第四話
早朝の空はやや肌寒く、窓から差し込む光の温かさは、寝具で眠りにつく少女を一層、夢の世界へと誘うだろう。
しかして、異世界奴隷の朝は早い。一昔の農家の如く、夜明けとともに起床し、仕事の支度から始めるのだ。
トントンと、軽快な耳に入る。
「ふぁーい、おきてますよー」
「ご主人さまより遅起きなんて、随分と優雅で良い身分じゃないか」
「……ZZZ」
「さっきの寝言かよ! 起きろ、ギンコ!」
「何も無理矢理お布団を奪うことないじゃないですか……マスターのえっち」
「借り物の布団で堂々と裸で寝るな。お前自分の使った寝具はもう自分で洗濯しろよ……」
「元からそのつもりでしたが」
「……ああ、そうかよ」
まだ肌寒い早朝に、がやがやと二人だけでも騒がしい男とギンコ。
既に身支度を済ませ、二人はギンコが即席で作った朝食に手を付けていた。
「……美味いな、かなり」
「でしょう? これでも料理は得意中の得意なんですよ。異世界なので、味覚とか食文化が違ったらどうしようかと思いましたが、案外似てるところが多いんですね」
「まぁ、少なくとも人体構造がほぼ一致している世界からしか、異世界奴隷を召喚してないからな、この世界は。
味覚が似てるのも当然だし、それ以上にそもそもこの世界の食文化の殆どは異世界が起源だ。お前の世界の食文化も、探せばちらほらあるんじゃないか?」
「うーん、それを聞くとやっぱりこの世界滅ぼしたくなりますねぇ」
「急にどうした」
「拉致と奴隷にされた怨みは早々に消えるものじゃないですから。ご主人様は例外ってことで自分の中で処理してますけど」
「……そうか。まぁ、そりゃそうか」
「余所様の文明文化を否定する気はないのですが、自分が巻き込まれた場合は別ですからね。
と言いますか、異世界の住民を召喚して奴隷を増やし続けてるだなんて、この世界いつか本当に誰かに滅ぼされるんじゃないですか?」
「否定はできんな。まぁ、できれば俺が死んだ後にしてほしいが」
「ご主人様のそういう素直はところ、ギンコは嫌いじゃないですよ」
「そりゃどうも」
などと生々しく、そして暗い雑談を挟みつつ。緩やかに朝食の時間は終わり、そして全ての準備を終わらせたギンコは、ダンジョンに向かうべく酒場の入り口に向かった。
「さあさあ、マイマスター! 貴方の奴隷が、今日もいっぱい稼ぎを手にするためにがんばりますよ!」
「テンション高いな。まぁ、暗くなるよりはよっぽど良いか。
……応援してる。精々、ご主人さまのためにがんばってくれ」
「……うーん、まぁがんばります」
「なんでテンション下がってんだよ莫迦野郎。……ま、死にそうになったら帰ってこい」
「はーい、それではいってきまーす」
奴隷と主人の間柄だが、彼と彼女の雰囲気は実に気易く、親しげで、だからこそ遠慮と緊張がなかった。
……無論、ギンコは自分の命の危険を理解してる。ので、最低限の緊張感は上手く保っている。
(それでも、奴隷にされて最悪だった心境が多少マシなのは、マスターのおかげですからねぇ。従順するつもりはありませんが、直接的な加害者ではないので少々の感謝をしつつ。
……まぁ、マシな主人に買ってもらった恩を返すためにも、ダンジョン探索がんばりますか!)
元の世界に帰りたい気持ちがいっぱいであるが、焦ったところで仕方ない。泣いたところで意味はなく、己に必要なものが強かに生きる決意だとギンコは感じていた。
最終目標は元の世界への帰還だが、目下の目標は奴隷身分からの解放だ。
そのための金貨を稼ぐには、ダンジョンに何度も潜り、クエストを達成する必要がある。Fランクの報酬はたかが知れており、故にE、D、Cとランクを昇格していかなくては話しにならない。
故に。
「がんばれぎん子、負けるなぎん子、一先ずの目標は、Fランククエを10個達成するところからだ!
記念すべき最初の依頼、ゴブリンの耳を10体分! ……ぐ、ぐろい。
で、でもでも、兎にも角にも、がんばるぞ-!!!」
酒場の前で一人きり、そういう風に自分を鼓舞しつつ。
ギンコは徒歩一時間の場所にある、最弱のダンジョン-ゴブリンの森-に向かうのであった。
そして半日後。
「……ただいまもどりました、まいますたぁ」
「おお、思ったより早かっ……いやどうした、その格好は」
男は想像以上に早かったギンコの帰宅に先ず驚き、続いてギンコの様子に驚いた。
男から見て、ギンコは奴隷とは思えないほどに逞しく、精神的にも余裕がある少女だった。
ステータスの能力値こそは貧弱もいいところで、物理的な面ではゴブリンと同レベルか、それ以下の人物だが、それなりの知能と戦闘技術を持ち、なんだかんだでゴブリンを相手に早々に引けを取ることはないと踏んでいた、のだが……
目の前にいる少女は、どうにも疲労困憊で、今にも倒れ伏しそうであった。
加え、その服と鎧には夥しい量の血がついており、それが返り血だけではないことが少女の様子を見ればわかる。
「おいおい、大丈夫じゃなさそうだな。すぐに手当してやるから、待ってろ。
ポーションはちゃんと使ったか?」
「……すみません、使い切りました……」
「いや、使うもんをちゃんと使ってるのならいい。
なら、ちょっと奥からとってくる」
十数分後、ギンコの怪我は幸い傷痕残すことなくポーションで治されていた。
過呼吸を起こしているギンコに、男は静かに問う。
「で、ダンジョンで何かあったのか?
正直、こんなに早く帰ってくるとは思わなかったぞ」
「はぁぁぁ……クエスト達成ならず、です。ゴブリンにボコボコにされました」
「あん? それだけじゃないだろ。お前のスペックがゴブリン並みかそれ以下なのか理解してるが、剣術スキルのレベルがそれなりにあるお前だ。
ゴブリン相手だけじゃ、あんな風にはならんだろう」
「ゴブリン相手だけで、あんな風になってたんですよ。冗談抜きで」
以下、ギンコの回想。
「ダンジョンまで……徒歩、一時間。よもや30分毎に休憩を入れなくては辿り着くことさえ難しいとは……これが、ダンジョン……」
筋力と体質が低いということは、そもそもギンコの身体はそれだけ力も、そして体力もないということだ。
ステータスこそゴブリン並みと散々云われ続けているが、そもそもゴブリンの身体は小さい。彼らは自分の能力値に合った体格をしているからこそ、平時、ダンジョンの中でも何の不自由もなく過ごすことができるのだ。
対してギンコは人間であり、その体格はゴブリンよりも遙かに大きく、また筋肉の構造も複雑である。
それ故に、実際の活動時間はゴブリンの半分以下であり、ダンジョン探索をするには致命的に体力に欠けていた。
休憩を挟みつつ、漸くダンジョンに着いた頃。ギンコは既に過労の域に達し、過呼吸を起こしていた。
「ぜぇ……ぜぇ……す、既に疲れました……
が、しかし……なんとか、ゴブリンを10体討伐しなくては……」
ゴブリンの森が最弱のダンジョンと呼ばれる所以は、発生するゴブリンの知能が他のダンジョンで発生するゴブリンと比べ遙かに低いからだ。
しかして、如何に知能が低く最弱のダンジョンと呼ばれようとも、そもそもそれは単体の難易度であって集団を加味したものではない。
このゴブリンの森には、ゴブリンの群れと巣が複数存在する。
つまり、もしそんな場所に格好の餌食が疲労困憊で現れたのならば。
当然、囲まれる。
「ギャギャギャギャギャー!!!」
「……か、囲まれました-! やばいやばいやばいやばいやばいです!!!」
ナイフを構え、出口を目指し駆け抜ける。
ギンコの足は決して遅くはないが、そもそも既に過呼吸を起こすほどに疲労しており、いつも通り走ることさえままならない。
ゴブリンを斬りつけ、そして逃げるを繰り返す。
髪を掴まれ、柔らかな腕を鋭い爪で引っ掻かれ、棍棒であちこちを殴られ痣が無数にできようとも、ギンコが立ち止まることはなかった。
身体は疾うに限界を超えているが、そんなこと関係ないと言わんばかりに、スペック以上のヒット&アウェイをただひたすらに繰り返す。
「ここで立ち止まれば……死ぬ……ッ!」
最小限の動きで既に四、五匹ほど屠ったが、肝心の耳を回収する時間はない。
ギンコはただただ、生き残るべく、この場で逃走の限りを尽くすのであった。
……。
「と、いうことがあったのです」
「なるほどな、お前、もうダンジョン行くな」
「そんなー」