〈その後〉インフルエンザと春の七草
トントントントン♪
トトントントン、トントントントン♪
包丁の音が鳴り響く。
田中先輩が、会社の流し台で何んかの葉っぱを切っている。なんだろう。草の匂いだ。
透明な手袋しているし、竹酢液とかと合わせて防虫剤でも作るのかな?
トトントントン、トントントントン♪
「何、やってるんすか? 草を切って、自然由来の虫除けとかですか?」
「草って、お前なぁ。これは食べもんだよ。食べもん。」
え?だって、葉っぱだけだよ。
まな板の上の草の山をじいっと見る。
「七草だ。ななくさ。」
「七草?」
「そうだ。お前、正月に休んだから、食べなかっただろ? 七草粥。これを食べると一年間、風邪をひかなくなるぞ。」
まじ?
迷信でしょ。
本当なら、全員、風邪をひかなくなるから、そもそもインフルエンザなんて流行らない。
僕は疑いの目を向けながら、その葉っぱを一枚摘まむ。
「じゃぁ、この葉っぱ、春の七草なんすね。」
「まぁ。全部は揃わなかったけどよ。」
まな板を覗き込むと、田中先輩からぐいっと包丁を渡される。
まだ、切っていない葉っぱがまな板の上で山になっている。
「教えてやるよ。ほれ。一緒に歌うぞ。」
「えっ?!う、うた?」
「ああ。」
「歌うんすか。何、それ。」
「知らねぇのか。」
田中先輩が、突然、歌いだした。
♪♪♪
七草なずな唐土の鳥と日本の鳥と渡らぬうちに
ととんとんとんとん♪
すととんとんとんとん♪
「唐土の鳥ってのは、中国からの渡り鳥だ。昔の人は、どこまで分かってたんだろうなぁ。インフルエンザなんて言葉はなかっただろうからなぁ。」
あ。あぁ、そういう意味か。
渡り鳥が来る前に、トントンと切るのか。
なるほどです。
昔の人は渡り鳥が感染症を持ってくるって、なんとなく知ってたのか。侮れん。凄いな。
「神棚の下で歌いながら切るんだ。そしてお供えと一緒に鍋に入れて粥をつくるんだ。ほら、鏡餅とかな。」
♪♪♪
七草なずな唐土の鳥と
日本の鳥と渡らぬうちに
ととんとんとんとん♪
すととんとんとんとん♪
「やってみろ。きっと、来年は、やらされるぞ。」
「えぇぇぇ。恥ずかしいし、神棚ないし、別に歌わなくってもいいんじゃないですか。切ればいいんですよね。」
田中先輩は真面目な顔をして
「何、言ってんだ。だから、お前は、なんども風邪をひくんだ。」
いや。いやいやいやいや。
絶対、関係ないでしょ。迷信だよ、迷信。
包丁を渡され、しぶしぶ見よう見まねでやってみる。
まあ、何度も風邪ひいたしね。
ととんとんとんとん♪
すととんとんとんとん♪
感染しないように、
切る切る切る切る!
トントントントン、切る切る切る切る!
切る切る切る切る!
なんだか楽しくなってきた。
トントントントン、切る切る切る切る!
葉っぱの山を切り終え、粥をつくり始めた頃、日枝さんが覗きに来た。
「おぉ。 やってますねぇ。」
日枝さん、いつも、ちょうどいい頃に来るんだ。
鍋の粥を覗き込むと
「粥に鴨肉を入れると聞いたんですが。」
田中先輩は頷いて、
「そうするつもりです。あぁ、鈴木には言ってなかったな。菅原さんにもらったんだ。鴨肉。」
「そうなんですか。」
ん?
あれ?
でも、七草粥って、普通は肉は入らないよね。
「狩猟期間も終わりましたからね。食べ納めですね。鴨は鉄砲でとったんですか?」
「いや。網猟だって言ってました。だからなのか、全く臭くないですよ。」
「そうですね。鉄砲は少し火薬の匂いが残ることがありますからね。まぁ。菅原さんなら、そんなヘマはしないでしょうが。昼が楽しみです。」
田中先輩も頷いている。
そうなのか。鉄砲の猟だと匂いが残ることがあるのか。
え?
でも、でも、でも、でも。
「田中さん、鴨って唐土から渡って来る鳥の一つじゃないですか。インフルエンザとか大丈夫ですか。また、感染しませんか。」
僕の問いに、二人が大きく溜め息をつく。
「お前、何を言っているんだ。前にも言ったろ。例え感染した鳥でも、食べたところでインフルエンザにはならないよ。狩猟読本を読み直せ。それに、お前、インフルエンザになってもねぇだろ。」
げ。そうでした。
「ははは。相変わらずですね。鈴木さん。心配なら、しっかり食べないと。七草のセリやナズナには、免疫力を高めて、風邪やインフルエンザを予防するビタミンが含まれているそうですよ。それにしても、昔からの風習には本当に驚かされます。」
確かにそうだ。
昔からの風習は意外に侮れない。
僕はうんうんと同意した。
「じゃ。鈴木さん。美味しいのをよろしくお願いしますね。皆、弁当も買わず、楽しみに待っています。鈴木さんは愛されキャラですね。」
愛されキャラって、なんすか?
それに、別に、皆で、粥を食べなくても良い気がする。皆は正月に七草粥を食べたんでしょ。
それとも、心配してくれたのかな。
いや。いやいやいや。
きっと、鴨肉を食べたいだけた。
そんな気がする。
・・・
でも、なんか、もう、今年は風邪をひけないな。




