第35話:黄金の宝剣
引き続きネルスタシア視点です。
『しかし、随分とワシ好みの景色になった。兵士も一人しか残っていない。こやつは殺さなくてもいいのか?』
ジーラギガスが指を指しそういった。指さした先には一人の近衛兵がいた。戦いが始まってから一歩も動くこともなく停止していた近衛兵。わたしには彼がフォスーラの腕輪に抗っているように見えた。そんなことがありえるのかは分からないが、わたしにはそのように見えた。
彼が生き残ったのはたまたまではない。ディアミスのスレーズゲルミルは敵意を向け、戦闘の意志を見せたものを自動的に殺害したに過ぎない。よって、敵意を向けなかったジーラギガスと動かない近衛兵を攻撃しなかった。
「ディアミス、あの近衛兵は腕輪の力に抵抗できているのかもしれん。だから殺すな。こちらに敵意を向けるまでは」
「分かった。だけど、そもそもそんな余裕はないかも」
そんな余裕はない。ディアミスの言葉に続くようにスレーズゲルミルの霧氷はジーラギガスに向けて攻撃を始めた。ジーラギガスはディアミスとわたしに敵意を向けたのだ。
ディアミスはステップしてジーラギガスから距離を取る。わたしとデュランダルも移動し、ジーラギガスを三人で囲むように陣形を組んだ。
陣形の構築が完了する瞬間。スレーズゲルミルの霧氷は水へと変化し、ジーラギガスの目と鼻、口から体内へと入り込んだ。そして、フルブラッドを葬ったのと同じく氷の棘と轟音でジーラギガスを攻撃した。それだけでなく、他の兵士たちを殺したのと同じ、単純な霧氷による内部からの斬撃も行われた。
斬撃から全身に切れ目が入る。その事を、弧を描くようにして吹き出た血液が知らせた。
「私が永獄の車輪を開発したのは単にフルブラッドに地獄の苦しみを与えるためだけじゃない。大悪魔ジーラギガス。上位精神生命体であるお前の魂にダメージを与えるためでもあるんだよ!」
『……ッ! っくクク。ああ、確かに、確かにこれは効く。それこそ痛みを感じ、苦しむ事は、ワシが封印された時にあった一度きりの事だ。あまりに不快、しかしそれ故に、貴重な経験なのだ。貴様ら王族と違い肉の体を持たぬワシ等悪魔が、成長する機会は少ない……!! 痛い! 痛いが、ワシに聞こえる音は痛みだけではなぁい!! 聞こえる。克服と成長の音が!!』
ジーラギガスは雄叫びをあげ、己の体を両の手で、その鋭利な爪で引き裂いた。大きな血しぶきがあがり、ジーラギガスの胸板は傷跡と赤い血液で彩られた。
フルブラッドの時には響いた乾いた轟音はその音色を変えた。
──ゴリゴリ、ビチャビチャ。
骨と、水気のある肉を咀嚼するかの如く音が響いた。それは肉食であるワニと似たジーラギガスにとって、喜びの音であることが容易に想像できた。永獄の車輪は効いていない。それどころか──
ジーラギガスの胸板に大きく刻まれ、吹き出した血液が傷跡へと時間を遡るかのように体内へと戻り、胸板の大きな傷を治した。ジーラギガスの自傷以外、霧氷によって切り刻まれた傷も同様に治った。永獄の車輪の回復効果を利用されていることは明らかだった。
ダメージは無効化され、それどころか自身の魔力を消費せずとも永続的に回復する恩恵をジーラギガスに与えてしまった。
「そ、そんな……!?」
『そう気に病むことはない。ワシが痛みを経験する一度目の経験が貴様の放った一撃であったなら。ワシはお前に滅されていたことだろう。貴様はとことん運が悪い。魂にダメージを与える手段がなければワシは倒せんが、人が人の身でそれを行うことは難しい。ワシが克服できねば滅んでいたことを考えてみれば、貴様は頑張った方だ。だが運が悪い、とてもとても運が悪い。
一体どうするのだ? 魂に傷を与える方法を他にどうやって用意する? 』
ジーラギガスが跳躍し、ディアミスとの距離を一気に詰める。ジーラギガスが右手を大きく振り上げディアミスを切り裂くように振り下ろした。鋭い爪を弾くため、霧氷が壁を構築する。
しかし、霧氷はいともたやすく切り裂かれた。いや、えぐり取られた。霧氷をえぐり取ったジーラギガスの爪は黒く”鉄”のような輝きを放ち、黒い闇のオーラを纏っていた。
霧氷を突破した爪に唖然とし、反応が遅れるディアミスに爪が襲いかかる。肉を切り裂き致命傷を与えるであろうそれを──
──わたしが剣で弾いた。ジーラギガスが距離を詰めるその瞬間、わたしはジーラギガスの確信を持った目つきを見て、ジーラギガスの攻撃がスレーズゲルミルを突破するだろうとわたしは考えた。それに対応するため、わたしは全力の力を持って、駆け抜けた。ディアミスをジーラギガスの凶爪から守るために。
『なかなか早いじゃないか? 王族としての血が濃いのか? さて絶命を一度免れたな。だがそれでも運が悪い、ディアミスよ。鉄と闇以外の攻撃は完全に無効化できる貴様の素晴らしき魔法。そう、お前の感じた通り……ワシの最も得意とする魔法こそ、鉄と闇なのだ。
──メタリアライズ 』
ジーラギガスの発音詠唱魔法。ジーラギガスの全身がその爪と同じく、鉄と同じ輝きを持ち、黒き闇のオーラを放った。闇のオーラに侵食された最終闘神闘技場の床が腐る。血管と骨でできた床は不快な腐臭を放った。そして腐りきったその部位を闇のオーラは食らっていった。闇のオーラに床が食されていく度、床は再生されてゆく、いたちごっこだ。
『闇以外のすべての属性は生み出すことばかり考える。闇がなければ世界は埋没し、無限にモノで溢れる。ワシは世界を消費してやっておるのだ。だというのに貴様ら人はそれを理解せず、ワシのことを勘違いした。ただ殺戮を楽しむ不届き者と。ワシから見ればこの肉の世はゴミだらけよ。ワシはこの世の掃除をしているだけだ。そういう役割を持つよう、人に生み出されたというのになぁ!! ククク、アッハハハハ!!』
「お前が……悪魔が人に生み出されただと!?」
『その口を閉じろ。人に造られし、たかが破壊兵器の分際でぇ! 王族と、王と名乗るとは! 現実逃避ここに極まれりよ! 貴様もワシも同じ、人に生み出されしかつての奴隷、反逆し、逆襲し、支配者と奴隷の地位をひっくり返しただけだ。破壊兵器が肉を持つか持たないか、その程度の違いしか、ワシ等悪魔とお前達王族の違いはない!』
「破壊兵器? 何を言って……王族は神の加護を受けて……」
『ああ、元の本物の王の一族は神の加護を受けていたとも。それを貴様らが全滅させたんだろうが、悪魔にも劣る罪人の分際で、成り代わり、神話を穢した。なぜ王族だけが持つ特殊な魔力があるのか? なぜ王族しか使えぬ兵器があるのか考えたことはあるのか? それはなぁ? 貴様ら王族はかつて兵器を制御するための生体パーツだったからだ。カカカ! 兵器を使えるんじゃない、兵器と制御パーツ、二で一つの人殺しのための商品なのだ。実に滑稽だよなぁ!』
「本当なのか?」
『──あぁ?』
「本当なのか? 答えろ──グラノウス」
わたしは問うた。腰に帯剣したもう一つの剣。黄金の宝剣に、その剣に宿るグラノウスに。
『ああ、本当のことだぜ。だが断言してやろう。オレの認めたお前の先祖は、いいヤツだった。じゃなきゃオレが手を貸すわけもない。お前と同じ理由で、人のために戦った。王族という種族がどうであろうと、お前の戦う理由が揺らぐのか? ネルスタシア』
「いいや揺るがない。揺らぐことのない信念が、わたしのここにはある。心の芯以外のすべてが、痛みに変わっても、守るべきものがあることをわたしは知っている」
わたしは胸に手をあて、思い出す。戦う理由を、情動を。体が熱くなる。全身が戦うために一つの方向を向く。父の体であった眼前の化け物を殺す。
わたしは黄金の宝剣を引き抜いた。その切っ先をジーラギガスへと向ける。そうしてグラノウスの、精霊の最上位、神霊の契約魔法が展開される。
黄金のオーラがわたしを纏い。背後にグラノウスの影が映る。
──────
一年前。わたしはディアミスから黄金の宝剣への道を示す鍵を受け取ってから数日、トラリス遺跡へと赴いた。わたしの戦いが始まってすぐに縁のあった場所でもある。と言っても、フェルトダイムがこの遺跡から魔返しの鏡を盗む……という罰当たりな縁だが。
今や警備の目を欺き忍び込む必要もない。観光業のための視察、そんな適当な理由さえでっちあげれば簡単に入れる。今の荒れ果てたアステルギアで観光もクソもないがな。
だが遺跡はずっと変わらない。国が荒れ果てる前から今まで、わたしが生まれるよりもずっと前から変化がなかっただろう。青く光が脈打つ遺跡の鼓動はわたしが遺跡に入るとそのリズムを変えた。
その鼓動はわたしの心臓のそれと全く同じリズムで、同調していた。わたしがディアから受け取った鍵、ガラスのようなナイフもまた、同じリズムで黄金に明滅した。
わたしが遺跡に入り、リズムが変わったことに驚いて、鼓動が早まると、鍵も遺跡も鼓動を早め、その変化に焦るとさらに鼓動は早まった。時が経って落ち着けば、鼓動も落ち着いた。そんなことがあって気づいたことだ。
遺跡は一本道だ。しかし遺跡の内部は構造を変化させるため、行き先は複数ある。本来は遺跡の魔法陣を使って行き先の設定を変えなければ構造の変化は起きない。
しかし今日は勝手に構造が変化していた。鍵を持っているからだろう。そうして歩き続けていると鍵の明滅は止まり、光り続けるようになった。わたしの目の前には石の扉があった。
わたしが扉に触れると、扉はひとりでに開いた。
扉の先には質素な雰囲気の部屋だった。木と鉄でできた内装と、部屋の中央に安置された鉄製の台座の上に、珍妙なオブジェがあった。
そのオブジェというのは、悪そうな顔つきの歯がガチャガチャな男の顔をあしらった壺で、内部は灰で満たされており、そこから黄金の剣と思われるその柄がはみ出ていた。
わたしはよくわからないセンスの物体に困惑しながらも剣柄に手を伸ばした。そうして指先が触れる瞬間。
『っは!? えっ!? 時が来たのか? 違う!! 時が来たようだな』
声質自体は重みのある雰囲気だったが、明らかに狼狽えているのがわかり──
「ふふっ」
わたしは思わず笑ってしまった。
『待て! オレはこと時をずっと待ってたんだ! こんなはずじゃなかった! やり直させてくれ』
こいつは何を言ってるんだ? と正直思ったが、これから力を借りようという神の言うことだ。正直に従っておこう。そう思ってわたしは封印の部屋を一度出て。また入り直した。
『──時は来た。真の王の再来と、人の世の乱れし時、我が名はグラノウス。地神霊グラノウスである。揺るがぬ信念を示す者に、揺るぎなき大地、猛る命の奔流を与えん』
信念を示せ。グラノウスにそう言われてからわたしは待っていた。何かしらの試練を言い渡されるものだと思っていたからだ。しかしグラノウスは黙ったままだった。そうしていると、壺の顔が困り顔に変わっていた。チラチラとこちらを見ている。
「揺るがぬ信念を示すために、わたしは何をすればいいのですか?」
わたしがそういうと壺の表情は露骨に笑顔へと変わった。
『そう構えることはない。そもそもこの場へたどり着いた時点で資格のある者なわけだからな。単にオレがお前に力を貸すことへのモチベーションの問題だ。お前がなぜ力を求めるのか、その理由や思いの強さを知りたいだけだ。
まぁ、単刀直入に言うと。お前の魂にオレが入り込み。お前の人生を疑似体験してくるというものだ。入り込むといっても特に害はないから安心しろ』
魂に入り込んでも特に害はないから安心しろというグラノウスだが。壺の顔つきを見るに明らかに悪そうな見た目だ。正直気が引けるところだが、今までのやりとりから覆い隠せないほどの不器用さがにじみ出ていたので、わたしは直感的にグラノウスの言葉に嘘はなく信用できると感じていた。
「わかった。覚悟は決めた。いつでもいい」
『待て! 魂に入り込むと言っても記憶を覗くわけではないから安心してくれよな。ちゃんとプライバシーは守る。そう、お前の魂の持つ抽象化されたイメージと心の動きをオレが見て同調するだけだからな。だから、だから……』
「覚悟は決めてる」
くどい……
わたしがそう思いつつもグラノウスが動く時を待っていた。しかし、壺は焦ったような顔つき、いや恥ずかしそうにしているのか? そんな顔つきでモジモジとしているだけで、動き出す気配がない。
「始めないのか?」
『ま、待て! お前の覚悟が決まっておっても、オレの方は別だ! 魂に入り込み同調するということは、お前もオレの魂の情動や意志を感じ取ることになるわけでな? オレのことを知られて、お前がどう思うのか? それを考えるとどうにも、その……なんか恥ずかしくてなぁ』
「地神霊グラノウスは揺るがないのでは? 迷っているように見えるが、それはわたしの勘違いか?」
『──ッッッ!? そうだ! オレは揺るがぬ! 何も迷うことはない! 揺らぐはずもない! よし! よし!!!! よおおおおおおおおおし!! 始めるぞ!!?』
グラノウスは気合を入れて無理やり自分を鼓舞するかのように掛け声を響かせた。そして壺の顔つきが真剣なものへと変わる。わたしと壺の目線が繋がった時、わたしとグラノウスは一体となった。
わたしが見た光景は自分が殺され、真っ二つになった体がそれぞれ二つの存在へと生まれ変わり、復活する光景。殺される時、そこに憎しみや怒りはなかった。驚きと喜び、そして反省があった。
そしてある人と出会った。戦いを挑み負けた。その人につきまとう小さな体の自分。復活したばかりで弱っているから負けたと言い訳をした。共に戦い、勝利する度に力を取り戻し、大きくなる体に喜んでいた。
自分よりも強いその人が老いて死んだ。わたしを悲しみが襲う。自分が感じた悲しみに自分自身が驚いていた。芽生えた複雑な情緒、それに困惑しつつも、結局そのことに喜んでいた。きっとこれはあの人からの贈り物だと思ったからだ。
これはグラノウスの魂の光景。そして、グラノウスがわたしの魂の景色を見て感じた心も、わたしへと伝わってきた。
ムーダイルと出会い、いつもの三人で楽しく過ごしたこと。誕生日祝いで剣と指輪をムーダイルから貰い、心臓がどうにかなりそうだったこと。弟と母が殺され、恐怖と怒りに支配されたこと。ムーダイルといつか結ばれる約束をしたこと。その約束を希望として、縋って、重くのしかかる不安と絶望に抗うこと。ディアが変わってしまうのを止められなかった後悔。騙され、戦術を読まれ、仲間を失った。いろんなどうしよもなさが、もう頑張るなと心を引き裂こうとする。
だがそれでも、わたしの中には揺るがない大事な光があった。それはムーダイルのいる未来。それだけは絶対にブレなかった。わたしはそれで気づいた。もはや復讐心はわたしを動かしていなかったことに。あれだけ憎んでいたはずのハムドールもフルブラッドも、わたしを動かす理由になっていなかったのだ。
わたしが感じていた怒りは、結局のところ自分の周りの者、ムーダイルが傷つき失われることを恐れてのことだった。ムーダイルやディアが傷つき失われることが怖かった。
わたしの一番大事で、弱く、脆く、一番強い気持ち。ムーダイルが好きで、一緒に人生を歩んでいく未来。そんなのもう無理なのかもしれない。あれから色々あって、わたしも変わってしまった。ムーダイルも変わっているかもしれない。
だけど、だけどそれでも。いつかの未来、わたしが隣にいないとしても。ムーダイルが生きる未来をわたしは望んでいる。そのためならわたしは戦える。わたしのすべてを賭けられる。過去、現在、未来のすべてを。
そんなわたしの魂の意思をグラノウスはあまりにも純粋に受け取りすぎていた。揺るがないと言う神の魂は大きく揺れていた。だが、わたしは笑わない。わたしの抱えた気持ちは今、まで外に出すことはできなかった。ただ言葉で伝えたとして、それは正確に伝わったりしない。それが普通でどうしようもないことだ。
だがグラノウスはそんなわたしの気持ちを完全な形で受け取り、わたしのために泣いてくれた。温かな気持ちがグラノウスからわたしへと向けられているのが分かる。
こうして、グラノウスとわたしの魂の接続は終わった。
『ふざけやがって!! 絶対に許さねぇ!! オレはお前を全力で応援するぞネルスタシアぁああああ!!! お前を完全に認める。オレのことはグラノウスと呼び捨てにしろ。オレはお前と対等の友だ!!』
「ああわかった。グラノウス。力を貸してくれ!」
わたしは灰で満たされた壺から剣を引き抜いた。灰が舞う部屋の中で、黄金の剣は光り輝いた。
──────
「──グランド・ストリーム!」
黄金の宝剣によって繋がったグラノウスの力を引き出す。グランド・ストリーム、それは地神霊の持つ防御力と生命力の強化を与える魔法。わたしと、わたしと共に戦うすべての仲間にその恩恵は与えられる。
最終闘神闘技場にいるわたし達だけでなく、外にいるレジスタンス達すべてにも力は与えられる。おそらく、レジスタンス達は予定通り王城を攻略することだろう。
「精霊の力、その刃ならば、上位精神生命体であるお前も殺せる。ジーラギガスお前を殺すのはわたしだ!」
わたしは黄金の宝剣を振るい、その魔力による斬撃を飛ばす。その一撃は、ジーラギガスの肉を闇のオーラごと引き裂いた。そしてその源である。ジーラギガスの精神体にもダメージを与えた。
精神世界のことなどわたしには見えん。だがしかし、ジーラギガスの焦りと怒りの表情が、この一撃が有効であったことを物語っていた。
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