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婚約が破棄された翌日

 意識が浮上し、ぼんやりと目を開けた。見慣れぬ天井をじっと眺めてから、ごろりと横向きに体を動かす。


 視線の先には窓があり、カーテンの隙間から、明るい光が差し込んでいた。

 窓の外からはピピピ、と可愛らしい鳥のさえずりが聞こえてくる。


 なんて穏やかな朝なのかしら。

 温かなお布団にいつまでも包まっていたい。


「……朝?」


 普段なら、まだ陽の昇らぬうちから起き出し、前日に処理しきれなかった仕事を捌いていた。薄暗い部屋に灯りをともすことが目覚めた後、一番最初の仕事だ。


 それなのに、今日は部屋の中が明るい。そして外からは爽やかだろうなと思われる鳥の声。

 温もりに包まれたまま視線だけ部屋の中をうろつかせていれば、サイドボードに置いてある時計が目に入った。


「……お昼、ちょっと、前」


 一気に頭がはっきりした。布団をはねのけ、体を起こす。

 部屋に入る光は朝の光じゃない。昼間の光だ。


「きゃあああああ! 寝過ごしたわ!」


 慌てて寝台から飛び降りると、室内履きを引っ掻け、廊下に出た。とりあえず、謝罪だ。謝罪をしてその後、昨日終わっていない仕事をして、さらに今日追加される仕事を……。


 とにかく、とにかく、謝罪!

 心の底からの謝罪を嫌がる人はいないはず!


「クローディア嬢? どうしたんだ、そんなに慌てて」

「もうしわけありませーーーーーーん! 寝過ごしました!」


 リアム様の姿を見て、これはまずいと本能的に思った。慌ててその場にしゃがみこみ、誠心誠意を込めて頭を下げる。

 びくびくしながら、沙汰を待っていれば、すぐ側にリアム様が片膝を突いた。両手でわたしの肩を掴み、ゆっくりと上体を上げさせられる。リアム様の優しい目がそこにはあった。いつも補佐として側にいてくれていた時には見られない、柔らかな笑みを湛えている。


「謝ることは何もないよ。起こさなくていいと俺が伝えておいたんだ」

「え?」

「昨夜、婚約破棄されて俺の屋敷に来たのは覚えている?」


 丁寧に言われて、頭がようやく働き始める。


「婚約破棄」

「そう。要するに婚約者を首になって、城から出ただろう?」

「……そうでした」


 婚約破棄されて、荷物をまとめて。

 その時にリアム様がやってきて。そして、そして――。

 リアム様は色々なことを言っていた。


「あれは幻覚?」

「幻覚じゃないな。確かに君に結婚を申し込んだな」

「き」

「き?」


 リアム様が首を傾げた。その仕草もどこか可愛い感じもしたけど、それどころじゃない。飛び起きてそのまま飛び出してきたものだから、わたしはひどい格好をしている。髪もとかしていないし、顔も洗っていない。よだれの跡があったらどうしよう。さらにさらに最悪なことに寝着のままで、ガウンも羽織っていない。


「きゃああああああ!」


 自分でも信じられないほどの反射神経で立ち上がると、そのまま与えられた部屋へと走っていった。


「ゆっくり支度をしておいで。サロンで待っているよ」


 背後から優しい言葉が聞こえてきたが、恥ずかしくて振り返ることはできなかった。

 部屋に飛び込めば、リリーが手を腰に当てて立っていた。


「り、リリー」

「お嬢さま、そのような格好で!」

「うんうん、わかっているから。言わないで」


 頭を掻きむしりたい衝動に駆られながら、リリーの世話を受ける。リリーは手早くわたしの支度をした。


「流石にリアム様も驚いたことでしょう」

「でも優しかった」

「……気にするところがそこですか?」

「だって、優しく微笑んでくれたし。あんなにも優しい顔ができるんだと思ったら目が離せなかった」


 リアム様はわたしの補佐として側にいた時には無表情で淡々としていた。整い過ぎた美貌に無表情なものだから、出来のいい人形ではないかと思うほど。婚約破棄を言い渡されるまで彼の態度から恋愛感情を見せられたことはない。どちらかというと、あまりの素っ気なさに、嫌われているものだと思っていた。ほら、わたしって仕事が遅いから。リアム様には色々な面で助けられた。


「はあ、どうしよう」

「どうしようもこうしようも、行き場がないのならお世話になるしかないのでは?」

「そうでもないのよね。伯爵家と縁切りすれば、隣国に行くのは自由だし」

「本当に奥様のご実家は頼りになるのですか?」


 リリーが不安そうに言う。リリーはお母さまと一緒にこの国にやってきたが、実は嫁ぐことが決まってから雇われたのだ。だから、お母さまの実家での立ち位置はよくわからないみたい。


「お母さまが亡くなった後、あちらの国に行くつもりだったのよ。婚約してしまったから実現しなかったけど。従兄弟たちも面白いし、色々と面倒見てくれるはずよ」

「そうですか」

「それに、殿下に婚約破棄されたわたしがリアム様の隣に立つなんて、美の女神への冒涜のような気がするわ。天罰が下ったらどうしよう」


 そうぼやけば、リリーは呆れたような目を向けてきた。


「何よ?」

「お嬢さまはたっぷりと休養すれば、リアム様と同じぐらいお美しいですよ」

「そういうのは身内の欲目というのよ」

「そんなことありません」


 自信満々に言い切られて、微妙な気持ちになる。夜会に参加してもいつだって笑われていたし、容姿を褒められたことなんてなかった。リリーにとっては可愛く見えても、万人の目にそう映るとは限らない。

 過去の嘲笑を思い出し、落ち込んでいる間に支度が終わった。


「さあ、鏡をどうぞ」


 リリーに連れられて姿見の前に立つ。そこにはすっきりとしたデザインのドレスを纏ったわたしがいた。いつもとかなり雰囲気が違う。普段高い位置できつめに結い上げていた髪は柔らかくハーフアップにされ、ゴテゴテした宝飾品の代わりに可愛らしいリボンが使われている。

 口紅も流行りの濃いピンクではなくて、薄い紅色だ。ありきたりな感想だけど、自分じゃないみたい。


「驚いた。どんな魔法を使ったの」

「城の侍女たちのセンスがないだけです」

「……ねえ、もしかしたらわたし、嫌がらせされていたの?」


 殿下の婚約者として相応しくない! とよく暴言を吐かれていたことを考えると、嫌がらせだと考えるのが妥当な気がしてくる。


 だがリリーはそれをあっさりと否定した。


「いいえ? 彼女たちのセンスがないだけです。流行りの色を入れればいいものではないのですよ」

「それを言い切っちゃうの?」


 わたしの世話をしていた城の侍女たちは実は王妃陛下直属の侍女だ。侍女のセンスがないということは王妃のセンスがないのと同じ意味になる。

 リリーは意味深長に笑って、それ以上のことは言わなかった。軽やかな香水をほんの少し振りかける。


「リアム様がお待ちですよ」

「ああ、うん。行ってくる」

「リアム様、おすすめです」

「リリー、何の賄賂を貰ったの?」


 あまりの変化に、胡乱な目を向ければリリーは圧のある笑みを浮かべた。


「賄賂は貰っていませんよ。ただ、リアム様のお気持ちと、結婚した場合のメリットを説明されただけです」

「もしかしてリアム様って結構本気なのかな?」


 今更の疑問が出てきた。神々しい後光すら見えるリアム様がわたしを好きになることなんてありえないと思っていたのだけど。


「本人にご確認ください」

「そうね、そうするわ」


 もし能力を手放したくないという理由だけだったら、隣国のお母さまの実家にお世話になろう。それだけのことだと思って頷いた。


 サロンに着けば、リアム様はゆったりとした様子で本を読んでいた。邪魔をしてしまったかと、足を止めればすぐに顔が上がる。わたしの姿を認めると、立ち尽くすわたしの所までやってきた。


「ああ、とても素敵だね。綺麗だ」


 そう言いながら、手の甲にキスをしてくる。その大切な人にでもなったような扱いに、わたしの頭はすでに沸騰状態だ。


「リ、リリ、リアム様! ナチュラルに色気を振りまかないでください! 今までのあの無表情はどこに行ったのです?!」


 錯乱気味に声をあげれば、リアム様はにこりと笑う。


「婚約者がいる君の側にいるには感情を出しては駄目だろう?」

「やっぱり信じられません! わたしには異性に好かれるようなところなんて何もないのに。もしかして、魔力狙いですか?」

「うーん、そう思われても仕方がないけど、ちょっと傷つくな」


 わたわたと言いつのれば、リアム様が陰りのある顔になる。それを見てさらに慌ててしまった。


「いえ、貴族ですからそういう先を見越したことも大切だと思いますし、全然問題はないんですよ? ただ気持ちもないのに、好きなんだ愛しているんだという演技をされるとわたしが傷つくだけで」


 言葉が尻すぼみになった。そうだ、リアム様に優しくされて、舞い上がっていた。そもそもわたしの長所なんて魔力の量が多いぐらいしかない。仕事は遅いし、いつもいつも疲れていて、身なりもまかせっきり。女性らしい趣味も特にない。


 自分を冷静に見つめることで、さらに気持ちが落ち込んだ。


「クローディア嬢はどうしてそんなにも自己評価が低いかな? 君は優秀だよ。あの量を一人でこなしているんだから」

「ノルマは果たせていません」

「そもそもその積み上がった仕事の量がおかしいことに気付こうね」


 優しく頭を撫でられた。ちらりと上目遣いでリアム様を見る。


「そんなこと、一度も言わなかったのに」

「何度か仕事の分量がおかしいと抗議したのだけどね。さらに量が増えたから、言うのをやめた。王妃陛下の不興を買ったのは悪かったと思っている」

「え!? わたしの仕事が増えたのはリアム様のせいですか!」


 衝撃的な事実に唖然とした。


「うん、多分。王妃陛下の仕事の八割ぐらい負担しているはずだよ。なんでも俺が君を評価しているのが気に入らないとか何とか言っていたな。大方、仕事を大量に押し付けて泣きついてきたら、許してやろうと思っていたんだろうよ」

「……何を言ったんです?」

「ただ君がとても優秀だと褒めただけだよ」


 不興を買うなんて、単純に褒めただけだと思えないのですが!?

 でもリアム様も素直に思ったことを伝えただけだったと信じたい。


「俺も可能な限り調整したし、ちゃんと仕事は回せていただろう?」

「回っていません!」

「うん、いいね。こうして思っていることを口にできるのは楽しい」


 色気は薄くなったけど、なんか違う。

 リアム様をどう思っていいのかわからないまま、とりあえず軽食を食べることにした。


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