第44話 イノシシ⑤
夕飯こそ肉。肉だ。絶対、肉。
甘じょっぱいタレつけて、御飯にしみしみさせてガッツリ食べるんだ! そして、汗かきながらごくごく冷えた炭酸を飲む。決まりだ。
ビーィン、ビーィン。
ビーィン、ビーィン。
腰を少し落とし、ふらつかない様に安定させながら草刈り機を左右に振る。音が大きいから、ご近所さんの迷惑にならないよう日が暮れたら使えない。暗くなって来たし、そろそろ片付けないといけない時間だ。機械でできる場所をできるだけ先にやろう。
パタパタと子ども達が騒ぎながら走ってくる。暗くなってきたし家に帰るのかな。
ビーィン、ビーィン。
ビーィン、ビーィン。
草刈り機の独特の金属の回転する音が響く。その音が子ども達の甲高い声を掻き消していく。
田中先輩が何か手で合図している。
何?
草刈り機のスイッチを切る。
「なんですか?」
「取り敢えず、それを地面におけ。早く!早く!」
田中先輩が大きな声で叫ぶ。
草刈り機を地面に置き、先輩が指差す方向を見やる。
バタバタバタバタ。子ども達の激しい足音がする。
「「「ギャァー!」」」
悲鳴だ。走りながら騒いでいる。
どうしたんだ? 遊歩道をすんごい勢いで走ってくる。
!
子どもの前に何かいる。
「あ¨あああああああああぁー!」
イノシシ!
イノシシが突進してくる。ヤバヤバヤバヤバ。子ども達の悲鳴でイノシシはパニックだ。
ダダダダダ、ダダダダッ。 泥を蹴り上げ突進してくる。
来んな! こっちに来るな!
「早く来い!」
田中先輩が僕の袖を引っ張る。ぐいっと引っ張られ、尻餅をつきながらも四つんばいで後に続く。刈り取った雑草のゴミ袋はそのままだ。田中先輩はバタバタバタバタとわざと音を立てる動きをしている。
「フブ、フゥ、フゥ、フ。」
イノシシが僕らに気づいた?!
さらにパニックになり、用水路に飛び込むと、バシャバシャと、泥まみれになり、至るところにぶつかっている。そして、草を脚で掻き寄せ、強引に陸にあがった。
「フブ、フブ、キュイ~ン」
そのまま川に向かって一直線、鼻息荒く走り去った。
あっという間だった。
「はぁ~。」
田中先輩が体の力を抜き、大きく息を吐くと、地面に座ったままの僕の肩を叩いた。
「良かったよ。バニクって草刈り機をブンブン振り回されたらと危ねェと、冷や汗をかいた。吹き出す血の雨。広がる血の海。それも子ども達の目の前での惨殺。ギェ~。こえ〰️。」
やべぇ。マジ、やってたかも。こわっ。
「ほら。立て。」
田中先輩はそう言って手を出して立たせてくれた。
「シャツしまえ!ヘソがでてるぞ。世話が焼けんなぁ。」
「あ。すいません。」
僕は泥だらけのズボンをポンポン叩いてから、慌ててズボンにシャツをしまう。
「イノシシは目が良くないんだ。突進してくるとき本当に前に何があるか分かってないことがあるんだ。次、気をつけろ。冗談で言ってるんじゃねぇぞ。本当に怪我すんぞ。」
田中先輩は冷静に市役所と会社に電話で状況を報告する。そして、次に猟友会会長に電話して詳しく説明した。会長さん達が少しその場で待っていてくれというので、片づけをしながら待っていた。
遭遇したイノシシは大きかったが、丸々太っている感じではなかった。田中先輩の話では、雄は雌を探して食う間も惜しんで繁殖行動をする。げっそり痩せてしまうこともあるんだという。ちょうど繁殖期だ。だからかな。むしろ、痩せていたように思う。あの目が血走った必死な表情が忘れられない。
しばらくすると、県の猟友会会長と地区の会長が来て、二人の現場検証が始まった。すぐに日暮れだったので、僕らのいた場所しか確認しなかったが、状況確認後、2人で簡単にイノシシのストーリーを確認していた。
イノシシは何かの拍子で住宅街に迷い込んだ。屋敷林に潜り込んだが、このあたりは防風林を兼ねているから木々が屋敷に近い。常に人の気配と何らかの音がする。そして、ときどき犬もいる。バイパスに平行して走る市道は抜け道となって頻繁に車が走る。朝早くから鉄砲の音もする。ビクビクの毎日だ。
美味しそうな匂いはしても餌は少ない。早くお気に入りの場所がある河川敷に帰りたかった。河川敷に戻るためには、川と住宅街の間にある小さな用水路を渡らないといけない。臆病なイノシシは、そのちょっとの距離を渡れない。だから、用水路(遊歩道)に沿って歩いていた。
台風のときは、あんなに泳いでいたから水が好きなのかと思っていた。大人なら飛び越えられるほどの用水路を渡れないほど、そんなに臆病な獣だったのか。
太っていなかったと伝えたら、繁殖期だからかもしれないが、単純に餌をとれなかったかもしれないと言っていた。
「弁当食べてたんじゃないんですか?」
「捨てられた弁当の食べかすは、そんなに量は入ってないだろ。」
確かにそうだ。匂いにつられてきても、満腹になるほどの量はない。ご飯つぶと飾りのレタスくらいた。
「屋敷林のどんぐりとかは?」
「このあたりは敷地を高くしている家が多いから、河川側に塀があるだろ。ほとんどの屋敷に入れなかったんじゃないか。臆病な獣だしな。」
確かにそうだ。川が近いから、土を盛り、土地を高くして屋敷を立てている。そのため、土が崩れないように敷地を塀で囲んでいる家が多い。囲んでない家も、垣根などで土が崩れないようにしてある。
餌をとれなかったんじゃ、今後、住宅街にはあまり来ないだろう。そうだと良い。
イノシシ。河川敷に帰ることができて良かったな。
あ。でも、今は狩猟期間だ! 鉄砲で撃たれてしまうかもしれない。やはり、河川敷もイノシシにとって安全な場所ではない。
そんなことを言ったら会長達に笑われた。
「こんなところでイノシシ猟なんかしないよぉ。そんなことしたら警察に捕まるよ。」
よく意味が分からなかった。九根川は鉄砲を撃てる場所だ。
「鉄砲は遠くまで弾が飛ぶ。地面と平行に撃ったら向こう岸の人に当たんで。危ねぇで。だから、撃てねぇ。河川敷の藪にいるぶんにはイノシシは安泰だ。」
「そうしたら、イノシシ、増えちゃいますよね。子だくさんの獣だし。」
「ははは。そうだなぁ。ちっとんべぇずつ増えるかんもな。まぁ、でも沢山にはなんねぇ。」
「増えないんですか?」
「イノシシの子どもは半数以上生きられねぇ。ここらは豊かな森でもねぇでぇ。きっともっと死んどる。最も多い死因は餓死だな。餓死。」
「そうそう。だから増えたら勝手に淘汰されるよ。そんなに食いもんがないからな。」
餓死? この飽食の時代に餓死?
テレビで見る山の中のイノシンは丸々太っているよ。がっついていて餓死するイメージはない。
貪欲なのは餓死したくないから?
食べ物を余るほど持っているのは人間だけなのか。
「人間の食いモンに手をだしてねぇうちは、激増なんてしねぇで。」
だから痩せていたのか。イノシシ。
ここでも人間なのか。
会長さん達と別れたのは、暗くなってからだった。
作業で疲れていたし、なんとなく焼肉屋に行く気持ちにもなれず、そのまま家に帰った。
差し入れで残ったサンドイッチは、ぐちゃっと潰れて変形し、脇から具のタマゴがはみ出ていた。明らかに不味そうで、生ごみとして捨てようかと思ったが、なんとなく捨てちゃいけないような気がした。だから、サンドイッチを開き、チーズを上に乗せて、アルミフォイルを敷いてトーストした。少しポソボソしていたが、塩味のきいたタマゴサンドは、チーズをのせると味付けのマヨネーズと良くあった。
だけど、なんだか、ちょっともの足らなかった。
やっぱり御飯を食べたかったな。
でも、今から作るのは面倒くさいし、今日はイノシンの気持ちになって我慢しよう。
山では、農作物を荒らすイノシンだけど、ほかの場所はどうなんだろう。
もしイノシシが一頭もいなくなったら、どうなるんだろう。




