第70話 白瀬上沼⑥
ガーを捕まえることはできた。できたが、そこからがまた大変だった。
さすがに全長2メートルこそはなかったが、小学5、6年生と変わらないくらいの大きさで、なかなか陸に揚げられない。水路の中では口を結わけず、ヒーヒー言いながら、何人かの手でやっと網ごと陸に引き上げた。
「こんなのがいるのか?」
ガーを囲みながら、誰かがが呟く。
いつの間にか近所の人まで様子を見に集まって来ている。
そして、陸に上げたガーを囲みながら、何故か全員が興奮していた。
ちょうど、そこに市役所職員が顔をだし、依頼主に「遅いぞ。今ごろ何しに来たんだ。」と、文句を言われている。市役所職員としては、別の用事を済ませてから駆けつけて来たのであって、決して誠意のない対応ではなかったのだが、いいとばっちりである。
「さて、この後、どうするか。特定外来生物だから許可なく飼育や運搬はできないが、殺処分をするためなら運搬することは許されている。ただ、運搬中も大人しくはしていないだろうから、この場で息の根を止めることができれば一番なんだが。」
田中先輩は何を悩んでいるんだろう。
「とりあえず、鈍器で気絶させることができれば、簡単に口を結わけますよね。僕、何か持ってきます。」
軽トラックに向かおうとすると、無言で斉藤さんに木材を渡される。網を押さえるために使っていたものだ。
えっ? 僕がやるの?
僕は自分の手に持たされた木材を見た。
そうだよな。お安くてもお金をもらっている以上、僕らがやらないと。仕事だ、仕事。
覚悟を決め、ガーに向き直る。
「じゃあ、いきます。せーの。」
ヒュッと風を切る音とともに思いっきり木材を振り降ろす。
ドスンッ。
音はしたし、当たった感触もあった。
が、ガーに何のダメージもない。なぜだ?
僕は、恐る恐る後ろからガーに触れてみる。
「カッチカチだ。なんだ、この硬さ。これ鱗? 鱗なのか?」
鱗が本当のワニのようだ。それも皮膚のように繋ぎ目がない。
今度は精一杯の力を込めて、木材を振りおろす。
ドスンッ。
案の定、ダメージを受けていない。
「こっちでやってみろ。」
田中先輩がショベルを差し出す。手入れしてあるから、刃先は包丁と同じだ。振り降ろしたら危ない。
ああ。血の海みたくねぇ。
田中先輩からショベルを受け取ると、目をつぶって振り降ろす。
ヒュン。
なんか、跳ね返された?
なぜ、切れていないんだ。
「やっぱりダメか。」
田中先輩の言葉に、「再度、やってみます。」と、大きく息を吸い込み、渾身の力で殴りかかる。
「イヤャァァアァ。」
バスンッ。
駄目だ。成魚になったら敵なしと言われるのも頷ける。生きたままトラックに乗せるのも大変そうだ。それに、暴れて荷台から落ちたら捕まえるのもたいへんだ。どうすればいい。どうすれば、息の根を止めることができるんだ。
一応、魚だよな。そうだ、魚だ。
「陸にあげて、しばらく放っておけば死にませんか。」
田中先輩に提案する。
「ガーは、浮き袋で空気呼吸ができるから、簡単には死なねぇぞ。それに放置して水路に戻られても厄介だ。」
「この寒さですよ。凍え死ぬんじゃないですかね。」
「ん~、どうだろ。そうだと良いが、成魚は寒さにも強いって聞く。白亜紀から生きているって言うから、多少の変化にはびくともしなそうだけどな。」
「白亜紀って何時代でしたっけ? 氷河期の前? 後? どっち? それって寒さで死なないってことっすか? 」
今は冬だ。考えてみれば、今、耐えられるなら一年中耐えられる。じゃあ、どうすれば殺処分できるのよ。
「埋めたら? 埋めたら窒息死しますよね。」
「鈴木さん、それはやめましょう。どんな寄生虫がいるかわかりませんし、もとの生態系に影響を与えたくありません。少なくても、ここで埋めるのはやめましょう。同じ理由で放置も駄目です。」
木山さんの言葉を聞きながら、市役所の職員がスマホを操作し、それらしきページを検索している。
「鋸で切ると殺せると書いてあります。」
「「のこぎり!?」」
まだ生きている魚を鋸で切るの? このまま?
痛がって、くねくね逃げるだろうから、あたり一面血の海だ。
自分の鋸をそんな使い方するなんて嫌だ。絶対に嫌だ。
自分の道具は自分の手足、そんな気持ちの悪いことはには使いたくない。刃こぼれするし、血で錆びる。ともかく嫌だ。その鋸を見るたびにこの状況を思いだす。
どうしたらいいのよ。
僕は、再度、ガーを見た。
「そこ! そこの人達! 何しているんですか?」
農道から、大きな声でこちらを呼ぶ声がする。
この間の警察官だ。車を停めてこっちに来る。
少し小走りだ。
はぁはぁ、息を切らしながら、
「皆さんで何をしているんですか? なんだか農道から見たら、集団で、何かを棒で殴っているように見えたんです。ちょっと、今、何をしてましたか。」
不味い状態だ。確かに集団でガーを囲い、棒で殴っていました。動物虐待と言われればその通りかもしれません。
警察官に隠しても仕方ないので、網に絡まったガーを指し示す。
「えっ?」
そりゃあ、警察官も驚くさ。口の形はほぼワニ、鱗もまさにワニ革です。
「きっと、これが、ワニの目撃情報の正体です。」
「こんなの放流する人がいるのか。信じられない。」
「特定外来生物なんで殺処分が原則なんですが、この鱗で云とも寸とも。どうしようか迷っていたところです。」
「そうですか。」
警察官も深いため息をついて、「状況はわかりました。皆さんも大変でしたね」と皆をねぎらう。
田中先輩が警察官にわからないように僕のほうを向いてニヤリと笑う。
ニヤリ?
「在来生物ではないので、もともとはペットだと思います。警察に遺失物として引き渡して良いでしょうか。」
田中先輩は丁重にお伺いを立てる。
「「イヤイヤイヤイヤ。」」
警察官はあわてて拒絶する。
「特定外来生物ですから、届けなくて支障ありません。このまま殺処分が適切です。」
「よろしいんですか? もし飼い主が・・・。」
「「イヤイヤイヤイヤ。遺棄されたものでしょう。」」
残念。でも、警察官の言質もとったし、堂々と殺処分できる。まあ、警察も遺失物として引き取っても、特定外来生物だから誰かに飼育は頼めないからね。
田中先輩は少し残念そうな顔をした後、
「はぁ。そうですか。実は、農道からも見えたと思うのですが、鱗が硬く苦戦しているんです。危険な生物ですから、このままにしておけません。もしよろしければ、私たちが持ち帰り殺処分しますので、縄で縛る間、抑えていただいても良いでしょうか。いくら棒で殴っても気絶しないんです。」
結局、屈強な警察官にも手伝ってもらい、上から押さえつけて、口にぐるぐる縄をかけ、さらに網をすっぽり全身に被せて、さらに縄で縛り、軽トラックまで一緒に運んだ。移動中も逃げないようにして運ばないといけない。
その様子を見ながら、依頼主が
「こういうのを放すのは犯罪行為だ。なんか取り締まることはできないのか。」と何度も警察官に訴えていた。
飼いきれないなら、ペットを飼ってはいけない。ガーなんて大型魚、飼育環境を整えるだけでも大変だ。水槽だって丈夫でないと割ってしまう。何も考えず飼いたい気持ちだけで飼って、飼いきれないから放すなんて最低だ。それが特定外来生物でなくても、しちゃいけない。
そういう身勝手に放流する人に限って、「自然の中で自由に生きさせてあげたかった」なんて、あたかも良いことをしたように語るんだ。いい迷惑だ。勝手に人の土地に放して、何が自由だ。
愛着がわいて殺したくないなら、むしろ、その時点で安楽死させてやれ。
こんなに囲まれて殴られる方がかわいそうだ。
ガーは会社に持ち帰り殺処分した。
汚れてしまったコンクリートをブラシで掃除しながら、まるで自分が血も涙もない殺戮者なったような、そんな気持ちになった。
<ガーの鱗>
ガーは特徴的な鱗を持っています。それはとても丈夫で、硬いエナメルのような象牙質の層とガノインと呼ばれる無機骨塩の層とででき、鱗同士が繋がっています。
ガーはあまり速く泳げず小回りの利かない魚で、見た目は怖いですが、自ら人を襲うことはないと言われています。




