第10話:号令の旗
引き続きクランゼルグ視点の過去回想です。
子供と遊ぶことも珍しくなくなった時のこと、その日は唐突にやってきた。暗黒街の人々が急に苦しみ始め、死者まで出始めた。私はこれが何かを知っている。本能に刻まれた臭いだ。大昔に使われ、今では禁止されている殺鼠剤だ。この殺鼠剤はただのジャイアントラットだった頃の私達にすら効かない。しかし撒かれた。ゴミ溜めや暗黒街の通り、そして王都から伸びる水路にまで。正気とは思えなかった。
水にまで毒を撒くとは……そもそも我々には効かないのだからただ人を殺すだけで終わる。我々ネズミ達は何をしなくとも事が終わるのを待てばいい。そう思っていた。だが私の見通しは甘かった。命令を下す王は私の予想よりもずっと狂っていたからだ。
暗黒街の人を巻き込んでしまうというのはまるで私の勘違いだった。暗黒街の人々も殺すのが目的だったのだ。ネズミが殺せるかどうかは関係なかった。王は不潔な暗黒街のせいでネズミが大量発生したと思い込み、さらには人々を殺して暗黒街を燃やすとまで言っていた。
ネズミごと燃やして掃除をすると……そして、私も判断が遅れてしまった。侮っていたのだ。王は無能でも、その配下までそうとは限らなかった。今まで仲間の一部が王都の人々をからかっていたが特に問題はなかった。しかし、それはまともなヒト族が必要以上に相手をする必要がないと判断していただけのことだった。
王に直々に命令された王都の役人や兵士達は、ネズミ対策に力を入れるようになった。そうした結果、自体は急速に動き、彼らは先手を打ったのだ。彼らは殺鼠剤の成分を使った風の魔術による結界で暗黒街を包み込んだ。禁止された殺鼠剤で我々が死ぬことはないのだが、やはり本能では嫌な臭いに反応して避けようとしてしまう。そうした性質から風魔法で通り抜ける隙間もなく覆われてしまうと、抜け出すことができないのだ。
しかし、このままでは本腰を入れた王都の兵士達との戦争状態になってしまうし、敵に有利な状況に持ち込まれた状態での戦闘はまずい。どうにかできないかと気合を入れて暗黒街を包む結界を抜けようとする。すると、他のネズミたちよりも先へ進めそうだった。しかし、押し戻されてしまう。
あともう少し何か、もうひと押しあれば本能を超えて通り抜けることもできそうなのだが。どうすればいいのか検討もつかない。……そうだ、あの子供は? 見かけなかったがあの子は無事なのか? 胸騒ぎがして、ネズミ達から居場所を聞き出す。そうして見かけたという、暗黒街の地上部分までやってきた。
そこに、子供はいた。元々顔色の悪い子供だったが、今のそれは死体と見紛うレベルだ。咳き込み、手を胸に当て苦痛に悶えている。いつもの三匹はそれを心配そうに見つめ、背中をさすったりしている。私は、なぜここに来たんだ。私が今考えるべきは、群れの仲間を生かす方法をしっかり考えることなのに……ここに来て、ただただ、嫌な気持ちになっただけじゃないか。何かできるわけでもないのに。
「あ、ネズミの親分来てたのカ……オレ、やっぱ死ぬのかな? みんなの食べ物取ってこようと思ったけど、動けなくなっち……まった」
「みんなの食べ物? 何を言ってるんだ? 他の奴のことを考える余裕なんてあるのか? 暗黒街のヒト族共は食べるかどうか以前に、病気で死んでしまうような段階なんだぞ!」
「知ってる……ヨ。多分、暗黒街のヒトのみんなは助からない。でもお前らネズミは違う。毒がきかないんだろ? だけど、お前ら食べ物を取りにいけないんだ。変な風を超えられないから。だからオレが、おまえらの食べ物、最後に持ってこようと……おもって、サ」
「私達の……ネズミ達のため? そのためにロクに動かない、死にかけの体を酷使して、残り少ない寿命すら手放した!! なんでだ!? お前ら人に毒は効いてもネズミには効かないんだ、私たちだけ生き残ってズルいと思わないのか? 私達が嫌いにならないのか!? それに、お前が少しばかりの食べ物を持ってきたって、王都の魔術師達はまた食料が尽きて私たちが弱るのを待てばいいだけだ!! 意味なんて無い!! 馬鹿やろうっ!」
「そんな怒るなよ。でもホント馬鹿だなオレ。そうだよな……オレが食料持ってきたってちょっとだけ、半日ぐらい時間が伸びるだけダ……オレ、ドランゼルグみたいになりたかったのに。オレが死んで、死体をお前らが食って生き残っても。魔法を長くやればいいだけ。オレも、最後に友達を……助けてやりたかったのにナ……」
嫌だった、何もかもが、心の中がぐちゃぐちゃだ。殺し合いをしてたときよりも、命の危機があった時よりも、ずっとずっと心が痛かった。この子供は、ちっぽけな希望を持つことすらも現実に否定されてしまった。いや、そうじゃない。私が、私が、子供に「君のおかげで助かるよ」と、嘘でもつけば、この子はまだ少しばかりの幸せを感じて逝けたかもしれない。そんなことに、私は子供に無情な事実を言った後に気がついた。
「そんな泣きそうな顔、するナ。お前らのせいじゃない」
「私がもっと注意するべきだったんだ! 人を侮るな、無闇に怒らせるなって! そうすればお前たちが死ぬことはなかった!」
「違う、それでもお前らは……悪くない。悪いのはクソ王だ。あいつが滅茶苦茶やらなきゃよかったんだ。お前、頭いいんだからサ、間違えんなよ……でも、そっか。お前もオレ達のこと、仲間だと思ってくれてたのカ……本物の仲間に、オレはなれたんだな」
仲間、そうだ。もうずっと前から、本当はこの子供等を仲間だと思ってたんだ。でも人だから違う、そう思うのはおかしいって否定してきた。だが一緒だった。私達の気持ちは一緒だった。暗い気持ちの中で、ちょっとした明るさを一緒に楽しんでいた。この場所にいる人々は仲間だ。見た目は違っても一緒の種族だった。暗黒街と王都に住む人々、同じ人でも中身は別物、別種のようだった。
思い返せば王都の人々だってそれぞれ違った。優しいやつもいれば、いじわるなやつもいた。今だって殺鼠剤の結界を見張る兵士たちの表情は様々だ。ニヤニヤと笑う者もいれば、心苦しそうにしてるやつ、疲れた顔をしたやつもいる。腑に落ちた、すっと一本の筋が通ったような気がした。
嫌だ、嫌だ、新たなに増えたこの仲間達を見捨てたくない!! そう強く願った。人に効果があるかはわからない、だけどネズミの回復魔法をこの子供に使ってみることにした。手を子供にかざし魔力を込めた──その時だった。私の体が黒く光り始めた。私は、この感覚を知っている。すでに二度経験していたこと。進化だ。ジャイアントラットとからカオスラットへ。カオスラットからカオスラットリーダーへ、そうして私は──
──ハイカオスラットへと進化した。光が収まると私は、人の体を真似た形になっていた。そうして進化することで手に入れた力を私は使った。それは耐性付与の魔法。子供だけでなく、暗黒街のすべての人々に、ネズミである私達が持つ旧時代の殺鼠剤への耐性を付与した。そうして少し時が経つと子供は立ち上がった。
「お前が助けてくれたんだな。スッゲー魔法! でも人みたいな姿に……本当はヒトだったのカ?」
「いいや、ネズミだよ。君のことを、人のことも仲間だと思ったら。人の姿になれるようになったんだ」
「お前人になれるなら、人の名前がいるな! じゃあ、今日からオレがドランゼルグでお前はクランゼルグだ!」
「え? クランゼルグ? クランストラじゃなくてか? というか君の名前はドランゼルグじゃないだろ?」
「クランストラは女の子だったけどお前は男だからクランゼルグなんだ! オレは元から名前ないから自分で名前つけたって問題ないんだゼ!」
「まぁそれならクランゼルグでもいいけど。男でクランゼルグって話だったら君──」
その後、私達は暗黒街の人々とネズミ達で協力して風の魔法陣を破壊した。暗黒街の人々のほとんどは魔法は使えないが魔力はあった。それを活用して沢山の魔力を人々から、魔法の実行をネズミが行った。風魔法に対抗するためこちらも風魔法を使った。ネズミ達の魔力だけでは殺鼠剤の風の魔法陣は破壊できなかっただろう。こうして、人とネズミで協力することを憶えた暗黒街の住人たちは、暗黒時代と呼ばれた先王統治時代を生き延びたのだった。
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