第68話 白瀬上沼④
下草刈りは順調だった。むしろ、不法投棄の自転車やテレビを引っ張り出す方がよっぽど苦労した。
さすがに人の手で引っ張り出すのは難しいので、コンパネを買ってきて、それを湿原の木道のように敷き、その上を歩いて近づき、縄を括り付けて引っ張り上げた。しぶとい物は、車で縄を引っ張り、コンパネの上に引き上げた。支柱を立て方角をコントロールし、何度も失敗したが、コツを掴むと、それほど時間はかからなかった。
捨てられていたのは、自転車、テレビ(それもブラウン管)、大型の水槽、鞄や財布など様々だが、嫌になるほど多かった。特に、ペットボトルや空き缶は凄い量だった。
田中先輩が顔をしかめて「鞄や財布は犯罪の匂いがする。」というので警察に届けることにした。わざわざ沼の奥に財布を落とす人などいないだろう。確かに、窃盗犯が現金だけを抜き取り、盗んだ財布や鞄を見つからない場所に捨てたと考える方が素直だ。そもそも、自転車やテレビなどの不法投棄だって、十分に犯罪だ。
そういうことする人って、どんな神経してるんだ。許せん。
スケジュールどおり順調に作業は進み、今日は最終日だ。
今日は快晴、風も強くなく、小春日和だ。
僕らがが準備をするまでの間、木山さんは、火災や外来生物の生息域拡大によって、植生などに変化がないか観察すると言って、ひととおり沼を歩いて見回っている。
「晴れて良かったぁ。雨ん中、ぬかるみで作業なんて絶対に最悪だ。」
「本当だな。」
田中先輩、また思い出しましたね。哀愁が漂ってます。
「それにしても、上沼というのに、どうして下沼より下流にあるんですね。」
「昔っからそう呼んでるな。外から入って来た人は、不思議に思うみたいだが、そういうもんだと思っているから、何が不思議なのかわかんねぇ。ほら、お前の実家の近くの逆用水のように、昔は逆さに流れていたとか、意外と安易なもんさ。」
「何、言っているんすか。ここは湧水じゃないすか。逆用水とは違います。」
僕の実家がある県南部には逆用水と呼ばれている川がある。用水といっても川幅も深さも川と変わらない。九根川の支流だと誤解している人が多いが実は違う。洪水を防ぐため、江戸時代の灌漑工事で2本の大きな川を繋いだんだ。どちらか一方が溢れそうになると、もう一方に流れる仕組みになっている。だから、昔は本当に上流と下流がときどき入れ替わっていたらしい。
「ハハハハ。お。戻って来たぞ。木山さん。」
木山さんがスマホを片手に戻って来た。
「どうでしたか。何か変わったところがありましたか。」
「いやぁ。素晴らしいです。」
木山さんは興奮気味に話し始める。
「あちらにマツカサススキが残っていたんです。それも群生地です。この辺りでは全く見かけなくなっていたので驚きました。それにアブラガヤも。名前が出てこなくて、写真に撮ったから会社に戻ったら種類を調べます。アブラガヤの種類によっては珍しいものもありますから。ほかにも写真をたくさん撮ったんです。ああ。久しぶりに図鑑の出番です。今日は来て良かった。」
僕はよくわからなかったけど、それらは珍しいものなんだろう。
「また、後日、観察に来ることはできないでしょうか。もう少し調べたいんです。ああ。何故、私は望遠カメラを持って来なかったのでしょう。悔やまれます。」
木山さんは、とても名残惜しそうに溜め息をつく。
「そんなに珍しいんものなんすか?」
「この地域では珍しいです。もちろん日本の固有種です。人があまり入れない場所だから残っていたのかもしれません。」
田中先輩は少し悩んでから、
「まぁ。今日が終わって、事後確認に来るって理由なら、依頼主に言いやすいかな。」
木山さんの目がキラリと輝く。
「本当ですか。ありがとうございます。俄然やる気になります。」
木山さん、これまでにない溌剌な感じです。
道具を下ろしてから軽トラックを停めに行き、コンバネを敷いて道具を並べる。準備に手間がかかるが、準備ができれば、後は早い。
さっそく胴付長靴を着て作業を始める。冬場で水も少なく、水深はどこも膝下だ。川幅も広くない。タモ網を並べて歩けば、小魚さえも逃げ道はない。
農道は少し高くなっていて、水路が下をくぐるため柵がある。その柵からスタートし、下沼の取水口に向かう。水路に入るのは僕と田中先輩、木山さんは上からの支援部隊だ。
「さぁ、始めるぞ。」
タモ網を川岸のいかにも何かが隠れていそうな場所に近づける。ゆっくり揺らしながら、下流に逃げないように田中先輩と並んで進む。
川底に枯草がヘドロになって堆積している。歩くたびに水が濁り、独特の臭いが沸き上がる。
ちょうど三分の一くらい進んだだろうか、少しカーブになって水が淀み、草が覆いかぶさっている場所があった。こういった場所の川底の泥の中にカミツキガメが潜んでいることがある。慎重にタモ網で川底を確かめる。田中先輩には寒さで動きが鈍っている可能性もあるが、危ないから網で確かめてから手を出せと言われている。
網に何かが当たった。
なんかデカイ気がする。
何かがゆっくり向きを変えて上流に動く。
逃がしてなるものか。急いで網を被せにいく。
バシャバシャバシャバシャ、
水面に水しぶきが跳ねた。
デカイ、デカイ、デカイ!
何、コレ。
バシャン!
その何かは、水面を叩いて水しぶきを上げ、悠々と上流に泳いで行く。
魚か? でも、でも、あの黒い影は魚のフォルムじゃない。
まるで魚雷のような、そう、ワニ、ワニのようだ。
じゃぁ、本当にワニだったの!?
木山さんが、手を上げて僕らに合図をすると、慌てて追いかけて行く。
ただ、キョロキョロしながら、すぐに戻って来た。
「すみません。影を見失ってしまいました。」
水が濁ると影が見えなくなる。逃げ方も心得たものなのかもしれない。
それにしても大きかった。
僕は興奮してしまって、両手を広げ、
「何だったんだ。アレ。凄く大きかった。それに重たかった。何なんですか、アレ。こんな、こんなっすよ。マジ、ワニじゃないすか。ワニですよ。ワニ。」
田中先輩も上流を見て呆然としている。
「なんだ、アレ。ワニか? 本当にワニなのか?」
木山さんは上流の方角を見ながら渋い顔で訝しむ。
「ワニなら、今日みたいな晴れた日は、日光浴をしてそうなものです。私達が来る前から水に入っていたのでしょうか。大きな水音はしていません。ずっと静かでした。それに、今日、上沼を見回った限り、野鳥の死骸など補食した後はありませんでした。冬だから昆虫も少ない。あの大きさです。何を食べているのでしょう? カメ? 小魚?」
ワニ説には慎重だ。確かに、ワニなら今日みたいな暖かな日は日向ぼっこをしている気がする。
「餌か・・・。確かに、小魚かカメになるかな。今は冬場だから子ガメは少ない。それ以外だと、泥の中に潜っているヤツか。何かな。ザリガニあたりだろうな。全部、水ん中か。」
田中先輩がぶつぶつ呟きながら、ハタと思いつく。
「ガーだ。」
「蛾ぁ?」
「そうだ、ガーだ。ガー。アリゲーターガーかもしれない。」




