第一話
酒と、木製の薫り。薄暗いこの場所には、宙づりの電球がたった一つだけであり、窓の外から入り込む光は月の光ばかりだった。
閑古鳥が鳴くと言っても差し支えないだろうこの場所はあまりに静かであり、だからこそ夢見心地のままに少女は、何の違和感を持つこともなく眠りにつき続けているのだろう。
……。
「いやここどこです?」
「漸く起きたか。まったく、もう真夜中だぞ」
「……???」
困惑の表情のまま、少女は自分の状況を再確認する。
見覚えのない薄暗い酒場のような場所で、自分の身なりは記憶に残る最後の格好とは明らかに違っており、更には目の前に見知らぬ成人男性。
こうなれば咄嗟に思い浮かぶ言葉は一つしかない。
「誘拐? 私は誘拐されたんですか?」
「思ったより冷静だな。普通はもっと怯えるもんだと思うがな。
まぁ、いい。そんなにハズレた答えでもない。
ここはお前にとっての異世界。名前は知らなくてもいい。お前は異世界からこの世界に強制召喚されて、そのまま奴隷の誓約を結ばれた。
んで、俺が奴隷になったお前を買い取った訳だ」
「おおう。とりあえず、ぶん殴ってもいいです?」
「……やめとけ。奴隷が主人に手を出せば、奴隷の誓約がお前に激痛の罰を与えることになる」
「そりゃあ、とっても残念です」
「随分と元気だな、お前」
困惑していた少女の表情は、いつの間にか溜息をつくばかりの呆れたようなものに変わっており、反対に今度は男が困惑を浮かべた。
普通、この状況の少女は怯え、或いは困惑しながらも自らの立場を知るための問答を行うものだと男は思っていた。
しかし、実際には目の前の少女の反応の何とも逞しいこと。
「……普通、この状況なら怯えるもんだと思っていたがな」
「怯えるよりも先に、誘拐された挙げ句に奴隷にされたという状況に対する怒りのほうが強くて。
人間、怒りが有頂天だと恐慌より凶行に走るもんですから」
「だとしても冷静過ぎだろう。まぁ、喧しくない分にはこっちのほうがやりやすいがな」
「それで、師よりお墨付きの美少女である私を奴隷にして、挙げ句買い取った貴方は、私に何を命令するのです?」
「……自分で自分のことを美少女って言うのか」
「師がそう言いましたから。師は嘘を吐きませんので」
「そうかい。ならさっさと説明させて貰うとしよう」
そう言うと男は酒場のカウンターに入り、奥からコップを二つと水の入った杯を取り出した。
そのまま自分と、少女の分の水をつぎ、そっとテーブルの上に置くと、やや乱暴に椅子を引き腰を掛ける。
「まぁ、とりあえず水を飲め。この下層では貴重な綺麗な水だ」
「ふむ。とりあえずいただきます」
「さて。さっそく説明しよう。
さっきも言った通り、お前は異世界から奴隷にするために召喚された。お前の身体には奴隷の誓約が結ばれていて、それを解除するには解除できるやつに頼む他にない。
奴隷には幾つか種類があるが、お前はその中でも最も過酷な奴隷。迷宮奴隷として売り出されていた」
「……迷宮奴隷?」
「ああ。この世界にはダンジョンと呼ばれる地下世界が点在している。その中には危険な魔物や、貴重な地下資源、他にもダンジョンに生み出されたアイテムや武器なんかがある。
で、お前はそのダンジョンの中を探索して、アイテムやら何やらを回収するための奴隷として売り出されていた訳なんだが……」
「見ての通り、私はただの美少女です。ぶっちゃけ病弱で体力もないですし、探索のための奴隷とか明らかに向いてないんですが」
「奴隷商が何を思ってお前を迷宮奴隷にしたのかは俺も知らん。
だが、お前は迷宮奴隷として売り出されて、俺がお前を買い取った。だからお前には、迷宮探索をする義務がある」
「ちなみに、逆らった場合はどうなりますか?」
「……奴隷が主人に逆らった場合、奴隷の誓約がお前に激痛の罰を与える。さっきも軽く言ったが、これはマジで洒落にならん痛みだ。大人しく、迷宮探索に勤しんでくれ」
「へいへい……」
一時間後。
「お前が大人しいお陰で、随分と説明が早く終わった。物わかりが良くて助かったよ」
「逆らったら痛い目に遭うことがわかっている以上、今は大人しくしているほうがいいと判断したまでです。
逃げたところで、異世界なんかに召喚されたともなれば、そう簡単に帰れるとは思ってませんし……」
「異世界奴隷が元の世界に帰るのは基本的には無理だ。
……例外がない訳じゃないが」
「ほうほう。では、その例外とは?」
「……この世界で最も深く、辿り着いた者がたったの数名しかいないと云われる過酷なダンジョン。その最奥に、異世界に飛べる転界の扉があるらしい。
最も、ただの噂に過ぎないし、案外俺が知らないだけで他にも方法があるかもしれんがな」
「それは有り難いことを聞きました。頑張ってそのダンジョンを攻略できるようになるとしましょう」
「そうなれば、俺としてもお前を買った甲斐があるってもんだ。是非ともそうなってくれ」
そう言うと、男は再びカウンターの奥に入り、一枚の紙を取り出した。
「これはステータスを浮かび上がらせる用紙。ステータスペーパーってそのままの名前だから、大抵の奴はこれをステータスって呼んでる。
これで、お前のステータスを確認する」
「ステータス? この世界にはステータスの概念があるのですか?」
「あるからこれがあるんだろう。奴隷商もこの紙を使って、お前のステータスを確認した結果、お前を迷宮奴隷にしたんだろうしな」
「ほう……つまりに私にも、迷宮で探索をするだけの力が実はあったということ?」
「知らん。だからそれを、今から確認するんだろうが。
まぁ、先に言っておくとお前はかなり高かった。貴重なスキルか加護がある可能性が高い。それなりの優良株ってことには間違いないだろう」
「貴重なスキルか加護。それは……ちょっと楽しみかもしれません」
「この状況で楽しむなんてことができる大物だ。精々期待させてもらうとするよ」
ステータスペーパー。通称ステータスを少女の額に当て、男は小さく呟く。
「ステータス」
すると紙が仄かに輝き、白紙であった筈の表面には幾つかの文字が浮かび上がった。
+++
-ギンコ・タチバナ-
【基礎ステータス】
《筋力》I
《敏捷》E
《体質》I
《知能》C
《魅力》A
《幸運》I
【スキル】
《剣術》E
《銃術》S
《暗殺》B
【ユニーク】
《美麗》/非常に顔立ちが整っている。とっても可愛い。
+++
「……は?」
「ほうほう。……それで、このステータスはどう見たらいいんでしょうか。
何やらIの文字がそれなりに見えるですが……」
「Iは下から三番目だ。幼少期のガキどもや、雑魚ゴブリンどものレベルだ。
ぶっちゃけ、よっぽどの箱入りのお嬢様でもない限りはこうならん」
「……私、何奴隷でしたっけ。性奴隷?」
「迷宮奴隷だ莫迦野郎」
「……総評を、どうぞ」
「筋力、体質、幸運はゴブリンと同レベルか、最悪それ以下。
敏捷はそれなりに良い数値だ。知能も悪くない。充分に賢いと言えるレベルだ。
ずば抜けてるのは魅力だな。大抵、殆ど、大体の奴がお前に魅力を感じるレベルだ。
Aランクのステータスを持つ奴は貴重だ。特に魅力のステータスが高い奴は生まれつきの才能に一番左右されるからな。
……上流階級の連中なんかは、このステータスを一番気にしてる節がある。
ユニークの《美麗》持ちは相当に少ない。貴重だ」
「ほうほうほう。……それで、ご主人様。私、何奴隷でしたっけ」
「……迷宮奴隷だ」
「生きていけます?」
「死ぬかな、たぶん」
飄々として淡々。現実は厳しく、チートも何もあったもんじゃない。
呼び出したのはカミサマではなくニンゲンサマで、勇者じゃなくて奴隷身分。
不幸中の幸いは、買い取った人物が面倒見の良い、実に良い奴ということぐらいだろう。
いや、しかし。それこそが人生においては最も重要なことかもしれない。
人はひとりでに不幸になることはない。人は、ひとりでに幸福になることはない。
人は一人じゃ生きられない。ひとりぼっちはつまらない。
いや、しかし。だからと言ってこれではあまりにも過酷だろうが。
「ふざけんなよ奴隷商。何が迷宮奴隷だ莫迦野郎。金だけ毟り取りやがって、こんチクショウ……」
「まぁまぁご主人様。騙されたご主人様としては堪ったもんじゃないかもしれませんが、私は買われた方がご主人様で実に運が良いと思ってますよ」
「……普通だったら殴ってるぞこの野郎」
「殴りますか?」
「殴らん。ただでさえ脆いお前を殴ったところで、俺が損するだけだからな」
「……ならば、貴方は私に如何なる命令を?」
いつの間にか手にしていた酒瓶に口をつけ、男は一口呑み込んだ。
その顔には奴隷商にしてやられた少々の苛立ちと動揺があったが、それはそのまま酒とともに呑み込んで。
少女の疑問に、男は答える。
「迷宮奴隷に迷宮探索以外を命令しても意味ないだろうが。
お前は俺のギルドに所属して、迷宮探索で名を上げろ。英雄になれとは言わん。
──冒険者になれ、ギンコ・タチバナ」
「誘拐されたこと、奴隷にされたことに関しては腸が煮えかえる程にムカついておりますが、それはそれとして。買い取った人物が貴方でよかったとは思っています。
──承りました、マイマスター。
この立花ぎん子、ご主人様に買われた恩に報いる程度には、頑張ることにしましょう。
そのうち絶対に元の世界に帰りますけど」
「それができるなら、好きにしてくれ。迷宮奴隷はFランク冒険者から始まって、実力が認められたらEランクの冒険者に昇格できる。
そのままD、Cとランクが上がり続ければ、お前はいつか俺からお前を買い戻すことができるだろう。
そうなりゃ、晴れて奴隷身分からは解放される。
まぁ、それができる奴は滅多にいないんだが──前例がない訳じゃない」
「ならば精々、頑張ることにしましょうか」
「ところで、マイマスター」
「なんだ?」
「私、ゴブリンより雑魚ってマジですか?」
「ああ、マジだ」
「そんな私でも勝てる魔物って、何かいます?」
「……いない、かな」
「そんなー」
《立花ぎん子》
身長/体重:145cm/40kg
好きなもの:師、武芸
嫌いなもの:実親、強制労働
趣味・特技:読書、鍛錬
備考:非常に病弱。まともな生活を送るには薬が必須であり、本来なら介護が必要なレベル。しかして元の世界では師と呼び敬愛する人物にある程度の武芸を教え込まれており、それなりの剣術と凄腕の暗殺術を行使できる。
また、天賦の才とまで称される銃術の才を持つが、この異世界には銃がないため宝の持ち腐れ気味。