第十一話
少しばかり昼の過ぎた頃。太陽はまだまだ上のほうだが、時間など気が付いた時には、思った以上に進んでいるなどはよくあること。
しかして、それが苦痛の時であるのなら、むしろ一秒一瞬でさえ永久に感じる者もいるだろう。
さて。苦痛の主は何事もないかのように振る舞い、今日も今日とて懸命に働き続けるばかりだ。……彼女の苦痛に、いつか気付く者が現れるのかはさておき。
「おい、今日からうちで管理することになった新しい冒険者だ」
「あらためて、よろしく」
「おお! こんな辺鄙な場所にあるギルドに、よく所属する気になりましたね!」
「お前な……強くは指定できんが、あんまりそういうことを堂々と言ってくれるな」
「いやぁ。だって本当に辺鄙な場所ですし」
「一応、ここだって中流街の端くれなんだよ。貴族の連中には下層扱いされるけどな」
「……ふむ? その辺りはまた、後で詳しいことを教えてください」
此度の主役を置いて、ギンコと男はコロコロと話しを転がすように回し続ける。しかしそれに対して件の主役、リラが特段不快に感じることはなかった。……リラが今、この場の二人のやりとりを特に重要視している訳ではなく、また特に二人の話しに耳を傾ける必要がなかったからである。
彼女は今日一日、ずっとこんな風にどこか抜けた様子だった。何か別のことを気にし続け、ふわふわと意識が集中し切れていない。……だからこそ、リラは未だに一つだけ、あることが頭から抜けていた。
(……それにしても、話しが長い。いつまでこんな茶番に──)
このギルドに入ってきたときから、リラはずっと猫背で、長い前髪に隠れた視界の中には、本当に必要なものしか入らせなかった。だから少女は、このギルドに来たときからずっといた奴隷の存在など、ほんの少しも気付いていなかった。
だからこれが、リラがギンコを認識した、初の瞬間だったのだ。
「──かわいい」
「うん?」
「何か言ったか?」
急な呟きに思わず聞き返す二人。しかしリラの言葉は止まらない。
「かわいい。うそ、かわ、かわいぃ……かわいい、かわいい」
「……あの、この人急にどうしちゃったんですか?」
「わからん。まさか、ずっといた筈のお前の存在に、今更気付いたのか?」
「そんな莫迦な……」
陰鬱な少女、そんな一言がよく似合う少女だと偏見の目で見ていたが、よもやこの様な反応をギンコにするとは、誰も思うまい。
しかし実際に、リラはギンコに対して、所謂一目惚れをしてしまった。らしい。
(いや違う。たぶんこの人は、可愛いもの好きな人が犬猫可愛いっていう感覚で私のことを可愛いと思っている。可愛い人間ではなく、可愛い生物だと認識している? だとすると、これはちょっと……)
「ねぇ、貴方のお名前聞かせてくれる?」
「……ぎん子。立花ぎん子です」
「そう。ねぇ、ぎん子。私はイブ。イブ・リラリック。よかったら、私と友達になってくれないかな?」
「ふぇ?」
「……おい?」
三者三様。誰も彼もが好き勝手な反応をするため、話が一歩進む度に新たな疑問が湧いて出る。
この場においては、先ず男が少女リラに突っ込みを入れた。
「まてまて、イブだと? お前、さっきは自分のことをリラ・リックって言ったよな?」
「……」
「おい」
「…………」
「いや答えろよ」
言葉ではなく、最早顔で答えを言っていると言っても過言ではない。少女の表情は、どこからどう見ても焦燥と後悔の念に駆られていた。まるで、聞かれてはいけないことを聞かれてしまったように。いや、実際にそうなのだろう。
「……リラ・リックは偽名。冒険者登録はそもそも本名で登録する義務がないから。別に問題はないでしょ」
「それを堂々と言われると何も言い返せなくなるんだが、ならなんでギンコには自分の名前をちゃんと伝えたんだ?」
「…………と、友達になるなら嘘はいけない」
視線を逸らし、震える声でそう言う少女。それは明らかに嘘だった。
しかし。
(まぁ、俺も別にそんなに気にしてる訳じゃないんだがな。これ、何か面倒事を持ち込まれた気がして仕方ないんだよな)
それも、もう手遅れなタイプ。
「……はぁ。仕方ねぇな。まぁ、友達に嘘はよくないわな」
「そう。だから、つい言ってしまったの」
「……ならもう、今回はそれでいい」
「あのー……言っちゃなんですけど、私と友達になっても特に特はありませんよ? 私、この人の奴隷なので」
男とリラのやりとりの後、ギンコはそんな言葉をすかさず入れた。かわいいから、友達になりたい。その言葉の意味はよくわかる。そんな理由で少女ギンコと友人の間柄になりたがる者は、今までの人生でもそれなりにいた。
なれば、だからこそ。ギンコはリラに念のために言わなくてはいけない。これから多くの苦難をともにする仲間になるのであれば。
「私は、それなりに厄介事に巻き込まれるタイプです。そんな私と一緒にいても、貴方が苦労するだけですよ」
ギンコは最初、リラをダンジョン探索の人数会わせ程度にしか認識していなかった。だからこそ、ギンコはリラにとって、それなりに便利な人間であろうと演じようとしていた。……その筈だったのだが。
「貴方が私に友達になろうと言うのであれば、私も敬意を以て貴方に忠告しましょう。
先ず私は病弱なので、体力も筋力もありません。笑っちゃうくらい貧弱なので、一人で碌にダンジョン探索もできません。
おまけに運も悪いで、なかなかどうして、人生というものが私自身の力だけで上手く回ったことが一度もありません。
……そんな私の友達になったって、貴方に枷が出来るだけですよ」
無論、最初からそれが戯れ言であり、私を切り捨てることが前提ならば、こんな忠告に意味はないのでしょうが。……そんなギンコの本心。
それに対して、リラは淡々と答えを返す。
「……ギンコ、私と友達になってくれないかな?」
「いえ、だからそれは……」
「ギンコ、私と友達になってくれないかな……」
「あの、だから……」
「ギンコ、私と友達になってくれないかな……」
……。
「はい以外認めないタイプですか?」
「……うん」
ギンコの疑問に、リラは答える。それはもう、涙目で。
「……い、歪。自分の意見を押し切るパワーというよりも、これはどちらかと言うと……」
「ギンコ、私と……」
「あっ、はい。わかりました」
「ところでマスター」
「なんだ?」
「結局ここは、下層なのですか? それとも中流なのですか?」
「……複雑な政治問題だな。またうち教えるよ。ついでに、他にもお前が抱えてる疑問についてもな」
「やったー」