夜会で
三か月ぶりの夜会。
期間にしたらそんなに時間が経っていないけど、とても久しぶりのような気がしている。不思議なことに嫌なことしか覚えていないのに、さほど辛さは感じなかった。
馬車から降りて、ぼんやりと王城を見ていれば、リアム様が手を取った。
「気分悪い?」
「大丈夫よ。ただなんか不思議な感じがあって」
「それは良かった。きっと疲れが取れているんだよ」
疲れと言われて、ほろ苦く笑った。
「今はあの生活が異常だとわかるわ」
「はは。それは良かった。さあ、行こう」
リアム様にエスコートされて会場に入る。会場にリアム様と一緒に入ると喧騒がぴたりと止んだ。お喋り好きな貴族たちはわたしたちの方を見てあんぐりと口を開けている。そして、側にいる人と、再び何やら話しだしている。
「どこか変かしら?」
「変じゃないよ。クローディアが美しくなったからびっくりしているだけだ」
「もう! こんな時まで揶揄わないで」
小さな声で抗議すると、リアム様は笑った。
「本当なのに」
「そういうリップサービス、いりません」
リアム様の屋敷にいた時と変わらないやり取りをしていると、道を塞ぐ影ができた。思わず足を止めれば、視線の先にアマーリエを連れた殿下がいる。
思わず視線が下がった。ぐっと腕を強く掴まれる。
「顔を上げて。大丈夫、心配いらない」
久しぶりのリアム様の熱のない言葉にぴりっと気持ちが引き締まる。そうだ、リアム様は仕事の時はこうした感じだった。ここでの振る舞いは仕事なのだ。大きく息を吸って、気持ちを切り替える。
「お久しぶりでございます」
リアム様がそう挨拶するのに合わせて、わたしも膝を折り挨拶をした。殿下はわたしの方へちらちらと目を向けてくるが、特に話すこともないので気が付かないふりをする。にこやかな笑みを貼り付け、アマーリエを観察した。
婚約破棄の場所にいた時よりも精彩に欠け、全身から疲れが滲んでいる。肌の張りはないし、目もどこか虚ろ。化粧で誤魔化しているが、うっすらと目の下のクマが透けて見えた。
きっと彼女なりに慣れない仕事を頑張っているのだろう。婚約者として与えられた仕事をしていた時のことを思い、思わず同情した。
「アマーリエ、疲れているみたい。あまり無理をしないでね」
「お異母姉さま」
アマーリエが憎々し気な目を向けてくる。そんな目を向けられる意味がわからなくて、目を丸くした。
「ああ、そうね。わたしのように無能だと言われた女に同情されたくないわよね。ごめんなさい、気が利かなくて」
失敗したと素直に謝る。こういうのは後々まで言われかねないから、謝る時は素直が一番だ。
「お異母姉さまは」
絞り出すようなアマーリエの声に首を傾げれば、アマーリエが大声を上げた。
「本当は自分よりも能力がない癖にと思っているのでしょう! お異母姉さまはいつだってそう。わたしのことを馬鹿にして!」
「ええ?」
突然噛みつかれて、のけぞった。困ったようにリアム様に助けを求めれば彼は彼で面白そうな顔をしている。あ、これダメなヤツだ、と思い至った時にはすでに遅く。
「どれほどクローディアが素晴らしいか、理解したようだ。そもそも比べるのもおこがましい」
「リアム様」
笑顔で毒を吐いたリアム様を慌てて止めた。リアム様に煽られたアマーリエはさらに声を荒げた。
「どうしてお異母姉さまばかり恵まれているの? 能力だけじゃないわ、殿下に捨てられたのに、どうしてリアム様にエスコートしてもらっているの!? そんなのズルいじゃない」
「アマーリエ、ちょっと落ち着いてちょうだい。一体何の話をしているの?」
「どうせわたしは勉強も魔力も碌なものじゃないわよ。努力も大っ嫌いだしね」
夜会が始まる前に何の暴露をしているのだろう。
何かを言えば、それ以上に激高してしまう。流石にこれ以上暴露するのは本人のためにはよくない。仕方がなく口を閉ざした。
訳がわからないまま、話の中心になってしまって戸惑っているうちに、殿下がさっと近寄ってきた。婚約者であった時、距離を詰められた覚えがないので思わずリアム様を盾にするように後ろに隠れる。わたしのことなどお構いなしに、殿下はどこか高揚した顔で話し始めた。
「クローディア。君の素晴らしさはこの三か月で理解した。私の婚約者に戻ってきてくれないか?」
「殿下?!」
アマーリエが悲鳴を上げた。殿下はアマーリエにふんと鼻を鳴らした。
「仕方がないだろう? 君は自分がクローディアよりも魔力の量が多いというから婚約者として認めてもらえたんだ。それなのに、ごく普通の貴族令嬢以下だなんて」
まあそうだろうな。
幼い頃の測定結果を知っているわたしとしては驚きはないけれども、恥ずかしげもなくよりを戻そうとか意味がわからない。
アマーリエもアマーリエだが、殿下も殿下だ。周囲を気にすることなく、二人はぎゃんぎゃんと騒いでいる。話の内容は恥ずかしいものばかりだ。
居心地悪く立っていれば、リアム様にぐっと腰を引き寄せられた。
「殿下、申し訳ございませんが、彼女はわたしの婚約者になりました」
「は?」
「女性としては生きてはいけないほどの傷となる婚約破棄をされたのです。陛下が心配をされて、私との縁談を用意されたのです」
ちくちくと棘をまぶしながら、リアム様が麗しい顔に笑みを浮かべる。だがその笑みは最近見慣れた甘さのあるものではなくて、仕事中の顔だ。要するに冷たい。極寒にいるみたい。
「陛下が……だがクローディアもすぐに次の婚約者をあてがわれても」
酷いことをされているから救ってやろうみたいな雰囲気を作り出してきた。これはちゃんと振り払っておかないと大変だ。
リアム様の真似をして、気取った笑顔を作った。
「リアム様には殿下と婚約中から仕事でお世話になっておりました。とても信頼している方から、結婚してほしいと申し込まれて。夜会の皆様のいる前で無能と烙印を押されてしまったので、この結婚を受けてもいいのか悩みましたけれども……」
意味ありげにリアム様と見つめ合う。リアム様は先ほどとは違って、甘く溶けた目を向けてきた。
人の目のある所で、色気のある眼差しを受けて途端に顔が熱くなる。慣れたと思ったけれども、全然ダメだ。恥ずかしくなってきた。
面白がっているなと悔しく思っていると、別の方から名前を呼ばれた。
「クローディア! 会えてよかったわ!」
いつもの悠然とした態度ではなく、転がってくるような慌ただしさで王妃陛下が飛び出してきた。まだ夜会の挨拶も終わっていないうちから王妃陛下が姿を現したことで、静かにこちらの成り行きを見守っていた周囲もざわついた。
「王妃陛下」
声をかけてみたものの、王妃陛下のあまりの変わりように絶句する。
年齢など感じさせないほど瑞々しい美しさを誇っていた王妃陛下だったのに、肌はくすみ、目じりと口元にくっきりと隠しようのないシワができていた。化粧も厚塗りだ。十歳……いやそれ以上にふけた印象がある。この三か月で何があったのだろう。
「ごめんなさい、ごめんなさい。あなたがどれだけ頑張ってくれていたのか、よくわかったわ。だから、すぐにでも戻ってきてほしいの。もうこれ以上、あなたなしで仕事をするのは無理だわ」
ぽろぽろと涙を流し始めたので、ぎょっとする。リアム様をちらりと見れば、彼は気が付かれない程度ににやにやとしていた。どうやらリアム様は王妃陛下のこの状態を知っていたようだ。でも、わたしもあの生活に戻るつもりはない。
「……能力を認めてもらったのは嬉しいです」
「じゃあ、戻ってきてくれるのね?!」
「申し訳ございません。わたしはリアム様と婚約をしたので、これから公爵夫人としての勉強のため公爵家の領地に呼ばれております。なので、皆様のお役には立てないかと」
王妃陛下が悲痛な声を上げた。縋るような目を向けられるが無理なものは無理だ。
「何を騒いでいる、みっともない」
騒ぎを聞きつけたのか、陛下がやってきた。リアム様と一緒に深くお辞儀をする。
「ああ、楽にしてよい。夜会の始まる前に何たる騒ぎ。もうお前たちは引っ込んでおれ」
呆れたように三人を見て、護衛騎士に指示をした。殿下が慌てて陛下に詰め寄る。
「父上、待ってください! せめて私の婚約者にクローディアを戻してください!」
「ねえ、わたしを捨てるつもりなの!? あんなにもお異母姉さまを馬鹿にしていたくせに!」
「お前は黙っていろ!」
アマーリエも交ざり、またもや大騒ぎだ。陛下は疲れたようにため息をつくと、騎士たちが動いた。二人は騎士たちに押さえ込まれ、会場を後にする。
「陛下、お願いです。せめてクローディアに仕事を手伝ってもらえるようにしてください」
「王妃よ、それはできない。お前自身の仕事ではないか」
なりふり構わずなのは王妃陛下も一緒のようだ。こちらも騎士に付き添われて、会場から退場した。
陛下の合図とともに、音楽が奏でられ、夜会の開始が告げられた。ざわついた空気はすぐに消えた。元の夜会らしい華やかさが戻ってくる。
リアム様がわたしとの婚約を報告すると、陛下は優しく微笑んだ。
「おめでとう。リアムならきっと幸せにしてくれるだろう」
「ありがとうございます」
心からの祝福に嬉しい気持ちがこみあげてきた。
「まさか王妃も王子もクローディア嬢にあれほどの仕事を押し付けていたとは。私が気が付かなかったことで、いらぬ苦労を掛けたな」
「陛下」
「リアムの母は私の妹だ。何かあれば、彼女に告げ口をすればいい。大抵のことは追っ払ってくれるはずだ」
まだ手紙のやり取りしかしていない公爵夫人のことを持ち出され、困ってしまった。黙ってしまったわたしの代わりに、リアム様が如才なく答える。
「心配しなくても、私が彼女を守ります」
「そうか、二人とも幸せにな」
とりあえず、無能の撤回と婚約の報告が終わった。リアム様と一緒に陛下の前を辞する。ほっとしたのか、一気に体から力が抜ける。リアム様が危なげなく抱き寄せ支えてくれた。
「ありがとう」
「折角だから、踊ろうか」
「足が動かないかも」
「寄りかかっていればいいよ」
リードを任せて、ダンスを踊る。
「陛下はどうして三人を止めなかったのかしら? 醜聞になるのはわかっていたのに」
「君の名誉を回復させるためだよ」
「……脅したの?」
にっこりとほほ笑まれて、それ以上は聞かなかった。
◆
リアム様と結婚してからほどなくして、王太子の発表がなされた。順当に行けば第一王子であったが、第一王子は過労で療養することが決まり、妻になったアマーリエと共に辺境の地に移るらしい。王妃陛下も過度の疲れから寝込みがちになり、療養のため王都を離れるそうだ。
ちなみに、わたしの実家である伯爵家は遠縁に代替わりした。アマーリエの能力について正しく伝えていなかったということで、お父さまと後妻は罪に問われたのだ。家を取り潰されてもおかしくなかったけど、わたしの実家ということでの措置のようだ。別に潰してもよかったのに。
そして、わたしは何故か王太子妃として城の執務室にいる。
「どうしてリアム様が王太子になっているのかしら……」
「他の王子たちがまだ成人していないことと、みんな王太子になるのを嫌がったからね」
「……」
そりゃあ、まだ成人していない王子たちに現実を知ってもらうためと執務内容を滾々と説明すれば、皆逃げ出すだろう。仕事の一覧表を片手に山のような書類を見せ、さらには魔法道具に魔力を込める量を実感させたのだから。何よりも、激務による過労で三人が療養している。
「側近も補佐も文官もいるのだから、上手く使えばいいだけなのにな。誰も一人でやれとは言っていない。魔力だって足りないなら、条件をよくして人を多めに雇えばいい」
にこやかに言うリアム様は絶対にわかっていて脅したのだろうと思う。小さな王子たちはリアム様に懐いているし、きっと大きくなったら手助けになるだろう。
「クローディア、そろそろ休憩しよう」
「そうね、でも切りがいいところまで」
「ありきたりな言葉だが、君は一人の体じゃないんだ。大切にしないとね」
胡乱な目を向ければ、リアム様はキラキラ笑顔を見せた。
「なんだろう、騙された感じがすごくする」
「そうかい?」
「でも幸せみたい」
今までの努力によって身に付けたことは役に立っている。仕事はそこそこの量で、そして何よりもリアム様とずっと一緒にいる。守られている、とふと足を止めた時によく感じるようになった。
リアム様は立ち上がるとわたしの手を取った。
「守っているだけじゃないよ。俺もクローディアに支えられている」
「そうかしら? 想像していた王太子妃よりもはるかに楽させてもらっているけど」
よくわからないけど、本人が言うのならそうなんだろう。
「よっこらせ」
大きなおなかを持ち上げるように立ち上がると、リアム様が笑った。
その笑顔が嬉しくて、わたしも笑った。
Fin.
最後までお付き合い、ありがとうございました!
誤字脱字報告もとても助かりました。いつもありがとうございます(人´∀`)




