王子の疑念2
「お待ちしておりました」
魔術師団長の執務室に直接行けば、平坦な声がかけられた。この男は面白みのない奴で、感情が見えることがほとんどない。城に勤めている魔術師のほとんどが感情を見せないが、魔術師団長は最たるものだ。いつ対面しても気味が悪い。
心の中の気持ちを抑え込みながら、こちらも淡々と対応する。
「彼女はアマーリエだ。クローディアの仕事を引き継ぐ」
「初めまして、アマーリエです。姉よりも自信がありますので、どんどん頼ってくださいね」
にこやかに挨拶するアマーリエにキスをしたくなる。クローディア以上のことを引き受けるなんて、素晴らしい。クローディアはいつも仕事が終わらず翌日まで積んでいたが、アマーリエには余裕で処理できるのだろう。
「ほう。クローディア嬢以上ということですかな?」
「はい! 任せてください」
アマーリエはにこにこと笑みを浮かべて頷いた。魔術師団長は部屋の隅に控えている補佐を呼ぶ。どこにでもいる中背中肉の男で、ぱっとしない男だ。この部屋にいることすら気が付かなかった。
「アマーリエ嬢にクローディア嬢がしていた仕事を説明してやってくれ。殿下は――」
「私は彼女の付き添いだ。初めてだから、一人だと心細いだろう」
「そうですか。でしたら、殿下もご一緒にどうぞ」
補佐がそう言うと、私たちを結界を管理している部屋へと誘った。アマーリエはこういう場所が初めてなのか、興味深そうにきょろきょろしている。
「アマーリエ、きょろきょろすると危ない」
「ああ、ごめんなさい。初めてで」
「面白みのないところだ。さっさと仕事をして私の執務室に戻るぞ」
「頑張ります!」
アマーリエは気合を入れるように両手を力強く握りしめる。
「こちらです」
「なんか思っていたのと違う」
案内された部屋に入って、アマーリエは呟いた。その呟きに、思わず笑う。
「何もない場所だ。あるのは魔法陣と装置だけだ」
「そうなんですね。とても重要な場所だと聞いていたので、もっと荘厳な場所かと」
「ここは王族と選ばれた者しか入ることができない。だからいいんだ」
「わたしも選ばれたということですね」
選ばれたことが嬉しいのか、頬を染めて頷いている。私は側に控えている補佐に声をかけた。
「それで今日はどの装置に魔力を込めればいいのだ?」
「ご婚約者さまはそちらの青の装置に魔力を込めてください」
「他の装置はどうするんだ?」
「余裕があれば、お願いしたいところです。半分も入っていないのですぐに切れてしまうので。それで、ご婚約者様に説明は……」
「私がするから、不要だ」
何をするのか理解できていないアマーリエの手を取ると、青の装置の前に立つ。
「これは?」
「これが国の結界を作り出しているんだ。膨大な魔力が必要で、定期的な補充が必要になる」
「まあ、重要なお役目ですね」
その通りなので頷く。そして、青の装置に魔力を込める方法を教えた。真剣に聞いていたアマーリエはわからないところを何度か質問してくる。きちんとわからないところを恥ずかしがらず質問してくる姿勢は好ましい。
「やれるか?」
「大丈夫です!」
アマーリエは青の装置にそっと触れた。手順さえ理解できれば、魔力の補填はさほど難しいことではない。ただ慣れないうちは魔力を抜き取られる感覚が馴染みのないもので、気分が悪くなることがある。
アマーリエは弾かれたように触れた手をすぐに離した。あまりにも早く手を離したので、びっくりする。
「どうした?」
「え、あの抜き取られる感覚がちょっと」
「ああ、そういうことか」
アマーリエは今まで普通の令嬢として生活していた。魔力を抜かれる機会などほとんどないだろう。アマーリエは触れていた方の手を守るようにもう一つの手で包み込んでいる。
「こればかりは慣れるしかない。もう少し長く触れてほしい」
優しく促したが、アマーリエは顔色悪く左右に首を振るばかり。
「アマーリエ。気持ちが悪いかもしれないが必要なことだ」
「で、ですが」
優しく諭しても、アマーリエは青の装置に触れようとはしなかった。何度も何度も重要性を説いたが、義務感よりも恐ろしさの方が先に立っているようだ。
「殿下」
「なんだ」
「初めての方が恐ろしいと思うのは仕方がないと思います。今日は殿下に補充していただいて、また一週間後にお願いするのはいかがでしょう」
「しかしだな」
納得できなくて唸ったが、アマーリエが縋るような目を向けてくるので仕方がないと呑み込んだ。青の装置に手を置けば、ぐっと魔力が抜かれた。いつも以上の引き込みに、舌打ちをする。
「どういうことだ。ほとんど空じゃないか。ちゃんと管理されているのか?」
「空ではありませんよ。先日王妃陛下が補充してくださったので、まだ半分ほど残っております」
「は? では、なぜこの青の装置はこれほどまで魔力を吸い出すんだ」
補佐は何でもないことのように肩を竦めた。
「容量が大きいのは当然です。この青の装置は王妃陛下でも一度に補充できません。クローディア嬢が一度に補充できるので、だいぶ前に担当を交代したのです」
「……ちょっと待て。ではこの青の装置は膨大な魔力を必要とするということか」
「そうですね」
早く魔力を注げと言わんばかりの態度に、イラつく。だが、このまま放置することもできず、しぶしぶと装置に魔力を注いだ。
クローディアが同世代の中でも突出した魔力を持っていることは知っていた。ちらりと、アマーリエを見る。アマーリエは本当にクローディア以上に魔力を持っているのだろうか。よく考えてみれば、きちんと測定した結果を知っているわけではない。アマーリエと伯爵夫妻がそう言うから、信じただけだということに初めて気が付いた。
魔力を抜かれることで体が重くなるが、倒れる前に完了した。
モヤモヤする気持ちを抱えて、アマーリエを伴い執務室に戻る。
「殿下、少しお疲れですか?」
口数が少なくなったことで、不安そうな顔をする。いつもなら慰めていたが、一度生まれてしまった疑念から、ぎこちない笑みしか浮かべられなかった。
「そうだな、予定外の魔力注入だったから」
「ご、ごめんなさい……」
「責めているわけじゃないんだ。だが、次からはしっかりとやってもらわないと困る。私には他の仕事も多いんだ」
「わかりました。あ、今日は他のお仕事のお手伝いを」
「そうだな。じゃあ、書類の整理からお願いするかな」
「えっ……」
まさか書類整理を任せるとは思っていなかったようで、戸惑いの顔になる。それがまた癇に障った。
「他の仕事を手伝うと今言ったじゃないか」
「そうですけど」
もしかしたら、今日はしなくていいと言われることを期待しているのだろうか。
「クローディアがいなくなって困っているんだ。姉よりもはるかに優秀なんだろう? きっと一度説明を受ければすぐにできるようになるさ」
執務室に戻って、側近に書類整理をアマーリエに任せる様にと言えば彼は丁寧にやり方を教えた。要望期日ごとに並べてほしいことや、その中でも重要度の高いもの、例えば橋の修理や魔物や盗賊に関連する内容などを別に分けるなど、基本的なところを詳しく説明している。
側近の説明を真面目に聞き入っていることを確認してから、今日中に処理しなくてはいけない仕事に集中した。
どれぐらい時間が経っただろう。
「殿下、終わりましたわ」
いつもよりも疲れた顔をしていたが、アマーリエが満面の笑みで声をかけてきた。終わったと聞いて、時計に目をやる。もうすっかり日が落ちてしまっているが、それでもクローディアが分担していたぐらいの処理の整理は出来たようだ。初日にしては十分だ。
「ありがとう。それで、急ぎのものはどれだ?」
「こちらに積んでありますわ」
積んである?
アマーリエの示す方へ顔を向ければ、そこには先ほど見たのと変わらない山があった。
「終わったと今言わなかったか?」
「ええ、終わりましたわ。しっかり読んでみましたけど、どれもこれも急いだほうがいいかなと思って」
「……」
ぶっふう、と吹き出す側近の声が聞こえた。
書類に優先順位をつける仕事を頼んだはずが、すべて優先順位が高いという回答。
アマーリエはクローディアよりもはるかに能力が低いのではないかという疑いがぐるぐると頭の中を巡った。




