第9話:竜の鞍
クランゼルグ視点の過去回想です。
暗く湿った地下道でぽつぽつと雫の落ちる音がする。一定のリズムで落ちているのだが、この地下道には多くの者が住んでいて、動くものがいる度に音は消えたり、別の音が聞こえたりする。人間達が音を出して騒ぐコト、音楽というらしいが、それに似ていると思った。ネズミとヒト、この地下道には違う音を出す生き物たちが同居していた。
昔は音楽というものが理解できなかった。ただの鼠だった頃は、生きることだけを考えていた。カオスラットに変異してからは私も皆も、この考えるという概念に振り回されていた。戦いや生存には大いに役立ったが、この力と有り余るエネルギーをどう発散すればいいのか分からない。そうしたもやもやを発散するため、一部の仲間達は王都の人々をからかって遊んでいるようだ。
変異して最初は身を守るため、ヒトとはほとんど戦争状態だった。手に入れた知力と魔力を使い、多くの人族を殺し、多くの仲間が殺された。そうした生活が続いたある日、私はただのカオスラットからカオスラットリーダーへと進化した。体は他のものより大きく、魔力も知力も強くなった。人間が話す言葉も不完全な形でなく、完全に理解できるようになった。人同士の会話に聞き耳を立てて知識を得た。どうやらこの世界はとても広く、安全で食べ物が豊富なところもあるらしいと。
だったらここで殺したり殺されたりをずっと続ける意味もない。そう思って、私は群れの仲間とともに最初にいた街を出た。正直戦いに疲れたし、まだ知らぬことが沢山あるならば、知らずに死ぬのももったいないと思った。旅を続け、いくつかの森を抜け、このアステルギア王国にたどり着いた。この地下道はアステルギアの王都とそれを囲む暗黒街を地下で繋ぐモノだ。表向き人が人に見せたくない存在をこの地下道を利用して移動させる。
だが私が住処としているこの地下道は、すでにそういった使われ方はしていない。なぜなら私達ネズミがこの地下道を制圧したことで、そうしたことが難しくなったからだ。こうして後ろめたい連中が消えると、暗黒街の小汚いヒト族達がここに住み着くようになった。雨風をしのげるかららしい。彼らは弱く、我々に対する敵意もないので私達も彼らを攻撃することもない。ただ同じ場所にいるだけだが、そういった日々が続いた。
ただ一緒にいるだけだが、そうしているとお互い警戒心はなくなってくる。我々に話しかけてくるヒト族も増えてきた。元々、殺し殺されたりの関係だったからヒト族は嫌いだったが、ここにいる者たちはあまりに弱く、我々が殺してきたヒト族たちと同じ種族には見えないほど、見すぼらしかった。同じヒトのはずだがどうしてこうも違いがあるのか? だがその理由もだんだんと分かってきた。彼らは勝手に身の上を話して俺たちに聞かせようとするからだ。
酷い王様、リーダーがいるらしい。元々住んでいたところを理不尽に追い出された、犯罪を取り締まろうとしたら貴族が関わっていて逆に罪をなすりつけられた、借金をしすぎて取り立てから逃げてきた、女房を取られて絶望したとか色々あった。色んな理由があるが皆元気がないのは共通していた。しかし、一人元気な者がいた。
「ピム! プリム! ペルム! マジか! オレはまだ終わってねーゾ……頭いいなぁ。ここにいるやつらのほとんどより頭いいんじゃネーの?」
いつの間にかヒトの子供から勝手に名付けられた仲間たちがいた。名付けられた三匹とヒト族の子供はどうやら算数の勉強をしているらしい。妻を寝取られて人生に絶望した男が元は商人だったらしく、子供が計算を教えろとせがんだようだ。そしてもらった宿題をネズミ三匹と共有し、切磋琢磨している。三匹が賢いのかそれとも子供の頭が悪いのか、三匹の方が子供よりも早く宿題を終わらせていた。
私はその光景を見て不思議な気分になっていた。子供も三匹も実に楽しそうにしていた。子供と三匹は仲が良い、しかし仲間ではない。それがどんな関係性なのか私には分からないが、良いものに見えた。私は彼らを観察するのが日課となっていた。
彼らは勉強だけでなく、入り組んだ地下道でかくれんぼをしたり汚水に潜む魚やカエルを釣って遊んだり、ボール遊びなどをしていた。この地下道は、ちょっと前よりも明るいものになった。辛気臭い話ばかりしていた大人の人々も、少しずつ明るい話をするようになった。
「なぁ、お前いっつもオレたちのこと見てるけどもしかして一緒に遊びたいのカ?」
っ!! 子供が私に話しかけてきた。一緒に遊びたいかだって? まぁ、興味がないわけじゃないけど……私が悩んでいると、三匹がネズミの言葉で「一緒に遊ぼうぜ! 親分!」と言ってきた。そこまでいうなら仕方がないよね!
「私はそこまで遊びたいわけじゃないが、そこの者たちが望んでいるみたいだし。私も君たちと一緒に遊ぼう! 今日は釣りか? それともボール遊びか?」
「オレたちがやってる遊びよくしってんだな? まーいいや、今日は粘土でドラゴンを作るぜ!」
「ドラゴン?」
「なんだドラゴン知らないのかよ? まぁオレも、ドラゴンの形は今日知ったんだけどナ。今日王都から来たゴミの中にボロい絵本があって、ドラゴンの絵があった! だからそれを見て作る! ……あれ? え? ってか、え? ね、ネズミが喋ってるぅーーーーーー!!!!!」
「なんだ、今更気づいたのかい? それはそうと、私もドラゴンには興味が出てきた。その絵本を一緒に見よう」
絵本の外装はボロボロだけど、中はそれほど汚くなかった。絵も文字もはっきり見える。思えば、私はこうして書物の物語を見るのは初めてだ。吟遊詩人達の歌で物語を聞いたことはあるけど、本は初めて。新しい何かを知ろうとして最初の街を飛び出したのに、何度も見かけていた本を、私は読もうと思ったことはなかった。
子供が拙いながらも絵本を読み上げていく。ところどころ詰まってよく分からないところもあるが、自分で読もうとは思わなかった。この子供よりも、周りの大人の達よりも、うまく読み上げることができるだろうと思った。だけど、なぜか子供が必死に絵本を読む姿を見ていたかった。
「暴れ竜のクランストラは満月になるといつも山の麓で癇癪をおこして、村のみんなを困らせていました。村人にはクランストラがなぜ暴れるのかわかりません。村人がクランストラに聞いても顔をそらして知らんぷりです。
────旅人の勇者ドランゼルグが村へ休憩に立ち寄りました。その日はちょうど満月、クランストラが暴れる日です。いつものように暴れるクランストラにドランゼルグは言いました。どうして暴れるんだ? クランストラは自分のことを全く恐れないドランゼルグにびっくりしましたが、すぐにうるさいと言ってドランゼルグを叩き潰そうとします。
────クランストラはすっかり疲れてしまいました。疲れて弱気になったクランストラは月を見て言いました。お母さん……と。お前は迷子なのかい? お母さんに会いたいなら一緒に探してあげるとドランゼルグはクランストラに言いました。するとクランストラは大泣きしてしまいました。クランストラの母親は、クランストラがまだ小さな頃、満月の夜に水の魔王に殺されていたのです。
会いたいけれど、会うことができない寂しさを、満月の夜はどうしても思い出してしまうから、クランストラは暴れていたのです。大泣きするクランストラにドランゼルグは言いました────
────……友達になって一緒に旅をするようになったクランストラとドランゼルグでしたが、水の魔王の罠に嵌って泡の魔法の檻に閉じ込められてしまいました。檻の中には何もありません。食べ物も飲水もありません。ドランゼルグもクランストラも何日も閉じ込められてやせ細っていきました。ドランゼルグは知っていました。自分の命がもうすぐ消えてしまうことを。ドランゼルグは怪我をしていたのです。
ドランゼルグはクランストラに寂しい思いをさせないために旅に連れ出したのに、また悲しい思いをさせてしまう。それが嫌で嫌でたまりませんでした。自分が死ぬことよりもクランストラが悲しむことと腹を空かせて死ぬのが嫌でした。ドランゼルグは言いました。クランストラ私を食べて生きろと。自分は直に死ぬからその死体を食べろと。お前の嫌いな満月の夜に、泡の檻は消える。これは人族用の罠だからだ。ドラゴンの方が人よりも体力があるからな。
クランストラは泣いて嫌だと嫌だと言うことをききません。ドランゼルグは言いました。私は死ねば夢を叶えられないと思った。だけどそうじゃない。お前が私と、お前の母の夢を繋ぐことができるから。死んでも夢は続く、お前が生きて皆を助けてくれ。他の勇者と一緒に水の魔王を倒して、平和を手に入れるんだ。
────水の魔王をクランストラと勇者トラーケンがついに倒した。クランストラはドランゼルグと母の願いを叶えました。もう月を見て泣いたりはしません。ドランゼルグとの約束を守り、旅を続けたクランストラの周りには、沢山の仲間がいたからです」
子供は最後まで絵本を読み切ると、うとうとと眠そうにしていた。けれど子供の表情はいつになく真剣だった。いつも馬鹿騒ぎして元気だけがとりえの子らしからぬ表情だ。
「ドランゼルグ、変な名前。勇者のくせに、簡単に罠にかかって、死んじゃって。後から出てきた勇者達よりも弱いじゃねェか!」
「君はドランゼルグは嫌いなのか?」
確かに不甲斐ない勇者だったけど、そこまで言うこともないじゃないかと思ったが、子供の表情はずっと複雑だった。
「いいや好きだぜ! 好きなのにこんなに弱くて死んじゃうのが嫌ダ! でも死ぬから好きで……オレ、嫌なやつかもしれないって……思ったから」
「そんな難しいことを言われるとは思ってなかったな……だけど、ドランゼルグは絵本を通して君に夢と願いを教えてくれたんだと思う。ドランゼルグは死んじゃったけど、誰かと誰かを繋ぐ勇者なんだ。弱くても大事な勇者、クランストラにとっては一番の勇者だ」
「ほ~~、オメェネズミなのに賢いなァ? でもスゲーなっと……く……──」
子供は疲れてそのまま寝てしまった。……楽しかったんだと思う。ドランゼルグはただ死んだだけじゃない、色んな意味を残した。そしてその意味は受け取る者の考え方次第で変わる。私は、一つの物語が色んな意味を持つこの現象を、とても気に入った。
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