。
二人の信頼はこのように、確かに築かれたことだろう。
……。それから四時間後。
「お前やっぱり看板娘にならないか? 今日の売り上げ、過去最高をぶっちぎったんだが」
「今日のやりとり全部台無しにするのやめませんか???」
「店開いてから二時間足らずでここまで稼げるお前、本当に凄いよ……」
「いやだからって、なりませんよ看板娘。今日みたいに偶にならともかく、私は迷宮奴隷で、冒険者なんですから!」
「ところでギルマス」
「なんだ?」
「何故、最初の記念すべき第一冒険者に奴隷を選んだのですか?」
「……人が、集まらなかったんだよ」
「と言いますと?」
「昨日も言ったが、酒場としてならともかく、宿屋としては壊滅的でな。拠点が安全な場所じゃないって噂されてるギルドに、わざわざ入りたがる奴がいなかったんだよ」
「なるほどです。……あれ、それもしかして今後新しいメンバーが集まる可能性も壊滅的ということでは」
「……そうだな」
「そんな-!!!」