第55話 冬のカラス⑤
結局、僕は、鳥インフルエンザに感染したのではなく、麻疹だった。そして、薬を飲んで、御飯をきちんと食べるようになったら、嘘のように瞬く間に回復した。
あのカラスは高病原性鳥インフルエンザではなかった。簡易検査結果は陰性だったんだ。念のため遺伝子検査もすると言うが、こちらは結果がでるまで一ヶ月以上かかるらしい。県の試験場で農薬などの化学物質検査も行ったが、こちらも何も検出されなかった。回収されたカラスの胃の中が空っぽで、ほとんど胃の内容物の調査ができなかったらしい。
カラスに外傷はなかった。僕も現場にいたから、それは間違いない。
結局、今も原因はわかっていない。
僕は、初めて鳥の大量死に遭遇した。未だに思い出すとドキドキする。きれいな黒と白のコントラストが逆に気味の悪さを煽る。言い様のない恐怖とは、こういう気持ちを言うんだろう。
今日は久しぶりに出社する。
「おはようございます。」
一斉に、皆が振り向いた。
「おお。無事に生還したのか。」
治って良かったと、皆から声がかかる。
皆さま御心配をおかけました。
「元気になったか。良かったなぁ。俺は部屋に行ってびっくりしたんだ。潤んだ瞳でしがみついてきて『し、じぬ~』なんて言うから。」
「イヤ。すみません。本当に。頭も朦朧としているし、熱なんか出したことなかったから、わかんなくなって、もう、これはきっと、鳥インフルエンザに感染したんだ、カラスのようにこのまま死ぬんだ・・・。」
「バカか。」
恥ずかしい~。顔が赤くなる。
「いや。ホント、すんません。お騒がせしました。」
恥ずかしそうに頭をポリポリしながら、みんなにペコペコ頭を下げると、田中先輩はバカウケして、僕の真似をしながら揶揄う。
「ゴ、ゴホゴホ、ゴホ。ぎっと、僕は死ぬ。カラスのように死んでしまうんだ。って。お前、ドラマじゃないんだぞ。そんな簡単に人は死んだりしねぇ。医者にかからず、ぐずぐずしているから悪化すんだ。万が一、鳥インフルエンザに感染したところで、すぐに死なねぇぞ。それに、お前、そもそもカラスに直接触ってねぇだろ。思い込みで病を悪化させんな。もう一度、きちんと勉強しろ。」
狩猟免許の教科書の狩猟読本をどかっと置く。
そういえば、試験以来、開いてもいない。
冷静になれば、滅多に人間に感染しないというのはわかるんですが、あのときは僕にとっては有事だったんです。そもそも熱なんて出したことが久しぶりすぎて、もう、辛くって、辛くって、マジ、死ぬって思ってしまったんだ。
いやぁ。ホント、お恥ずかしい。
「まぁ。今週は、外回りはせずに大人しくしていろよ。」
そう言って、机の上の溜まった書類を滑るように僕の机に置く。
こ、これは田中先輩の仕事では?
目で訴えると、そしらぬ顔をして
「それにしても残念だったな。年始に山田課長とともにサヤカちゃんも挨拶に来たぞ。」
「え? マジ? サヤカちゃんが来たんですか?」
「そう。そう。しばらく見なかったろ。本社で研修してたって言っていたよ、」
そうなのか。だから、最近、会わなかったんだ。
会いたかったなぁ。
ふと、机の上を見る。
あれ?
錯覚かな?書類が増えていないか。
う~ん。
・・・。
やはり、書類が多くなった気がする。
まぁ。優しさ、優しさだと思おう。
「カラス、まだ、死因はわかってないんでしょう? 僕は、初めて鳥の大量死を見たんです。なんだかちょっと怖かった。」
僕は大げさに身震いしながら言う。ホント、不気味だった。思い出しただけでぞくぞくする。
「ああ。そうだな。ま、きっと、このまま、わからずじまいじゃないかな。」
僕は驚いて田中先輩のほうを見た。原因不明のままで終わるの? それで良いのか?
「え? そうなんですか。じゃあ、まだ、高病原性鳥インフルの可能性だってあるんじゃないですか。あんなたくさんいたんだ。全羽、調査していないでしょ。」
百羽なんて、絶対、個別に調査してないでしょ。
「いや。たぶん、それは全羽調査してるよ。前に聞いたことがあるんだ。ほら。あれだ。献血と同じ調査方式だって。大量死のときは、1羽ずつ検査するんじゃなく、5羽とか10羽分をまとめて1つのビーカーにいれて検査するだよ。どの鳥が感染したかを把握するじゃなくて、何かに感染しているかを確認することが大事だから。」
そうなんだ。確かに、10羽ずつだと10回の検査で済む。そのほうが、経費も安く済むし、早く結果が出る。
「じゃあ。本当に原因不明なんですね。」
「そうだな・・・。」
田中先輩は少し考えてから
「・・・。うぅ~ん。実はな。あんな見た目だけど、カラスって意外に環境変化に弱いところがあんだよ。正月休みが長かったから、餌になる人間の出すゴミがあんまりなかったろ。人の住んでいる所が大好きな鳥だしな。主要なエサ場は雪で埋まっていたし、貯食も、あんま、やってなかったか、雪ん中だったんじゃないかな。胃の中が空だったと聞いたから。空腹の上にこの寒さだ。耐えられなかったんだろ。」
空腹と寒さ・・・。それって、餓死または凍死ということだよね。自然界で餓死って多いのかな。イノシシの死因も餓死が多いって言っていた。あの丸々としたアザラシのようなフォルム、加えて、彼らは餌を貯食する習性を持っているし、学習能力が高い。カラスの餓死なんて、あまり想像できない。もしかして、餌が豊富な場所では、あまり貯食しておかないのかな。そこは学習してはいけない気がする。
カラスは、良くも悪くも、人間とともに生きる『里の鳥』なんだと痛感する。
「死因がわからなかったといっても、全部、検査したわけじゃないからな。もしかしたら、餓死や凍死でなく、本当に別の理由があるかもしれないしな。」
「え? さっき全羽調査するって言っていましたよね。」
「そっちじゃないよ。化学物質の方だ。まず、農薬が疑われるからリン系の物質が抽出されるかとか、比較的メジャーな化学物質に絞って検査しているはずだよ。全部の化学物質の調査はできないだろ。それこそ、金がかかりすぎちまう。」
なるほどです。原因は、きっとあるけれど、今回の調査ではわからなかった可能性もあるということか。
それにしても、カラスって太々しい印象だけど、環境変化に弱いのか。
じゃあ。氷河期になったら、真っ先に死んでしまう種類だね。温暖化の影響を真っ先に受けそう。
あ。その前に、人間が一番先に死ぬな。
数時間、屋上の寒さに晒されただけで麻疹になってしまうんだから。
それは僕だけか。
本当に辛かったんだよ。
その晩、テレビをつけたら、タイムリーにカラスに関わる都市伝説が放映されていた。
地震が起きる数日前に、カラスの群れが空をぐるぐる旋回していたとか、どこかの山が噴火したときに、噴火を予兆するかのように山にカラスが一羽もいなくなったとか、そんな噂話だ。
『今回のカラスの大量死は何の予兆か。信じるも信じないのもあなた次第』なんてキメ台詞で締めくくっている。
環境変化に弱い、変化に対応できない動物は、環境変化に敏感だ。すぐに引っ越ししないと生きていけない。
カラスが環境変化に弱い鳥だと知ると、何となく、その話が紛い物ではなく、真実のように思えてくる。僕たちに感じ取れない何かを敏感に感じ取ったのかもしれない。
むしろ、冷暖房完備の部屋に慣れ、環境変化に最も弱そうな僕らが、変化を感じ取れない方がおかしいんだ。
いつの間にか、カラスに対する嫌悪感は、不思議なほどなくなっていた。
<参考>
豚熱(豚コレラ)は、豚やいのししの感染症であり、人に感染することはありません。
高病原性鳥インフルエンザは、鳥インフルエンザのうち、高い致死性と感染力を持つものをいいます。なので、病害が低い低病原性のものもあります。一般的に鳥インフルエンザウイルスが人に感染することは極めてまれです。両方とも家畜伝染病予防法において指定された家畜伝染病で防疫措置をとることが決められています。




