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第33話:トラーケンの兜

ネルスタシア視点の過去編です。



 地底異海の管理、調整を行う話し合いのため、わたしは地底異海の都市「カイローン」に来ていた。カイローンは地底異海における王都のような場所で、地底異海を実質的に支配している部族「カイラキア」の族長が治める都市でもある。地底異海であるため文字通り水中に都市があるわけだが、このカイローンは地上人の来客を想定した作りで、大気の存在する場所が所々存在する。


 大気のある場所から見るカイローンの景色は幻想的で地上とはまるで別世界だ。大気の水の境界は一見するとガラスの窓のようだが、その表面は水がとめどなく流れている。都市の街はサンゴや岩でできたものがほとんどだが、一部木材が使われたものもある。木材が使われた部分は近年、地底異海での植物栽培が行われるようになってからできた場所で、大抵は地上人が活用する場所だ。材質の違いはあれど建築物の基本的な構造は共通している。地底異海の建物は穴だらけで、穴の空いた場所や数によって水流の流れをコントロールしている。


 そうした水の通り道を魚やタコ、甲殻類が泳いでいるが、これらの都市に存在する生物は基本的にカイラキアの家畜だ。基本的に誰かしらの所有物であり、勝手に獲ったり殺したりすれば問題となる。家畜としての役割は防犯から掃除、食料、連絡役と多義に渡る。ともかく地上とはまるで違った文化が形成されていて。魔力よりも生物の力に頼った発展の仕方をしている。


 わたしは護衛を引き連れて街並みを進んでいくと、目的地であるカイローンの族長の屋敷へとたどり着いた。


「ようきなすったネルスタシア王! 久しぶりにこっちに来るって言うんでそりゃあもう、おもてなしも奮発しとるからよぉ! 楽しんでいってくれやぁ!」


 豪快な喋りからは想像もつかないほどに色白で細長く、肩と胸だけが広い男。地上の男の2倍の背丈で、腰まで伸びた長髪は水流に靡いている。カイラキアの族長だ。族長の座の周りは水で満たされており、わたしが立つ地上人用の大気のある空間とで境界ができている。そして大気と水の境界などないかのようにその声は振動を伝える。音魔法による水中での会話、音魔法が得意であるカイラキアにとっては朝飯前だろうが、地上人がやろうとすると難しいことだ。水中から水中の者へ音を伝えることができても、大気と水中の境界を超えることは難しい。


「王と呼ぶにはまだ気が早いぞダルモア。どこで誰が聞いているかわからん、もっと警戒するべきなんだがな」


「まぁまぁ、そんな硬いこと言うなよぉ。そもそも? フルブラッドの糞どもはこの海の中から何一つ持ち帰ることはできねぇよ。オイラの許可を得なきゃなぁ。あーそうか、お前の部下が洗脳されたら怖いわけか……そこまでは頭が回らんかったぜ。わりぃ! これも遠いご先祖とはいえ、親戚の好だと思って、な?」


「はぁ、まぁいいさ。お前には大きな借りがある。多少のことは目を瞑るさ。まずは表の仕事をさっさと終わらせよう」


 わたしは部下に持たせた書簡をダルモアに渡す。主に地底異海へ送り込んだ地上出身の労働者の報酬や労働環境を整えるための予算等の調整に関する書簡で、こうした地底異海の交渉事は基本的にわたしが受け持っている。


 カイラキアの者たちはハムドールやフルブラッドのことを認めていない、それ故に一時期、地上と地底異海との流通がストップしてしまったことがある。この時、交渉を行い、流通を再開させたのがわたしであり、現状のアステルギアはわたしというパイプ役がいなければ経済的に潰れてしまう。そうなると貴族も商人もフルブラッドも困る。だからこそ彼らはわたしの権力拡大を許し、排除することもないのだろう。


 カイラキアの者たちがハムドールに従わないという選択肢が取れるのは単純な話で、彼らの水中での力が圧倒的だからだ。カイラキアとアステルギアの地上に住む民のルーツは同じだが、カイラキアは地底異海に住み着き、適応していくうちに別の種族へと進化した。半精霊体である彼らは、高濃度魔力の流れる地底異海で得に対策することもなく、魔法を扱うことができる。


 もちろん水中で呼吸もできるし、泳ぐスピードも地上人とは比べるべくもない。地上人は自動魔道具を活用しなければ地底異海でまともに魔法を使えない。しかも、自動魔道具の性能を超えた威力の高い魔法を使うことはできない。カイラキアに地底異海で勝てる国家は存在しないだろう。


 しかし、地底異海に適応し過ぎた結果、水中でなければ真価を発揮できなくなったカイラキアは実質的に地底異海に閉じ込められたような状態になっている。防衛に於いては最強であるものの、地上攻めには向かず、ハムドールやフルブラッドが気に入らないとしても戦うことはできなかった。


 そんな中、交渉役として現れたわたしは彼らにとって都合の良い存在だった。王に対する憎しみを持った、話せる王族。彼らは最初からわたしにハムドールとフルブラッドを打倒させるつもりだった。地上と違い、地底異海は平和そのものだったが、思うように動けないカイラキア、族長のダルモアは不満を募らせていたのだ。


 そして、そんな平和な地底異海だからこそできることがあった。わたしがダルモアへ使った借りというのがそれで、ダルモアとの話し合いが終わった後、やってきたこの場所のことだ。


「ここに笑顔があることが、わたしと彼らの救いだな。こうした光景が地上でも見られるように、ずっと戦い続けてきた。そしてそれはもうすぐ叶う」


 ダルモアの私有地、そこには戦死したレジスタンスの残された家族が住む集落がある。レジスタンスの者が死ぬと死体から調査が行われる。調査で身内が見つかれば彼らも処刑される。その対策のため、この集落に住む者たちは表向き死んだことになっており、地上から避難してきた。自分が死んだ後、家族がどうなるかを憂うレジスタンスは多かった。家族だけでなく恋人や友人もそうだ。わたしはレジスタンスが心置きなく戦えるようにダルモアと交渉して、この集落を作った。


 この集落は平和だ。地底異海の一部であるから。家族を失い、悲しみから落ち込んでいた者たちも、時をかけてその心の傷を癒やした。平和であった時代の生活をこの集落で再現していた。子供たちは元気にはしゃいでいて笑顔が絶えない。わたしはこの光景を見る度に、複雑な感情を抱いた。


 懐かしさと現実感のなさを同時に感じた。わたしにとって現実はつらく苦しいもので、ここにはそれがない。それが昔は、普通であったはずなのに、現実味を感じられずにいた。きっとこの集落にやってきたばかりの者たちも、同じような感覚を抱くのだろう。


 しかし、そんな彼らも時が経てば、傷を癒やし、笑うようになった。それこそがわたしにとっての希望だった。笑顔を忘れた者も、いつか笑えるようになる。それが事実として目の前にあるからだ。わたしがハムドールとフルブラッドを斃し、アステルギアを取り戻せば、こうした光景は、この集落だけのものではなくなる。


 夢、温かく、簡単に千切れてしまいそうな理想の未来。その中で……ムーダイルと一緒に生きられたらいいな。わたしは、随分と変わってしまったから、ムーダイルはわたしと一緒にいてくれるかわからないけど。


 一緒に、笑って過ごす未来があると信じて、わたしは前に進む。眠りにつく時、いつも不安で心臓が落ち潰されそうになるけど、その不安を押し殺す、自分に言い聞かせる。現実逃避だと思いつつも、生きるために、進むためにはそうするしかなかった。


 わたしだけの都合ではないことは分かっている。だが、この集落に住む大勢の人々には家族がいたのだ。フルブラッドが起こし、わたしが巻き込んだ戦いで、その家族が死んだ。止まることは許されない。


 共に戦い、死んでいったレジスタンス、同志達。共に戦うまでは、彼らの尊さを知らなかった。曖昧で、なんとなくの、民は大事だという幼子だった頃の認識、穴だらけの骨組みだけの認識は、彼らが血を流し、肉を分かち、命を輝かせて燃えた後、わたしの骨組みに血肉を埋めていった。


 裏切りにより拠点を兵士たちに襲撃され死んでいった者がいる。仲間に後ろから刺され、死にゆく絶望から、わたしは救うことはできなかった。わたしはその場にいなかった。事実がわかった後もすぐに動くことはできなかった。表向きのネルスタシアの立場がそれを許さないから。


 そうして、調査のために人払いがされた拠点であった場所から、わたしは屍と痕跡を見て想像した。彼らが何を思い、何を願ったのか。ある者はその血で文字を起こした。「立ち止まるな。魂は共にある」と。その血文字は不甲斐ないわたしを恨むことをせず、わたしのするべきことを教えた。血文字の最後、文字から伸びる指先と繋がった大きく切り裂かれた背中。その者の顔には見覚えがあった。


 ディアミスや他のレジスタンスの者たちと鍛錬を行っていた時、目を輝かせて、わたしに技のコツを教えろとせがんだ者だ。少し無礼だが、元気な青年で、若い衆のリーダー的な存在だった。ほんの些細な思い出が、彼らがかつて生きていたことを自覚させる。動かなくなった屍が、二度と戻れないことを、時が過ぎ去ってしまったことを自覚させた。


 彼らはわたしの顔を知らない、わたしの顔を知る者はほとんどいない。レジスタンスの活動をする時、わたしは基本的に変装し、兜で顔を隠していたからだ。女であることすら知らない者も多いだろう。


 だからこの集落にいる者もわたしを知らない。王女のネルスタシアでもレジスタンスの指導者である「トラーケン」でもない、ただの町娘の姿でこの集落を見ているから。




──────



 集落の様子を見終わったわたしはダルモアのもてなしを受けていた。と言っても実質的には会議のようなもので心が安らぐ類のものではない。


「ネルスタシアよぉ、いつフルブラッドをやるつもりだ? すでに戦力的には申し分ないんじゃねーのか? オイラ達が貸した武器がありゃ楽勝だろ?」


「敵が見たままの戦力ならばそうだな。そもそも問題は戦力ではなく、敵の居場所が分からないことにある。痕跡は見つけられても、あと一歩が届かない。さらに言えば敵の戦力、近衛兵も強くなっている。フルブラッド達を守るために動くことがほとんどが故に、戦闘することも少ないが、報告を見た限り、あれは異常だ」


「異常な強さの近衛兵ねぇ。でもネルスタシアとディアミスが戦えば余裕だろ」


 ダルモアは軽く受け流すが、わたしの態度にもどかしさを感じるのか、何か言いたげな様子だった。


「フルブラッド配下の近衛兵は常人では不可能な、異常な訓練が課されている。精神か肉体か、どちらかが壊れるような訓練を強制的に行わせ、それを生き残った者が近衛兵となる。生き残っているその時点で、ある種の才能がある者ということだ。わたしは実際に今の近衛兵と戦ったわけではないから、完全な予測だが……報告を考えれば近衛兵の強さは魔王幹部クラスと言えるだろう。


 確かにわたしであれば勝てる。だからこそフルブラッドは貴重な戦力である近衛兵を、わたしに、トラーケンとディアミスに当てない。逆に言えば、わたしとディアミスでなければ対抗できない。例え貸してもらった魔導兵器や上級回復魔道具を使ってもそれは変わらない。


 わたしが不審に思っているのは、フルブラッドがその戦力をあまり活用していない点だ。自分達を守らせるためだけに使うのは効率的ではない。普通であればわたしやディアミスのいない拠点を潰すために使うはずだが、そういったことがない。狙える隙はあったはずなのだがな……


 相手に攻めさせ、なんらかの致命的なカウンターを狙っているんじゃないか? わたしはそう考えている。異界の大悪魔、ジーラギガスの復活を待っているだけかもしれないが、今までの戦いからフルブラッドが好むのは罠や騙し討というのが分かっている。今はその対策を練っているところだ」


「ぬぅ……しかしなぁ! それも結局予測だろぉ? それで先にジーラギガスが復活してこっちが不利なっちまったら意味ないって思うなぁ! オイラは」


「敵はその焦りを利用しようとしているのかもしれないからな。正直こちらからは動きづらい。確定した要素への対策と、こちらから仕掛ける罠も用意する。それが今のわたし達の方針だ。


 お前のもどかしさは理解する。だが今年中に必ず奴らを斃す。それは絶対だ。そうでなければ今まで戦ってきた意味がない」


 今年……ムーダイルが帰ってくる。それまでにハムドールとフルブラッドを殺さなければ、ムーダイルは……あいつは……


 ムーダイルのことを思うと胸が苦しくなる。グラスを握る腕に力が入ってしまい、わたしはグラスを握りつぶしてしまった。


「──ひえっ……あああ、あーそうだよな。お前にはぜってー譲れないもんがあるんだ。それはオイラも分かってる。ちゃんと信じてるぜ」


 フルブラッドとの戦いはそう遠くないうちに起きる。いや、わたしが起こす。そのための準備ももうすぐ終わる。チャンスは一度、そこに全てを賭けて、未来を勝ち取る。


 カイローンでの用事を済ませ、わたしは地上へと戻る。ここから先、敵を殺すその時まで、わたしに休息はない。




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