第28話:魂の法典
ネルスタシア視点です。
「つまりこれは……うちのチビ共に短いかもしれねぇ命を少しでも長く生きて欲しいっていう俺の願いと、勇者として真に覚醒した後の方が、強くなって魔王を殺しやすくなるっつー現実的な判断によるものだ。不断の誓いを立てれば俺はフルブラッド、お前を殺せなくなる。同様にお前も俺を殺せなくなる。厄介なんだろ? 俺がお前らを殺せるとよ」
「えぇそうですねぇ。あなたは実に厄介です。普通にやったらどうやったってあなたを殺せる気がしませんから……ではその条件の不殺にハムドール様も追加してもらいましょうか?」
「いいだろう──ここに不断の誓いを結ぶ、その魂に神命の法を刻み、命ある限りその法は続く、名をガーディナス、刻銘する者」
「鏡映する者、名をフルブラッド、神命により、命ある限りの法を魂に刻むことを誓う」
誓いの言葉を立てるとガーディナスと幻影のフルブラッドの胸、心臓のある部分が青く光った。不断の誓い、それは法の神テミスを経由して互いの魂に呪いを刻み込む儀式。契約を結んだものは互いを殺せず、取り交わした約束を破ることができない。
約束を破ることができないというのは比喩ではなく、文字通りの現象が起こる。抗えぬ衝動から約束を必ず遂行しようとしてしまうのだ。
基本的に命を掛けた約束事でしか誓うことのない呪いであり、国同士の取り決めでも活用されることはほとんどない。基本的に古代の決闘で勝利した者が相手に約束を守らせるためや、神々の代行者が信徒に命令を守らせるために行うもので、言ってしまえば時代遅れの儀式だ。
この呪いは自分で衝動をコントロールできないので自分の予期せぬタイミングで発動してしまうことがあり、関係のないものが事故的に巻き込まれることが少なくなかったために、時代とともに行われることがなくなっていった。
こうしてガーディナスはフルブラッドとの不断の誓いを立てると、三日後に魔王討伐に向かうことを約束し、王城を去っていった。
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今夜もまたフラグライト家の者たちと洞窟の基地で落ち合う。王城であったことを皆に報告する。基本的に敵に聞かれて困ることはこの基地で話し合うのが定例となった。
「事情はわかりましたわ。でも解せないことが多いですわぁ。まずガーディナス兄さんがどうして勇者の本能、ぶっちゃけ呪いですわね……これに気づけたか? あとやっぱり説明されても、敵にこちらの事情を話したのが理解不能です。敵に利用されるのがオチだと思うのですけど?」
ディレーナの言うことは最もだ。フルブラッドと交渉するとしても、あの口ぶりからすれば事情を深く説明することもなかったように思う。ガーディナスの力を強く警戒する様子を見れば、ガーディナスがあちらを攻撃しないというだけで、不断の誓いを通せた可能性がある。
ガーディナスも見た目こそ粗暴な男に見えるが善人だ。少なくとも、ディアやフェルトダイム、ディレーナよりは善性の存在だ。しかし、あの時ガーディナスは父親達ほど甘くはないと言っていた。自分の質を理解した上での言動であるとすれば、あの時ガーディナスがフルブラッドに話したことにも、何か別の意図があるはずだとわたしは思っていた。
「それ……お兄ちゃんに教えようとガーディナス兄さんが開発してた技、魂を刃に変えて攻撃する【心刃斬り】をガーディナス兄さんが使えるから呪いのことが分かったんじゃないかな? 魂の動きか形かはわかんないけど、それで魂の異常な動きに気づけたんだと思う」
「多分ディアの言う通りだろうな。そもそも心刃斬りは俺が作ったモノ、今までになかった技だ。今までの勇者も、親父と母さんも俺と同じ視点を持っちゃいない。俺だって心刃斬りを作ろうと編みだす過程でその目を鍛えなかったら、一生気がつくこともなかっただろうな。
俺が理解できるのは魂の形だけだ。だがムーダイルは中身まで見えてるみてぇだった。それだけじゃなく、どんな意味があるのかもあいつには分かってた。あいつは鍛えることもなく、生まれた時からそれができた。俺のような雑な見え方じゃない……俺の努力では、きっとたどり着けない領域に最初からいた。
だからあいつは強い。俺とは質が違うがな……お前らはあいつのことを、力のない存在だと思ってるようだが俺は違う。あいつは俺達と戦い方が違うだけで、つえーんだ」
ガーディナスは少し寂しそうに、しかし笑顔でそう言った。ガーディナスは他人から見ればまごうことなき天才だが、そんなガーディナスでも届かない、できないことがある。そういったことを認める強さを、ガーディナスは持っていた。
「フルブラッドに事情を話したのは探りを入れるためだ。あいつは勇者の呪いの話を聞いてもまるで動揺しちゃいなかった。その魂が何一つブレることはなかった。俺が威圧した時や、俺が不断の誓いを持ちかけたことには魂を動かしたが……勇者のことに反応しなかった。これはよ……つまりフルブラッドは知ってたってことだ。精神力が人並みレベル、威圧にビビってたあいつには、知ってるフリすらできねぇはずだ」
「なに!? フルブラッドが勇者の呪いのことを知っていただと? わたし達だってムーダイルがいた影響があって初めてわかったことを……あいつが知っていた? 幻影魔法越しだったから見間違えたという可能性はないのか?」
「いや見間違いはありえねぇよ。そもそも対話した時点で魂自体は向き合ってる。不断の誓いが距離を無視してテミス神を通してやれるのと同じ理屈だろうよ。他にもいくつか探りをいれてわかったことがある。
あいつに魔王を直接操る能力はねぇ、できるとしたら誘導レベルだ。もしそれができるなら今頃とっくにこの国もテミス連合王国も滅んでる。勇者が魔王と戦えるようになる歳を18でも20でもいいとやつは言っていたが、それは本心だ。それどころか、俺が出した穴のある提案に焦っていた。
やつも本当にこの国に魔王が攻めてきたら困るってことだ。そしてそれは、魔王を操れず、誘導するか魔王の動きを察知して利用することしかできないってことの裏付けになる」
「つまりフルブラッドは勇者の呪いを知っていて、勇者が魔王と必ず戦うことも知っていた。そして本当に魔王がやってきたら問題になるが、その割には勇者と魔王を衝突させようとしている。ふむ、確かにそうだな……魔王でこの国を滅ぼすのが目的ではなく、他に目的があり、その目的のためにこの国の勇者戦力を削るのが目的のように見える。
目的を遂行するために身の安全を確保したかっただけ、となれば……ガーディナスの脅威を考えなくて済むようになるあの提案は、やつにとっては好都合だったわけだ。しかし身の安全のために魔王を利用するなど、普通に考えればリスクが高すぎる。やはりお前の言う通り、何らかの魔王を誘導する手段は持っているだろうな」
「でもでも、その予測が正しかったとして、わたくし達はどうすればいいんですの? フルブラッドを殺せない誓いを立ててしまったんでしょう?」
「あの誓いでフルブラッドを殺せなくなったのは俺だけだ。ディレーナ、お前やフェルト、ディアはフルブラッドを殺せる。もちろんネルスタシアもフルブラッドを殺せる。さらに言えばあいつの仲間や手下を殺すことには俺にも制限はないからな。
逆にそういったことはフルブラッド側にも言える。やつの縛りは勇者の直接的な殺害の不可と、勇者が条件の年齢を満たすまでは魔王との戦闘をさせないこと……間接的になら勇者を殺せるし、その周囲の人物もしかりだ。が、正直間接的に俺達をやるとしてもそれが可能な人材がこの国にはいないし、不可抗力的に殺すのも難しい。
魔王を誘導できるのなら、魔王を使って殺すのが一番楽だし、元からそれ以外の手段で勇者を殺すのが難しかったからそうしたんだろうよ。ま、フルブラッドが俺達を殺す手段がより魔王を使ったものに固定化され、俺が直接フルブラッドを殺せなくなっただけだな。まぁでも、フルブラッドが事を強引に進めることが難しくなった分、俺達の方がメリットは大きい。もしかしたら俺が思うよりも俺のことが脅威なのかも知れねぇけどな……」
「なるほどな、ガーディナスが直接フルブラッドを殺せなくなったことがどこまで響くのかは不明だが、状況は悪くなっていない、というよりは分かりやすくなったという感じか……どのみち魔王と戦うことは避けられないし、一方的にいいようにされないルールを設け、交渉すると見せかけて情報も得られた。おかげで今後の方針も決めやすくなった。
結局の所、わたし達が今やっていることを突き詰めていくことが最適解だ。敵の情報を集め、人数を減らし、力を削ぐことが重要。魔王との戦いがルール化されたことによって計画のスケジュールもより具体的に可能になった。しかしそうなると……」
「行動可能な年数がより多い、私とフェルト兄さんが重要になるってことだね。最悪を考えれば、ガーディナス兄さんとディレーナ姉さんも頼れる期間は少ないし、効率を考えればガーディナス兄さん達は得意なことでの仕事に特化した方がいいよね。ガーディナス兄さんにレジスタンスの訓練をやってもらって、ディレーナ姉さんには自己強化魔法の訓練を。本当は近距離攻撃魔法を教えたいだろうけど、多分他の人には使いこなせないし、ディレーナ姉さんが教えられて他の人が使える、強い魔法は自己強化魔法だと思うから」
ディアミスは無表情で、淡々とした口調でそう言った。兄たちの余命は少ない、命を有効活用せよと……冷たく無機質な物言い、だがわたしには分かる。ディアミスはムーダイルのことしか頭にないのだ。ムーダイルのために他の兄妹に命を効率よく使うつもりなのだ。しかし、その気持ちを理解しても、わたしはこのディアミスから人らしさを感じ取ることができなかった。狂った父が言っていた悪魔の存在は幻想だが、わたしにはディアミスがそれに見えた。それは幻想ではなく肉を持ち、他人の命を糧としようとしていた。
およそ9歳児の考えることではない。国が荒れ、親が死んだからで説明のつくことではなかった。少なくともこの状況になるまでは、善良で温かい家庭で育ち、周囲の環境も良いものだった。だが、その環境にあってもディアミスの心には邪心が根を下ろしていた。生まれた時から、小さな頃から彼女が他のフラグライト家の者たちとは違うと、わたしも常々感じていたことだが、それが今、まざまざと見せつけられた。
ディアミスにも優しさはあった、人を真に気遣うこともあった。ムーダイルが旅立つ前日だって、気に入らないだろうわたしに二人きりでの話をさせてくれた。ムーダイル以外にだって優しさを見せていた。近所の人々や家庭教師、親兄弟、ムーダイル以外と関わる時もそれは確かにあった。優しくするフリではなかったと思う。ムーダイルに好かれるため、優しく見られるように計算して振る舞っていたわけでもない。
もしそうならムーダイルの前でわたしの悪口を言ったりもしないだろうが、実際にはかなり悪口を言っていたし、悪ガキな一面をムーダイルの前で隠すこともなかった。多少露悪的なところもあったが、本心を偽るタイプではなかった。全てが本心だった、そしてそれは今の邪悪な一面にも言えた。
邪悪な一面がありつつも確かに存在した優しさや善良さが、彼女が人であることをわたしに自覚させたが、今のディアミスからは善性を感じない。ディアミスの人らしさが急に消え、人でなくなったかのようだった。まるで別人のようになっていた。
「おい、ディアミス……お前……言いたいことは分かるけどよ。俺とディレーナはすぐ死ぬかもってわかって、どうしてそんな話がすぐできる……ムーダイルのことが心配なのは分かるが、今のお前はよくないぜ……話してた俺だって別に……全部割り切れてるわけじゃねぇんだぞ?」
ディアミスの物言いに当惑し、しばらくの沈黙からガーディナスが口を開いた。話す声色から戸惑いは隠せず、ガーディナスは冷や汗をかき、目が少し泳いでいる。
「そうですわよディアミス! わたくしはともかくガーディナス兄さんは……! もしかすると三日後、魔王遠征に旅立ったらそのまま、そのまま帰ってこないかも知れないんですのよ!? そうなってもあなたは何も思わないんですの?
いくらムーダイルのことが気になったとしても、あんまりですわ! だいたい! なんなんですの? どうしてそんな……そんな冷静でいられるんですの? わたくしとガーディナス兄さんだけじゃない、あなただって……あなたの命だって、そう長くないってことでしょう!?
たった7年であなたは16です。普通の子供だったら……大人になっておじさんおばさんになって……おじいちゃんやおばあちゃんになれるかも知れないんですのよ? 何十年かはあったかもしれないものがたった7年ですよ? あなたは──」
「──分かってるよ、でも……そんなのはどうでもいい。じゃあさ、私が兄さんや姉さんの心配をしたら生き残ってくれるの? お父さんもお母さんも、私は心配したけど死んだよね? ディレーナ姉さん、私よりも年上なんでしょ? もう終わったんだよ。誰かに守ってもらって、世話を焼いてもらって、無能でいる自分を許してもらえる子供の時間は終わったの。
ディレーナは私より年上なんだからさ、はやく覚悟決めてよ。子供をやめて、守る側になりなよ。子供のまま何も守れず死んでも、父さんと母さんは許してくれるかもね。でも、私はもういらないよ。守ってもらいたいだけ、子供のままでいたいだけの姉さんはいらない。だって私、ディレーナのこと守る余裕ないから」
「なっ……わたくしは! わたくしはそんなつもりじゃ! ならあなたは覚悟を決めてるっていうんですの? 口だけならなんとでも……」
ディレーナの言葉は途切れ、そのまま続くことはなかった。ディアミスの顔を見たからだ。ディアミスは覚悟を決めていた、この場にいる誰よりも。
殺気、それが表情から、身体から滲み出ていた。しかしその殺気が向かう先はディレーナでもガーディナスでもない、フルブラッドとハムドール、その二人からブレることなく向けられていた。ディアミスはこの場にいる誰も見ていなかった。ただ敵である二人を殺すことしか考えていないようだった。
最早、この子供が異常であることを追求するものはいなかった。それは明白なことで、誰もディアミスに言い返すことができなかったからだ。この場にいる誰よりもすべきことをなすために生きようとしていたからだ。
ディアミスはすでに兄や姉達に守られる存在ではなくなっていた。優しさを見せることはないが、敵を殺すことで兄や姉を守ろうとしていた。あまりに不器用で冷徹ではあるが、覚悟という面ではこの場の誰よりも先をいっていた。
「敵は分かってるんだから、それを殺すためにやるべきことをやるだけでしょ? 時間に余裕はないんだから、ちゃんとこれからのためになる話をしようよ。この場所は、そういう場所でしょ?」
重苦しい空気の中、会議は続いた。そして勇者達の余命を考えたスケジュールが作られていった。デッドラインの先は未定であり空白、計画表の真っ白なガーディナスの欄が受け入れがたい現実を突きつけていた。ガーディナスはその空白をじっと見つめていた。ガーディナスは一体どのような気持ちで……その空白を見つめていたのだろうか?
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