第二話
一夜を明けて、早朝の窓から光が差し込む。
季節は春の頃合いか、まだ少しだけ肌寒く、日差しの仄かな熱が心地良い。まだ微睡みの中にいた一人の少女は、しかして差し込む光の眩しさに目を覚ました。
「ふわぁぁ……。おはようございます」
大きく欠伸をしながら、少女は周りをきょろきょろと見渡し、少しだけ溜息をつく。
この世界で初めて目を覚ましたのはつい昨夜のことであり、僅かに夢落ちを期待していたのだが、その期待は裏切られてしまったらしい。
異世界。迷宮奴隷。ステータス。そしてゴブリンより雑魚い自分。
「やれやれ、こんなことが本当に現実で起きてしまうとは。
出来の悪い悪夢ならどれほどよかったか」
「お前にとっては悪夢かもしれないが、残念なことに現実だ。
いつまでも寝言を言ってないで、さっさと支度をしろ」
本来、奴隷に自室など与えられる筈もないが、少女にとって幸いなことに、少女の主人は自室として二階の部屋を一つ貸し与えた。
これは少女の主人──酒場の店主にとっての不幸であり、要するに閑古鳥の鳴く場所には幾らでも余りの部屋があるというだけのこと。
「あらマイマスター。どうしましたこんな時間に。……夜這いですか?」
「ふざけたこと言ってないで、さっさと支度しろ。元の世界がどうだったかは知らんが、この世界の朝は早いんだよ。
それに今日は、仕事の説明と街の案内をするって言っただろうが」
「ああ、そういえばそうでしたね」
少女の持ち物は皆無に等しく、いつの間にか奴隷商に着せられていた服と下履き程度であった。
しかして彼女は迷宮奴隷。武器に薬に袋に兵糧など、持つべき物はそれなりに多い。
それ故に、今日は主人たる男の街案内のもと、最低限の武器と袋、そして兵糧を買い与えられるという話になっているのだ。
「奴隷にここまで尽くす主人に、少しは感謝してほしいものだな」
「奴隷にここまで尽くす主人に、心から感謝を申し上げます」
「……言い方に他の意図を感じる気がするが」
「そんなことはありません。これでも割と本音ですよ」
「そうか」
「そうです」
奴隷商に騙されて、聞く限りだと明らかに不向きな迷宮奴隷にカテゴライズされた少女を買い取って、更にその少女にここまで懇切丁寧に話しをする人物もそういないだろう。……少なくとも、現代日本で生きていた少女はそう感じていた。
無論、せっかく買った労働力を、悪戯に浪費しないのは当たり前といえば当たり前のことなのだろうが……
「まぁまぁ感謝していますとも。ぎん子はご主人様に買われて運が良いです」
「……そうか。まぁ、感謝してるならいいが」
そういうところが、実に性根の善さを感じさせるのだが、それはそれとして。
(奴隷制度の根付いた文化で、奴隷の批判なんてしても意味ありませんし。
もしかしたら、この世界の奴隷の扱いはマイマスターみたいな人が多いのかも?)
なんてことを考えながら。顔だけ洗って、少女は男とともに、朝の街へと向かい始めた。
三十分後。がやがやと騒がしい街中を歩きながら。
「さて。迷宮奴隷でも冒険者になることができるってのは昨日も言ったな?
だが、迷宮奴隷は最低ランクのFランクから始めることになる上に、購入物資や装備品にも制限がある。
だから、これからお前に買い与える武器はその規則に則ったものになる」
「危険なダンジョンに潜るのに、装備に制限があるのって変な感じがしますね」
「良い武器持たせて、叛逆でもされた時には堪ったもんじゃないからな」
「なるほどです」
とかく二人は生真面目だった。歩きながらも時間を無駄にすることなく、街案内の傍らで、仕事の説明を始めていた。
「Eランクにまで上がれば、物資や装備の制限もなくなるが……
殆どの奴は、Eランクに上がることもなく犬死にする羽目になる。
どうしてだと思う?」
「そんなこと、来たばかりのわかる訳ないじゃないですか。
……許可されてる範疇の装備が役に立たないからですか?」
「半分正解。もう半分の答えは、迷宮奴隷は使い捨てられることが多いからだ。荷物持ちから囮まで、下手すりゃ肉盾扱いする奴もいる」
「うわぁ……」
奴隷の命は使い捨て。やっぱりどの世界でも奴隷の扱いは最悪だったよご主人様万歳。
「……色々誤解してる気がするが、まぁそのうち気付くか」
「何がです?」
「また後で言う。さて、さっさと──」
「買い物済ませてしまいましょうか」
「……そうだな」
主人の言葉を遮る少女に、男は小さく溜息をつく。
当たり前だが、奴隷はただの道具と違い、自意識と感情というものがある。
だからこそ、早々に手綱を握ることは難しいとは想像していたが……
(ギンコが大物なのか、どれとも奴隷はどいつもこんな感じなのか?
奴隷は主人を嫌うか、主人に怯えるもんだと思っていたが……)
(躾けしてないなら、少々に小生意気でもしょうがないと思いますけど……
わざわざ私がそれを言う必要はありませんからね)
互いの心中はそんなもの。気付く少女と気付かぬ男。
二人の思惑はそれはそれ。
「で、だ。とりあえず物資と装備を調達したら、冒険者登録に行くぞ。
ダンジョンについての詳しい説明は、そこで聞いてくれ」
「承りましたマイマスター。ならとりあえず、武器は重いので先に道具屋から行きますか?」
「そうだな。先にポーションを二、三本とポーチだけ買って、それから武器屋に行くか」
「了解です、楽しみですねー、武器屋にはどんな武器があるんでしょうか」
「そりゃあ、行ってからのお楽しみだな」
「ワクワクしますね!」
「ところでマスター」
「なんだ?」
「私の筋力、細かく見ればゴブリン以下ってマジですか?」
「ああ、マジだ」
「そんな私でも装備できる武器って、何かあります?」
「……ナイフくらいは持てるだろうよ」
「やったー」