第50話 キャリアウーマンのタカヨさん②
〈タカヨさん視点です。〉
私たちの高校は県下で一、二を競う進学校だった。その中でも、木山くんは常に上位の成績を修めていた。見た目は不器用そうなのに、なんでも器用にそつなくこなす人で、確か、お父様は県議会議員だったと思う。そんな旧家の家柄を微塵も感じさせない優しい人だった。
歌が上手くて、クラスメイトとアマチュアバンドを組んでいた。卒業して大学に入ってもバンドを続けていたと聞いた。そういえば、合唱コンクールのとき、課題曲とは別に皆で一曲選んだのだけど、確か木山くん達のバンドグループメンバーが合唱曲に編曲したんだった。なんだか大騒ぎして皆で練習したっけ。あの頃の楽しかった思い出が走馬灯のように駆け巡る。
思い出話に、連絡先交換、再会してから仲良くなるのに時間はかからなかった。
週末は二人でドライブ。車内で秘密のキスをした。
「誰も見ていないから大丈夫ですよ。」
なんて言うから笑っちゃった。
もう高校生じゃないのに、もういい歳のオジサン、オバサンでシングル、何も隠す必要もないのに、真っ赤な顔して、恥ずかしそうに秘密のキスだなんて。頬に触れた髭のそり残しがチクチクとくすぐったくって、何もかもが可笑しくて、また笑っちゃった。
すると、モモが尻尾を振りながら、私と木山くんの間に入ってきて、真似をして木山くんの口にチューをしたの。胸に足をかけて口をペロペロと舐めて、モモったら、甘えん坊さん。
それとも、モモ、私に焼きもち焼いているのかしら。
ふふふっ。モモ、私たち、ライバルね。
「私もモモに負けていられないわ。」
思わず口から言葉がでていた。木山くんは少し驚いてから楽しそうに笑って
「昔から頑張り家さんでしたが、そんなことまで頑張らなくていいんです。むしろ僕が頑張ります。」
彼にギュッと抱きしめられた。嬉しくて、ムズ痒くて、本当に幸せな幸せな気持ちになった。
ああ。神様。
どうか、もう少しだけ、もう少しだけ、この時間が続きますように。
今週は遅番だから会えないと伝えたら、朝早く、犬の散歩に付き合ってくれることになった。「せっかくだから久しぶりに和祀神社に行こう。もう、紅葉は終わってしまったけれど、とても雰囲気が良かったよ。」って言って。
和祀神社か。懐かしい。大学受験のとき以来だ。
当日は、とても寒い底冷えのする朝だった。吐く息も白く、御池の水は淵にそって凍っていて、薄氷に不思議な模様があった。雪の結晶とも少し異なる模様に朝日がキラキラ反射する。池全体に太陽の光がキラキラ降りそそぎ、真っ白な靄が立ち上がっている。池には鏡のように空が映りこんでいる。まるで空に浮かぶ雲を池に落としたような幻想的な風景だった。これが現実の世界とは思えなかった。
木山くんが、今度、この神社の御神木の仕事をするんだって説明してくれた。
「凄いわ。」
彼は真っ赤になって照れ、寒さで鼻の先まで赤くなりながら、なんだか一生懸命に神社の説明をしてくれた。ふふふっ。可笑しい。知ってるわ。私の地元だもの。ふふふ。
ひんやりとした風が雑木林を吹き抜ける。湿った冷たい風はイタズラをするように木々の間を旋回して葉音を立てている。そして、ぶるっと震える私たちの横をすり抜け、池の上に到着すると、風はまるで靄で遊ぶようにくるりくるりと池の上で円を描く。うっすらと辺りを白くしていた靄は真ん中に集められ、そのまま上昇気流に乗って空高く消えていく。まるで、白く長い、長い尾を引く鸞のように。
なんて美しい。
心の中のぐちゃぐちゃした気持ちが、すぅっと綺麗に綺麗に洗い流されていく。
本当に美しい。
ああ。きっと神様は私を見ている。
このとき、そんなふうに感じた。
ああ。
病気のことを木山くんに伝えなければ、このまま何も言わず付き合ってはいけない。木山くんにきちんと言わなければ。薬の影響で子どもを授かるのが難しいかもって。いつかは言わないといけないことは分かっていたの。伝えたら、きっと、木山くんは優しいから私を気づかってくれるだろう。本当の気持ちは上手に隠して。
私はそれに耐えられるかしら。
この幸せが終わってしまうかもしれない。そう思うと、ただただ涙がでた。
ああ、神様。
あと少しだけ、あと少しだけ、彼と一緒の時間を過ごさせてください。あと少しだけでいいから。
木山くんは私が泣いているのを見て少し驚いたようで、顔を覗きこんで心配するので
「あまりに綺麗で、感動してしまったの。」
と言って誤魔化した。
「本当に綺麗ですね。」
木山くんは、ギュッと肩を抱き寄せてくれた。とても温かくて暖かくて、また、涙が止まらなくなった。




